学校が始まってから1週間が経ち本格的に2学期が動き始めた第2週目、920日に全校写真撮影が行われました。

 

天気は曇り、風の無い穏やかな朝だったので、写真撮影には最適。午前中の授業が始まる頃から撮影業者が来て体育館の隣の校庭に大きな足場を組んでいきます。全校生徒、日本人・イギリス人の全教員、キッチンスタッフやドメスティックスタッフ、事務のイギリス人など学校にいるあらゆる人たちが毎年同じ写真の中にその年その年の姿を収めます。先週入学したばかりなのにもうすっかり友達と打ち解けている新入生達、そして去年の写真撮影後に入学した生徒達にとっても今回が初めての全校写真撮影です。

 

2時間目が終わると全員中庭に集合。背の順に並んでから高校3年生を先頭に撮影場所に向かいました。撮影スタッフの指示に従って足場を登り、赤ネクタイの高3が全員並び終わったところで、撮影スタッフが何気なく言いました。

「さぁ、真ん中にいる君たちがお手本だからね。しっかり並んでいてくれよ。君たちを見て他の生徒達も台に上がって並んで行くんだからね。」

 

そのセリフが妙に意味深く思えたのは、彼ら高3にとってはこれが最後の全校写真撮影であり、そして始まったばかりのこの学期が実質上最後の学校生活である事をふと思い出させてくれたからかも知れません。自分達が最高学年の赤いネクタイをして写る最後の写真、いつかこの日がくる事は知っていても、いざその時がくるとその思いはちょっと複雑なようでした。精一杯の笑顔を浮かべながら今年の高校3年生も貫禄十分な姿でその大きな写真の真ん中にしっかりと収まりました。

                   

八月の上旬に家族全員で富士山に登りました。

山岳ガイドツアーを利用する人も多いのですが、私たちはフリーで挑みました。

まず五合目に着き、一時間くらいのんびりして、それから登り始めました。(いきなり登ると、高山病になりやすくなるためです。)

 五合目から六合目まではなだらかな坂道のため、頂上までもすぐ行けるだろうと思ったのが間違いでした。

登り始めてすぐに私は、空気が少ないせいか疲れてしまい、『休みたい』と思いました。

けれども、いくらなんでも早すぎるので我慢をしました。

しかし、写真を撮る余裕もなくなり、だんだんつらくなり休みました。

母と父は全然疲れていないため、自分一人で帰るということも考えました。

辺りを見渡すと木がたくさんあり、緑のにおいがして、うぐいすの鳴き声が聞こえました。

風で根っこがぬけているにもかかわらず、決して倒れない木々があることにも驚きました。

新たに生きようとしている生命力に勇気づけられ、六合目に到達できました。もう私はへとへとでした。

 それから休みをたくさん入れながら、七合目に着きました。

そこからは六合目に置いてある黄色いブルドーザーはとても小さく見え、大きな達成感が感じられました。

そしてあと一合登れば宿が待っていると思い、頑張って登り始めました。

しかし、私を待ち受けていたのは岩だらけの坂でした。私は本当に下山したいと思いつつ、体は登っていました。

祖母が三度挑戦し、最後ははって登っていった岩だらけの登山道を、私はよじ登り続けました。少し進んでは休みの連続で、途中から霧雨が降ってきました。

 そして、私たちが泊まる宿が見えた時は、体が暖かくなりました。

宿に足を入れた時、宿のおじさん、おばさんが「お疲れ様です!」と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。

けれどもあまりにも疲れていたせいか、夕食のカレーライスは、ほとんど食べられませんでした。

それに加えて山小屋はぎゅうぎゅう詰めの中、寝なくてはいけません。朝食もほとんど食べられませんでした。

 二日目になり、今は夜中の〇時半です。

雨がどんどん強くなる中、ヘッドライトをして歩きました。

その景色はテレビでよく見た光が連なる景色と同じでした。

しかし途中の宿で休みを入れたせいか、人がさっきより少なくなっていたため、心配になりました。

嵐の中一生懸命進みます。大雨と台風並みの強風に体はどんどん冷えていきます。

水などの入った重たいリュックが肩にズシリとくいこみます。

少し下を向いて、首からレインコートの中に雨が入り込まないようにしました。

 それから少し時間がたち、ツアーの人たちを見つけたため後を追おうと思ったら、追い出されてしまいました。

どこが山道か分らないくらい真っ暗です。

しかたなくヘッドライトで道案内用の反射板を照らしながらロープがはってある道をどんどん進みました。

無言のまましばらく経つと、嵐の中に宿が見え、そこまで頑張ろうと思いました。

だんだんと宿が近くなるにつれて人が見えてきました。宿も人も見える前は、「つらい」「死ぬ」などマイナスの言葉しか頭に思い浮かびませんでした。

 宿で一休みしました。おしるこを30分位かけてゆっくり飲みます。

なぜなら飲み終わると出ていかなければならないからです。

宿の人には「頂上に行くのはおすすめできません。」と言われました。

団体客は山岳ガイドの判断で下山が決定されたそうです。

しかしここで引き返したら、あの苦しくても進んだ道をまた登らなくてはいけません。私たち親子は頂上に向かいます。

 途中から雨が止み風だけになりました。

頂上目指して登っていると、きれいな星空が見え始め、希望が見えてきました。

その時私は、心の中にあった雲が消えたように気持ちが晴れました。

 鳥居をくぐり、頂上に着きました。その時は、足が痛かったです。

始めは信じられませんでした。六合目で疲れていた私が、頂上に着いたのです。

 空がうっすらと明るくなってきました。頂上でご来光を見て、影富士も見ました。

お鉢巡りもできました。

私は登頂をあきらめなくて良かったとしみじみ感じました。

今回の富士山は私にとって大きな自信となりました。そして楽しい思い出として深く心に刻まれました。

剣が峰にある3776mの石に足をかけて写真を撮り、下山しました。

心の中では一生に一度だけの大切な思い出になったと思いました。

なぜならもう二度と登りたくないと思ったからです。

 

(中学部1年生 女子)

                 

9月18日、さわやかな秋の日曜日、立教英国学院はロンドンへ『JAPAN祭り』に外出してきました。

このイベントは、一昨年からはじまった大きな催しで、英国内の企業が出資し、様々な出店や企画がもうけられ、イギリスの方も在英の日本の方もとても楽しめるものです。

今年はテムズ川向こうにビッグベン(国会議事堂)を、また目の前にロンドン・アイ(大きな観覧車)を仰ぐ、にぎやかで風景の良い場所で行われました。


 今年は特に、東日本大震災から約半年、JAPAN祭りでも地震や津波の展示が設けられました。

被災者の絶望と未来を見据えた力強い言葉の数々が英訳されており、メディアがまとめた書籍や日本語・英字新聞なども手にとって見られるようになっていました。

バイオリンの奏でる日本の音楽をBGMに、亡くなった命やこれからの日本の復興など、様々な思いを抱かせるものでした。

 

この展示ではミニ・ワークシートが用意され、これを解きながらたくさんの方々が熱心に見て下さっていました。

昨年は書道などのワークショップでボランティアを務めた立教生ですが、今年はこの地震・津波の展示ブースで説明をしつつ、ワークシートに取り組むお客様を助けるボランティアとして活動しました。

小6から高1までの選ばれた生徒と、高2は上級生らしくすべての生徒が参加し、2人ずつペアになって、英国の大人の方にも子ども達にも熱心に説明をしました。

先生方が心配する暇もなく、どんどん話しかけ取り組んでゆく生徒たち。

ワークシートを解き終わってしまうと、「やることが少ない!」と頼もしい愚痴も聞かれるほどでした。

学校がはじまって1週間、生徒達の感覚はすっかり英国に戻ってきたようです。


 JAPAN祭りはさすがに大きな祭りで、たこ焼き、お好み焼き、寿司など本当にたくさんの食べ物が販売されると共に、和菓子や着物、和小物、陶器などの日本製品やら日本への旅行などまで様々な出店がありました。

武道の披露もあり、剣道のほか、金メダリストの塚田選手が実演する柔道も見られて立教生も大いに楽しみました。

 

来場している日本の方もイギリスの方も、本当に日本に興味が深い様子で、ゆかたや着物をまとった方も少なくなく、武道実演者にイギリスの方が多かったことからも、いかに日本の文化がこの地で親しまれ、定着しているのかと思わせられました。

もちろん伝統的なものだけでなく、アニメなどのコスチュームを着た英国人もいて、サブカルチャーまでも広く受け入れられている様子が窺われます。

私たち海外在住の日本人にとっては、様々な意味で客観的に日本をとらえる機会ともなりました。


 17時。祭りの午後のひと時を満喫して学校へ戻ってくると、机に向かって勉強している、おるすばんの高3生の姿が教室や図書館の窓から見えました。受験生はこの日も頑張っていました。

                         

1年ぶりの立教。何も変わっていなくて安心しました。
今回は新婚旅行でイギリスに来たので立教に寄る事が楽しみでした。
夫に今まで話していた立教での生活を実際目で見ながら紹介できて本当に嬉しかったです。
次来た時には1人家族が増えている事を祈りつつ

                 

現地の学校を見てみたい! そんな安易な考えから、自分の英語力など気にせずに希望してしまった短期留学でした。

当日になると、1週間も英語だけの生活に不安で胸がはち切れそうになっていた私を、ホームステイ先のカミーラは優しい笑顔で迎えてくれ、私の不安を取り除いてくれました。

カミーラの家はポテト農場で、ご両親と妹、弟の5人家族、それに加え、馬・犬・猫、さらにはカミーラの彼氏も家にいることが多く、とてもにぎやかで、和やかな家庭でした。

お父様は農場の仕事、お母様は看護師の仕事で忙しいためか、カミーラはとってもしっかり者で学校へも自分の運転で通っていました。

また学校では医者を目指しているため理数系の授業しか受けていないカミーラは、私に気を遣って他の人の授業を受けさせてくれたり、私と話す時はゆっくり喋ってくれたりと、私と少ししか年が変わらないのに、ずっと年の離れた大人のように感じてしまうほどしっかり者でした。

私もあと数年でカミーラと同じ年になります。

その時、自分の目指す道を決め、それに向かってしっかり歩めるよう今から努力をしなければと強く感じた1週間でした。

(中学部3年生 女子)

                       

911日晴れ。昨日新入生14名を含む全生徒が帰寮し、今日は午前10:00から第2学期始業礼拝が行われました。この日は、アメリカで起きたテロから10年、そして3月の東日本大震災から丁度半年に当たり、亡くなられた方々のご冥福を全校でお祈りし、チャプレンからは、「このことを胸に、思いを新たにして今学期も頑張っていきましょう。」とお説教を頂きました。

今学期の新入生は小学部から高等部2年生まで各学年にいます。初めての礼拝に皆緊張の面持ちでしたが、校長先生からブレザーの胸につける校章を一人一人貰うと、もう立派な立教生です。

「今日から全く新しい生活が始まりますね。不安も大きいと思いますが、すぐに慣れると思います。分からないことがあったら、周りにいる同級生、先輩、先生方に気軽に聞いて下さい。みんな親切に教えてくれます。特に赤いネクタイをしている人たちは、最上級生の高3ですから、頼りにして下さい。そして先学期の新入生諸君、君たちはもう新入生ではなく、今度は新入生に教えてあげられるようしっかり過ごしていって下さい。」

新入生に校章を渡す時にいつも校長先生がおっしゃるこのセリフですが、それが毎学期どの生徒にとっても新鮮に聞こえるのは、きっと生徒一人一人がそれぞれの新しい役割と責任を自覚して新学期への思いを新たにしているからでしょう。

今学期が実質上最後の学期となる赤ネクタイの高校3年生、2ヶ月後に迫った立教の最大イベント「オープンデイ」の成功がその肩にかかっている高校2年生…etc. 緊張しているのは新入生ばかりではなく、その横でかつて自分も新入生であった事を思い出しながら新学期に新たな思いを馳せている生徒達全員なのかも知れません。長い夏休みに大いにリフレッシュしてきた彼らが、この学期をどんな風に過ごして行くのか楽しみです。

                           

弟の送りに来るついででしたが、来てしまいました!!
いつもと変わらない風景に、少し安心しました。
帰って来るのには、まだ少し早かったような気もしますが、32
生で初めての訪問です!

                   

710日から1週間、Wolverhampton Girls High Schoolへ交換留学に行きました。充実した夏休みにしたい。それだけで希望した交換留学。私にはなんの目標もありませんでした。

交換留学では、その女子校に通っている子と21組で毎日行動を共にします。帰る場所はその子の家。ハーフタームの時とは違い、1人でホームステイです。
現地の学校の前に着き、1週間お世話になる子と顔合わせ。お父さんと3人で車に乗って家に帰る時、初めて「頼る人はいないんだ。1人で頑張るしかないんだ。」と思い、それと同時に不安でいっぱいになりました。

私がお世話になった子、フランチェスカちゃんはすごくおとなしい子でした。初めはただ緊張しているだけなのかな?と思っていたけれど、学校でもあまり友達と話さない子だったので、正直、話題作りにとても困りました。
そんなフランチェスカちゃんのことは、一緒に過ごしていくうちにわかりました。ロックバンドが好きなこと、日本語が思った以上に話せる子で、1番印象的だったのが「あなたは6時にテニスをしたいですか?」と聞いてくれたこと、楽器をやっていること。お互い、自分の母国語ではない片言の言葉で話すことがよくありました。
お父さん、お母さんもとても優しい方で、ご飯の時はいつも今日あったこと、日本のこと、私自身のことなど、たくさん話しかけてくれました。
優しい方々に恵まれたおかげで、初日の不安はゆっくりと消えていきました。
それでもやっぱり寂しさは消えなかったようで、学校で他の交換留学生に会ったりした時、とても安心したのを覚えています。

最終日は学校のSports dayでした。マニキュアを塗ってもらったり、顔にペイントをしてもらったり、一緒に競技を見たり。とても楽しかったです。
その分別れも辛くなり、号泣。また会えると分かっていても、別れというのはつらい。そう思えたことが、充実した1週間を送れた証拠ではないかと思います。

今、この交換留学を振り返ると、下手でもいいから英語をどんどん使って、相手を知ることができたかもしれない、一緒にできることがあったかもしれない。思うことがたくさんあります。
嬉しいことに、このリベンジの機会は3学期に来るので、新たな目標を達成できるように努力していきたいです。

目標の無かった私にできた新しい目標。それは堂々と英語を話す。英語が下手なことぐらい、相手だってわかってる。自信を持たなくちゃ。
一生に一度、あるかないかの貴重な経験ができて、本当によかったです。

(高等部2年生 女子)

                          

からい。熱い。舌が痛い。

はじめて本格的なインド料理を食べたからこんな感想しか持てなかった。

見た目は普通のトマトスープなのにその中には大量のトウガラシや香辛料。

これでも私のために少なくしてくれたのだとか。

20人前は作れそうなお鍋と向き合うお父さんは真剣そのもので、その横でナンのようなパンを焼くお母さんも1つ1つ慎重に焼いていた。
 
私が短期留学中にホームステイしたのはインド人のお宅。お父さん以外は卵もお肉も食べないベジタリアン。

そしてもちろん、みんなからいものが大好き。

からいピラフにからいソース、からい炒め物・・・。

私の味覚は1週間ですっかり変わってしまい、今までからいと感じていたお菓子を甘く感じるほどだった。
 
料理のほかにもインドらしい部分が生活の中にたくさんあった。

音楽もドラマもインドのものだったし、おばあちゃんはいつもサリーを着ていた。

そのおばあちゃんはヒンドゥー語しか話せないので、私は直接話すことはできなかったが、笑顔や身振りだけでも気持ちは十分に通じた気がする。
 
私はホームステイ先で初めて言われた言葉でとても嬉しいものがあった。

それは「この家を君の家だと思いなさい。」本当の家族のように思ってくれているのがすごくうれしかった。

その言葉通り、今まで以上にいろんなことを話せた気がする。

ヨーロッパ市場における日本企業の話や、手相占い、インドの風習など分かりやすい言葉で説明してくれて、私がしゃべるのに時間がかかっても待って熱心に聞いてくれるので会話を続けることができた。
 
イギリスにいながらインドにどっぷりつかった1週間。

忘れられない貴重な経験ができた。
 
(高等部2年生 女子)

             

卒業してから、23年ぶりに訪問致しました。
一部の建物が増設されたものの、昔からある本館、新館、イーストハウスなどの建物や敷地内にある大きな木々は昔と何も変わらず、この地に残っていた事を嬉しく思いました。
多くの良き先生や友人達に、このような恵まれた環境で出会えた事は、非常に貴重な体験であり、自分の人生の一部として大きく刻まれているのだなという事を、この年(41歳)になってこうして訪問して改めて感じました。
又是非、昔と変わらない立教を見に訪れたいと思います。
本日はお忙しい中、学校内をご案内して頂いた奥野先生に感謝致します。
ありがとうございました。

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