今学期も日本英語検定協会の実用英語技能検定試験が準会場である本校で行なわれました。

15名の生徒が2級を受験した他、準2級、4級を受験した生徒もいました。
また10名の高校3年生がその前日611日にロンドンの本会場で準1級試験を受験しました。
本校では日本人教員による英語の授業の他にネイティブスピーカーによる少人数制の英会話授業を設定したり、英語のプライベートレッスンを気軽に受講できる環境を整えたりしているので、イギリスならではの英語学習環境に恵まれています。

自ずと生徒たちの英語学習への意識も高まり、各種英語試験を積極的に受ける生徒が増えています。

この実用英語技能検定試験の他にも今月はケンブリッジ大学の英語資格試験があり、本校を会場にしてPETKET合わせて51名の生徒が受験する他、更に上級のFirst Certificate in Englishの試験に高校3年生8名が挑戦、ロンドンやギルフォードの会場でこの試験を受験してきました。
長い夏休みを前に、英語学習意欲が更に高まる良いきっかけになればと思います。

 

 

 

                             

主日礼拝で、高野チャプレンから生徒たちに、先週ロンドンのウェストミンスター寺院で行われ、ご自身も司式者をつとめた東日本大震災追悼式についてのお話がありました。
 
式の中で、サザーク大聖堂のIpgrave大執事が松尾芭蕉の「奥の細道」から、立派な日本語で俳句を引用し、素晴らしいお説教をなさいましたが、その全文を本校のホームページに掲載する許可を頂きましたので、以下にご紹介致します。

   *   *   *   *   *

 

 

Great East Japan Earthquake Memorial Service

A bit over three hundred years ago, the poet 松尾芭蕉, Matsuo Bashō, reached the bay of 松島, Matsushima, in what we now call 東北, Tōhoku as he travelled along his 奥の細道, Oku no hosomichi: ‘narrow road to the far north’. He wrote of Matsushima:

島々の数を尽くして, そばだつものは天をゆびさし, 伏すものは波にはらばふ。

There are an inexhaustible number of islands, some steeply rising, pointing at heaven, some lying, prostrating themselves on the waves … There are some that carry others on their backs, some that hug others in their arms, as if loving their children, their grandchildren. The green of the pines comes in delicate shades … Matsushima is ineffable, made up like a beauty’s face. The Creator’s heavenly handiwork – who can use his brush or exhaust words to his satisfaction?

造化の天工, いづれの人か筆をふるひ, ことばを尽くさむ。

Bashō’s words are a lyrical description of the humanity of the Japanese landscape; utterly entranced, he wrote that night, ‘mouth shut, I tried to sleep, and could not.’

Matsushima is in the heart of the Great East Japan Earthquake zone. In the space of a few minutes on 11th March this year, the landscape of that region turned from cradling humanity to utter horror. I will not rehearse the facts now; they are summarised on the service sheet. Matsushima itself was spared the worst effects of the tsunami, but were Bashō to revisit, the region he would surely once more find himself ‘mouth shut, trying to sleep but I could not': yet this time not for entrancement, but with dumb horror. The very landscape which had mirrored and cradled humanity had turned against its people.

How can faith respond to a situation like this? The Japanese theologian Kosuke Koyama describes how he felt in August 1945 at the end of the war in a Tokyo virtually destroyed by air raids: ‘Physically and mentally exhausted from the lack of food and sleep from the fear of death … I stood like a ghost an once again and saw the city. As far as my eyes could survey it had become a wilderness. Familiar landmarks were gone; rice shops, temples and shrines at which people had prayed … even railway stations had disappeared … The land, it seemed ‘had vomited out its inhabitants’. And the words which came to Koyama were those of Jeremiah 4:

見よ, 大地は混沌とし空には光がなかった。...山は揺れ動きすべての丘は震えていた。

I looked on the earth, and lo, it was waste and void; and to the heavens, and they had no light. I looked on the mountains, and lo, they were quaking, and all the hills moved to and fro.

Faith must speak into the devastation of both physical landscape and human society. Unlike for Koyama in 1945, for us in 2011 this devastation comes not from human actions but natural forces; that makes it all the more challenging for faith. How can faith respond to a situation like this? There are three kinds of words which faith gives us – though each can only be spoken after a proper reserve, a reverent silence.

Firstly, faith gives words to express grief, pain, sorrow, maybe even anger. Jeremiah, whose words came naturally to Koyama, is the prophet of grief and sorrow par excellence. For humans confronted with individual stories of loss, with the multiplication of those stories into an immensity of suffering and pain, there is need to express sorrow in the deepest language of our hearts; and faith provides that language. Some of the most poignant images of the earthquake have been of rescue workers, their hands joined in prayer to comfort the souls of those whose bodies they have found; the dignity, courage and patience of the Japanese people in expressing their sorrow has humbled us all.

Secondly, faith challenges us with words of love, the love we owe to our brothers and sisters in adversity. This impulse of love is known to every human being; it is an imperative of faith for those who believe. It has been evident in the selflessness of so many caught up in the calamity, their first thought the safety of family, friends, neighbours; in the perseverance and bravery of rescue workers; in the generosity of those who provided shelter, food and comfort; in the readiness of volunteers to risk their health and life safeguarding the damaged nuclear plant; in the ongoing commitment of tens of thousands to rebuilding devastated communities; in the response of people worldwide to appeals like that of the Red Cross Tsunami Appeal. Christians, Buddhists, followers of Shintō, members of newer Japanese religions have all committed together to this loving response of faith. The task has been even more challenging because of the damage and loss their own buildings and people have suffered; I know that is so for the 日本聖公会, Nippon Seikōkai, and it must be true for others also. But they have kept going; as it says on the badge I have worn for the last ten weeks: がんばれ日本! がんばれ東北! Gambare Nihon! Gambare Tōhoku!

Lastly, faith comforts us with words of reassurance and of hope, words we need after a trauma like this. We need to know that the vision of Bashō is not misplaced: that the world in which we live is truly a place where we belong, a landscape in which we can trace our familiar humanity. Of this all the world’s religions speak with assurance: that there is a secure place for us in the cosmos, a place we find through reverence, humility, the limitation of our desires. However we explain it, the natural world, ‘the Creator’s heavenly handiwork, 造化の天工, is our home. And our second reading this evening goes further still, for it speaks not only of natural landscape restored but of human community renewed. The Book of Revelation shows a city transfigured and enlarged through the inclusion of all the peoples and languages of the world. Those who have died and those who are yet to die, all have a place in God’s purposes for his people. In this transitory world, with all its pain and all its beauty, our human vocation is to live life fully with our God:

He will guide us to springs of the water of life, and God will wipe away every tear from our eyes.

命の水の泉へ導き, 神は我らの目から涙をことごとくぬぐわれるからである。

 

 

⇒「ウエストミンスター寺院 東日本大震災追悼式 報告〈本校チャプレン 高野晃一〉」

 

「私の古い友人たちに日本の茶道を見せてあげられませんか」

4月が始まってまだ日が浅い頃、こんな問い合わせが舞い込みました。

差出人は、数年前まで立教でG.C.S.E.物理の教鞭を執っていらっしゃったミセス・ギンバー。ご自分の学生時代、共にアメリカに留学してサイエンスを学んだ仲間と同窓会を開くことになり、その折りに古巣の立教を訪問して友人たちに日本文化を楽しんでもらうことを思いついたのです。

 立教茶道部は、海外というなかなか思うようにゆかない環境ながらも、道具を揃え、JAPANESE EVENING やオープンデイなどのイベントを中心に、忙しい合間を縫って活動を楽しんでいます。今回の依頼は、良い機会の一つとなりました。

 茶道部が考えた当日のプランは、

1.茶席の流れを披露(デモンストレーション)

2.お客様に茶菓と抹茶を味わってもらう(点て出し)

でした。デモンストレーションでは、4月入学の中1生徒が点前を担当し一大イベントを盛り上げてくれることになり、さらに主客として、経験豊かな高2生徒がしっかりと場を引き締めることになりました。お客様の設定は2名。もう1名(次客)は、来校する英国人の方々から参加をお願いしました。約20名の方々が見ていらっしゃる中での披露は緊張を強いられるものでしたが、ちょっとした手違いもありながら、デモンストレーションは滞りなく終了しました。

 点て出しには、茶道部員ほぼ全員が参加しました。衝立の向こうできれいに抹茶を点てる生徒、お客様にお菓子を配る生徒、できあがった抹茶を配る生徒……抹茶を点てるのも、お菓子や抹茶を配るのにも、私たちが普段知る日本文化のマナーが自然に茶道の世界に生きています。たとえば、相手にお茶碗やお菓子の正面が向くように渡すこと。本やハサミを渡すときにも、相手に使いやすいように渡します。それが「正面」です。また挨拶として一礼すること、これも普段自然に実行しているマナーの一つです。「茶道」という言葉で表現するものの、作法を通して、私達の中に根付いている日本らしい振る舞いというものを改めて考える機会になっているのではないでしょうか。抹茶の点て方や配り方の練習を通して、生徒の心にそういった発見があったのではと思います。練習の甲斐もあって、スムースに点て出しは行われ、抹茶とお菓子を楽しんでもらうことが出来ました。

会の終わりには、ミセス・ギンバーから感謝の言葉をいただきました。

帰られる英国人の方の中には、会場となった広間の隅にある剣道具に興味を示され、「あれは何?」「君たちは剣道できる?」「次は剣道をぜひ見たいな。」と仰ってゆかれた方もありました。

部活動は練習を通じて鍛錬の場所となりますが、試合やイベントはより一層向上してゆく良い機会となります。ミセス・ギンバー、お友だちの英国人の皆様、すばらしい機会を有り難うございました。また立教にいらして下さい。

Mrs.Gimber and friends, thank you very much for coming to Rikkyo School.  We had an enjoyable time with you.  We look forward to seeing you again. 

 

G.C.S.E.についてはこちら

JAPANESE EVENINGについてはこちらへ。

*当日の様子についてはこちらで写真をご覧になれます。

                    

「イギリスの家庭を体験して」

私が立教生として初めてホームステイをしたのは、イーストグリンステッドに住む家族のお家ででした。

そちらの母親というのは、20年間日本で働いていらっしゃった方であり、また2人の娘さんがいたのですが、どちらも日本人とのハーフでありました。

つまりイギリス、日本のどちらからの目線でも話せるという、とても恵まれた環境であったと思います。
義理の父親と兄を含め、7人で住んでいたので、毎日がとてもにぎやかでした。

ホームステイの初日には、ブリティッシュワイルドライフセンターというところに連れて行ってもらい、たくさんのイギリスの野生動物を見たり、イギリスの歴史や環境問題を学んだりしました。

小さな町ですが、イーストグリンステッドもとても歴史がある町で、第二次世界大戦中の負傷者のための施設としてできた病院が、今でもプラスティックサジェリーの専門病院として在るのは有名です。

母親のエリザベスさんは、その病院で現在働かれているそうです。他にもたくさんの国で働いたり住んでいた経験のあるご家族だったので、いろんな視点からたくさんのことを話してくれました。

娘さん2人とは日本の学校とイギリスの学校の違いや勉強の仕方の違い、カルチャーの違いなど一週間を通してずいぶんと話し合いました。
イギリスの家庭と日本の家庭を比べた時に、ライフスタイルの違いというのがまず大きいと思いますが、イギリスの方が家族で過ごす時間というのは長いように思います。

それぞれの家族によって違ってくると思いますが、私が今までに知り合った欧米人の話を聞く限り、日本人の家庭はある程度の年になると、家族と過ごす時間はとても少なくなるけれど、欧米ではホリデーを必ず一緒に過ごしたり、両親の仕事も子どもの習い事などもきちんと夕方で終わるようなので、夜の時間を家族で過ごすことができるんだと思います。

不思議なことに、イギリスと日本のティーンエイジャーを比べた時に、イギリスの若者の方が大人だとよく言われますが、イギリスの家庭も十八歳になるまで、つまり成人するまでは、きちんとした家庭教育がなされるのであり、それゆえの自立があるのだなと思います。

欧米では、ファミリーを大切にすること、そしてその気持ちを表すことがごく自然にできることが良いなと私は感じていますが、日本の文化や精神を考えると、その良さも改めて感じることができ、やっぱりどっちが良いということはできないなと思います。
ホームステイ最後の日には、義理の兄のバンドのコンサートを見に、ブライトンへ行きました。

本当に楽しい時間でした。

このホストファミリーは偶然だけでなく出会うべくして出会ったように思えることがたくさんありました。

エリザベスさんが言っていた「私が若い頃日本のホストファミリーにお世話になったから恩返しのつもり」という言葉を、いつか私も言えるようにしたいと思います。

(高等部2年 女子生徒)

                               

                        

ウエストミンスター寺院  東日本大震災追悼式

 平成23(2011)6月5日()午後630分-8時、ロンドンのウエストミンスター寺院に約2000人の人々が集まり「東日本大震災追悼式」が行われました。こちらでは4月以来ほとんど雨が降らず、草原も茶色に変わり野菜や果物、麦やトウモロコシなどの生育にも心配がなされていましたが、なぜかこの日は大雨の日でした。礼拝堂内は半数が英国人や各国の人々、半数が日本人の人々で満席、まさに会衆席は埋め尽くされました。当然の事ですが、つい先日行われたウイリアム王子とケイトさんの「ロイヤル ウエディング」の司式者団のうち、カンタベリー大主教を除いた、ほとんど同じ寺院のキャノンたちが司式して行われました。これに私も司式者の一人として招かれ加わりました。会場に備えられた礼拝式文のパンフレットの表紙には、墨で記された「絆」の文字がありました。礼拝堂の中は充実した緊張の雰囲気が感じ取れました。

 1995年阪神淡路大震災が起こり大坂川口の主教座聖堂も塔が壊され礼拝堂も傾きました。私はその礼拝堂の床から鉄の棒を拾い、それで主教の十字架と指輪を作り身に着けて復興を誓いました。この礼拝にもその十字架と指輪を着けて司式に加われたのは、日本では縁と云うのでしょうか。

 聖歌と共に十字架を先頭にしたプロセッションで式は始まりました。開会のお祈りに続き現在ロンドン大学の大沼教授が震災、津波、原発,避難などの経過と現状について報告されました。ここで朗読された旧約聖書の日課「エレミヤ書42326節、31章1-6節」には、震災と全く同じ様子が記されているようで驚きを覚えました。続いて英国赤十字社の代表がその活動について話され,今までに義援金14億円が集まり現在も続けられています。今回の礼拝の前後にも募金が行われ義援金に加えられます。

 続いて追悼の式として、約30名の日本人の子供が手に灯したロウソクを持って並び行列、司式のキャノンと在英日本大使が花束を供えました。それと同時に日本山妙法寺の僧侶数名による「南無妙法蓮華経」の朗々たる読経、また数人による大太鼓の奉納の音が礼拝堂内に大きく勇壮に響き渡りました。さらに岩手花巻の宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」の朗読が続きました。私が中学三年生のとき花巻に賢治さんの両親と弟さんを訪ね、仏壇の前でこの詩が記されている手帳を自分の手に取って読んだことがあるので、これもまた胸に深く響くものがありました。この詩の心こそ復興を願う私たちの願いそのものでしょう。

 ロンドン橋の南サザーク大聖堂の大執事の説教は、松尾芭蕉の「奥の細道」から、立派な日本語で俳句を引用し朗読した深くもまた素晴らしいものでした。礼拝後に私が「私も芭蕉が好きで何度も跡を訪ねましたが、今回は本当に驚きました。」と話すと、彼は「芭蕉は大きくて深く大好きです。東京の隅田川近くの芭蕉庵にも行きました。」などと話していました。

 日本人女性合唱団のスコットランド民謡「埴生の宿」の英語と日本語の合唱の後、私と他の日本人二人で日本語と英語で、亡くなった方やその家族のため、避難している多くの方々のため、放射能汚染に苦しむ人々のため、また政治や地域の指導者、復興に向けて努力している様々な分野の人々のため、こうした人々に主の恵み励まし希望が与えられるようお祈りしました。最後は主の祈りと祝祷です。

 再び十字架を先頭にプロセッションで退場の後、司式者団は出入口に立ち挨拶を受けました。私も何十人という人々から「今回の礼拝は本当に素晴らしかった。深く胸を打たれた。思わず目に涙が溢れた。イギリスや世界の人たちがこんなにも日本を応援してくれているのか良く分かって感動した。」などと次々に感謝の言葉を掛けられました。私も心から感謝の気持ちに満たされ、この礼拝を計画し実現に協力して頂いた英国聖公会とウエストミンスター寺院の沢山の人々に深く感謝し、「この礼拝を通しても分かるように、英国や世界の人びとが日本の人々のことをこんなにも心に留めお祈りし支援して下さっていることを必ず日本の教会や人々に伝えます。」と話しました。実際に今までもこちらで会う英国や各国の人々は会うと必ず声をかけて下さいます。

 翌日の朝学校に来たら、立教の先生から「JSTV(日本衛星放送テレビ)のニュースで、昨夜の礼拝の様子を放送していて、高野先生の姿もきちんと映っていましたよ!」と言われました。ここに海外でも多くの人びとが日本の復興を心から願い祈っているということをお伝えしたいと思います。  

 これらの様子はここ立教英国学院の生徒たちにも伝え、礼拝式文の表紙に記されていた「絆」の文字の意味と、イエス様が教える「共に生き愛することの大切さ」を話し学びたいと考えております。

 

 

 

 

 

 

⇒「ウェストミンスター寺院で行われた東日本大震災追悼式のサザーク大聖堂Ipgrave大執事によるお説教を掲載。」

      
                              

正直、自分がもうこの学校を卒業することが信じられない。

春休みが終わったらまたここに帰ってくる気がするくらいだ。

休みが終わったらまたイギリスに行く、この5年間でこれは僕にとってもはや当たり前のことになっていた。

しかし僕は卒業式を最後にここを去る。

学校にいる間はいつも早くこの学校を卒業して、大学生になりたいと思っていた。

だが、今の自分の気持ちを正直に書くと、ここを去ることが本当に悲しい。

そして、憧れていたはずの大学生になることが不安なのだ。

もし叶うならば僕はこのクラスでずっといつもみたいに馬鹿をやったり、時にはまじめな話をしたりして楽しく過ごしていたい。

しかし、それは無理な話であって、これからは各々の道を進まなければいけない。

僕も楽しかった思い出にばかり浸るのをやめて進まなければならない。
それでもやはり今までとは全く違う生活を送ることに不安を覚える。

しかし、この学校で経験し、培ってきたたくさんのことがあるので僕はなんとかやっていける気がする。

例えば、協調性。

これは全寮制のこの学校だからこそ学べたことである。

もしここに来てなかったら周りを気遣うという大切なことがあまりできなかっただろう。

他にも常に友人と一緒にいたからこそ日本の学校以上の人とのつながりを手に入れることができた。

書き始めると自分が本当にたくさんのことを得てきたことを実感する。
今まで一緒に過ごしてきたクラスの皆、後輩、先生方には本当に感謝しています。

5年間、本当にお世話になりました。

また皆さんにお会いできる日を楽しみにしています。

 

 

 

 

           

5月末、高校3年生の引退試合が相次いで行われました。
20
日(金)は女子バスケットボール部vs教員。
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日(土)は男女バレー部がEpsom collegeにてEpsom Cup争奪リーグ戦。
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日(日)は卒業生が所属するロンドン社会人サッカーチームとの対戦。
翌週には男子バスケットボール部とバドミントン部が高3vs後輩との試合を行い、これらの試合を最後に高校3年生は部活動を引退しました。
 
女子バスケットボール部の試合には、現役時代、球技大会でMVPを獲得したこともある卒業生の塚田さんが、急遽教員チームに参加。また、サッカー部はこの日のためにわざわざ日本から卒業生の忠政さんが、ドイツからは吉田さんが駆け付けて下さいました。結果は3-3の引き分け。あと少しという惜しい試合でした。
男子バスケットボール部は後輩に圧勝。男女バレー部も今まで以上に良い試合をし、高校3年生の意地を見せてくれました。
 
これからは大学受験に切り替えていく高校3年生。彼らが部活動に対して熱心に取り組んできた姿勢を見て、後輩たちもこれからますます真剣に取り組んでいくことでしょう。

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