Epsom Cup Tournament – それはバレーボール部にとって最も大きな試合である。いつもの対外試合とは異なり、複数のチームが参加し、優勝を争うのだ。しかし、その試合規模と同じくらいもう一つ、大きな意味を持っている。それは高等部三年生がこの試合を以て引退する試合なのである。
広大な敷地をもつEpsom校。屋外での合計4つのコートを使い、今回は男女それぞれ2チームずつエントリーした。
女子Aチームの初戦はLancing college校との対戦。慣れない屋外での戦い。太陽のまぶしさによって思うようにプレーできなかったり、コートが狭く感じられ、強いサーブが裏目に出てアウトになったり。勝ちたい気持が焦りを呼び、ミスを連続する。点を取ったと思えば、次は取られる。初戦はそんなシーソーゲームであった。しかし、場数を踏んできた立教チーム。「声出していこう!」と、どんよりとした雰囲気を払拭する明るい声。とたんにいつも通りの集中力と連帯感を取り戻し、安定したプレーをみせ、22対25で初戦を制した。
二回戦はEpsom校との試合。初戦の勝利の勢いのままに、試合は続いた。僅差であるが、常に立教チームがリード。半ばで逆転された時もあるが、逆境には強い立教チーム。すぐに点数を巻き返す。ここで見えたのはお互いの信頼感の強さだ。「あの子は必ず強いアタックを決めてくれる」「このボールを上にあげさえすれば、誰かがとってくれる」この1年間対外試合などで実践してきた分、お互いの動きをよく把握している。誰ひとりとして欠けることのできないメンバー。だからこそできる息の合ったプレー。苦戦しながらも23対25で立教チームがまたも勝利した。
三回戦は大差で勝利し、四回戦は立教チーム対立教チーム。いつもの試合より真剣かつ楽しそうであった。
男子は2つのリーグに分かれて行われ、各リーグの上位が優勝を争った。
Aチームはリーグでの試合は始めはミスもあったが修正しあって、結果相手に2ケタ得点を許さず順当に勝ち上がった。
準決勝に進み試合に臨む。さすがはもうひとつのリーグから勝ち上がってきたチーム、そう簡単には勝てない。
最後には点差をつけてこちらがマッチポイントを握ったが、そこであせりがでる。相手の強いサーブにも翻弄されて急に追い上げられる。
そこで一度タイムアウトをとり、気持を落ち着けてなんとか勝利した。
そうして臨んだ決勝、相手はEpsom校のAチーム。
今までのようにはいかない相手、単純なミスはしない相手である。
試合序盤、相手はしっかりボールをつなぎ攻撃をしてくる。
こちらはというとボールがつながらず、段々と点差が開いていってしまった。
そんな中「ていねいにやろう」と落ち着いて声を掛け合った。
試合中劣勢でも興奮しないで落ち着いて話し合えるのはこのチームの良いところである。
その後調子を取り戻し、中盤同点にまで追いついたが、
終盤になって相手の攻撃のリズムが良くなり、最後は一気に試合を決められてしまった。
実はこのEpsom Aチーム、現在の高3の新チームになってから何度か練習試合をしたが、一度も負けたことのないチームであった。
これで最後という気持、優勝できるかもという気持、今までの練習のことなどの思いも重なったのか、
決着のついた直後、泣いてしまう者もいた。最後には両チームともにエールを掛け合い、試合を終えた。
成績は女子Aが優勝、男子Aが準優勝という男女ともに快挙であった。
試合がすべて終わり燃え尽きた高等部三年。「終わったんだ・・・」疲れ顔の中にどこからともなく寂しさが残る。それぞれに抱える部活への想い、蘇る練習の光景、対外試合に勝利したうれしさ、敗北した悔しさ。そしてともに闘ってきた仲間の笑顔。
「お前らは最高で最強の仲間だった。楽しい時間をありがとう。しかし、楽しい時間はもうこれで終わりです。」(男子キャプテンスピーチより)
名残惜しさを胸に、高等部三年生はバレーボール部を引退した。

 

今年もReigate & Redhill音楽祭に本校の生徒が参加しました。
ピアノ、フルート、バイオリン、クラシックギターの各部門で13組の生徒が演奏してきました。
このMusic Festivalは日本でいう地元のコンクールのようなもので、ピアノやバイオリン、ブラスなどの楽器から声楽やスピーチ、劇に至るまで様々な部門に分かれています。
出場者も小学生くらいの子から年配の方まで、演奏レベルも初心者から熟練者まで様々です。
春休み前から曲を決め、休暇中はもちろんのこと、今学期に入っても、球技大会やJapanese Eveningなど、行事で忙しい合間の時間を見つけて生徒たちは練習に励んできました。
演奏の結果、Outstanding performance に選ばれた2名を含め、5名の生徒がメダルを獲得し、今年のReigate & Redhill音楽祭を終えました。

 

5月18日(金)に行われたロンドン・アウティング。高校2年生にとって、ロンドンはもう何度も訪れているおなじみの街・・・ではありますが、この日のアウティングでは、ロンドンの新たな一面、いつもと違う楽しみ方を知ることができました。
高2を乗せたコーチは、まずロンドンの中心である、ピカデリー・サーカスへ。
グループごとにそれぞれ昼食をとった後、本日の目玉の1つ目、テムズ川クルーズの船乗り場へ向かいました。
船は、目の前にそびえたつ大きなビッグベンの近くから出発します。早速2階のデッキにあがり、ビッグベンを背景に写真をパチリ。
船上でクラスメートとのおしゃべりを楽しみながら眺めるロンドンの街は、いつもと違った表情を見せてくれます。
ロンドンのシンボルともいえる大きな観覧車、ロンドン・アイ。
「高校3年生になったら乗るんだよね」
ロンドン・アイに広がる広場を見て・・・
「あ、去年JAPAN祭りで来た場所じゃない?」
船は、タワーブリッジ方面へと進路をいそぎます。
昔、ロンドン市議会があった建物が見えます。
「今の市議会は、もっと近代的な建物だよ。」
魚市場があった場所。こんな場所にマーケットがあったのかあ。
現代アートの美術館、テートモダンが見えると・・・
「あそこの最上階でアフタヌーン・ティーしたことあるよ!」なんとも羨ましい生徒の声です。
「先生、あの円形の建物なんですか?」シェイクスピアの劇場、グローブ座を発見しました。
気づけば船の前には、タワーブリッジが見えてきました。
船を降りると、目の前に大きくそびえたつロンドン塔、本日の目玉の2つ目です。
ロンドン塔は、11世紀にウィリアム1世によってイングランド征服がなされた際、要塞として建てられた塔です。
要塞としての機能だけでなく、囚人の監獄や処刑所、王室の宝物庫、また、動物園があった時期もあったりと、存在感だけでなく、歴史的にも面白さの詰まった場所です。
そんなロンドン塔、一般の観光では何時間も待たされるのが常ですが、この日の高2はグループ専用の入口からすんなり入場することができ、ワークシートを片手に見学開始!!
時間があまりないため、王室のジュエリーが保管されている”CROWN JEWELS”という建物と、
ロンドン塔の天守閣とも言われる”WHITE TOWER”の2箇所は必ず見るように、グループごとにまわります。
この6月に行われるエリザベス2世の即位60年記念イベント、ダイアモンド・ジュビリーで使用される王冠も展示されていました。
この日のワークシートは、ロンドン塔の歴史にまつわる質問が多かったのですが、さすが高校2年生、わからない問題は、ビーフィーターと呼ばれる案内の人(赤い服を着ていて、とても目立っています!)を見つけては英語で聞いていました。
このあとは、班ごとに日本食レストランやピザ屋さんやカフェで夕食をとり、集合場所に集まり始めたころ・・・
「あっ!!橋が開いている!!」
なんと、タワーブリッジが大きな船を通過させるため、開いていました。
跳開橋であるタワーブリッジですが、現在では開いているところを見られるのはかなり珍しいそう。
アウティングの最後に、とっておきの景色を堪能することができ、大満足。
コーチに乗り込み、帰路につきました。

 

海外での学校説明会

当該校の生徒・保護者以外で参加をご希望の方は各日本人学校にお問合せください。

7月16日(月) ハンブルグ日本人学校
7月13日(金) デュッセルドルフ日本人学校
7月4日(水) プラハ日本人学校

 

 

 

※学校説明会情報はこちらをご覧ください。

H1のアウティング。まず向かった先はロンドンオリンピックのメーン会場となるオリンピックパークの隣にあるウエストフィールド・ストラトフォード・シティSC。敷地面積19万平方メートルもある、ヨーロッパ最大の都市型ショッピングセンターです。生徒達はそこで、思い思いに食事を取り、買い物袋をぶら下げてショッピングを満喫した様子でした。
次に向かった先は、世界最大の規模を誇り、博物館の王様と呼ばれている大英博物館。生徒達は、用意されたワークシートに重要事項を書き込みながら、本校の世界史教員による展示物の説明を熱心に聞いていました。みっちり3時間もの間、ワークシートと格闘した生徒達は、終わった頃にはへとへとになっていました。一生懸命ワークシートに取り組んだことで、世界中の宝物の記憶がいつまでも頭に残ることでしょう。
大英博物館でじっくりと世界史を学んだ後は、夕食。美味しいご飯、そして美しい町並みにうっとりした気分で帰路に着きました。

みなさんは、「フォークランド紛争」という紛争を知っていますか。この紛争はイギリスとアルゼンチン間で行った三十年前の紛争です。日本に住んでいたら私も絶対に知らなかったと思います。しかし、学期中をイギリスで過ごし、休みになると家族の住むアルゼンチンに帰る私にとってこの紛争は他人事ではありません。
こんな事がありました。昨年のホームステイ先で「どこに住んでいるの」と聞かれた私は、何も考えずに「アルゼンチンだよ。」と答えると、その場の空気が凍りつきました。その当時、あまり両国が仲がよくないとは知っていましたが、ここまでとは思わなかったのです。
戦後六十年を経て生まれた私には「敵国」という感情がありません。しかし世界にはまだそういう感情が残っていて、国際社会で生きていく時にはきちんとした配慮が必要なのだと知りました。三十年経ちましたが、この紛争はまだ終わったとは言えません。イギリスのウィリアム王子はアルゼンチンで軍の任務をしているし、アルゼンチンの大統領はこの紛争を「現代の植民地問題だ」と先日テレビで言っていました。私はイギリス人でもアルゼンチン人でもありません。ですが、その知り合いならたくさんいます。彼らは個々で会うと仲良くなれそうないい人たちばかりです。それでもその国の人間と言うだけで嫌われてしまうのは、すごく悲しいことだと思います。小さい頃、大人から教えてもらった「みんなと仲良くしなさい」がこんなに難しいことだと気づく瞬間はやっぱりつらいし悲しいです。それでも少しでもこの紛争が多くの人に知られて、「こんなのおかしい」と思う人が増えれば、少しは「みんなで仲良く」につながるのではないでしょうか。
(高等部3年生 女子)

 

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