
卒業以来初めて訪問させていただきました。
諸々ご迷惑をおかけしてしまい申し訳なかったのですが、先生方のあたたかいお心遣い、優しさに触れ、元気を取り戻すことができました。本当に感謝してもしきれない位です。立教生で良かったなぁ、と今日ほど強く感じたことはありません。どうもありがとうございました。
今度は恩返しに来たいなぁと思っております。
卒業以来初めて訪問させていただきました。
諸々ご迷惑をおかけしてしまい申し訳なかったのですが、先生方のあたたかいお心遣い、優しさに触れ、元気を取り戻すことができました。本当に感謝してもしきれない位です。立教生で良かったなぁ、と今日ほど強く感じたことはありません。どうもありがとうございました。
今度は恩返しに来たいなぁと思っております。
先日ロンドンで行われた茶道裏千家の15代お家元(前代のお家元で、現在は大宗匠とおよびします)による講演会を、茶道部として聞きに行かせて頂きました。
講演の内容は、文化という「最高の教養」を通して、自分や世界を見つめ直すべきだというものでした。
これだけだと難しいことを話されていたように思いますが、そんなことはありません。
茶道を知らない人にも、英国人の人にも、分かりやすい人間本来のあるべき姿を教えて頂きました。
私が覚えている範囲で聞いたことをお伝えしたいと思います。
まず「無」の教え。人間は生まれた時には「無」であったということ。
それが生きていくうちに欲ばりになってしまっているということ。
今回の地震でも分かったように、いつ「無」になるか分からないからこそ自分の生き方を常に意識するように、とおっしゃっていました。
そして、同じお茶でもペットボトルのものをグラスに入れて両手を添えて相手にだすことでよりおいしく頂くということが「心の優しさ」なのだとおっしゃっていました。
また、英国の紅茶、日本の緑茶の例を出して、「お茶を見つめながら相手を大事にする」ということを教えて頂きました。
この他にもお茶のお点前が弓道やカトリックのミサに似ていることなど、たくさんの興味深いお話を聞くことができました。
一見堅苦しいように見える茶道ですが、「相手を思いやること」、「全てに感謝すること」など、様々なことに気づかされると思います。
今は茶室で、正座ではなくあぐらをかいていいようになったそうで、よりたくさんの人が気軽に茶道に触れられたらな、と思います。
講演会の前、ホールの前にいると、大宗匠が話しかけて下さって、少しですが話すことができました。
立教生だと言うと、自分は同志社で姉妹校ですね、とおっしゃって、昔立教大学を卒業したお友達に教わったという歌を歌っていらっしゃいました。
こんな貴重な経験ができたことを、私は絶対に忘れません。
最後に、講演会で一番印象に残った千利休の言葉を。
「はじをすて人に物とい習うべし これぞ上手の基なりける」
(高等部2年生 女子)
学校が始まってから1週間が経ち本格的に2学期が動き始めた第2週目、9月20日に全校写真撮影が行われました。
天気は曇り、風の無い穏やかな朝だったので、写真撮影には最適。午前中の授業が始まる頃から撮影業者が来て体育館の隣の校庭に大きな足場を組んでいきます。全校生徒、日本人・イギリス人の全教員、キッチンスタッフやドメスティックスタッフ、事務のイギリス人など学校にいるあらゆる人たちが毎年同じ写真の中にその年その年の姿を収めます。先週入学したばかりなのにもうすっかり友達と打ち解けている新入生達、そして去年の写真撮影後に入学した生徒達にとっても今回が初めての全校写真撮影です。
2時間目が終わると全員中庭に集合。背の順に並んでから高校3年生を先頭に撮影場所に向かいました。撮影スタッフの指示に従って足場を登り、赤ネクタイの高3が全員並び終わったところで、撮影スタッフが何気なく言いました。
「さぁ、真ん中にいる君たちがお手本だからね。しっかり並んでいてくれよ。君たちを見て他の生徒達も台に上がって並んで行くんだからね。」
そのセリフが妙に意味深く思えたのは、彼ら高3にとってはこれが最後の全校写真撮影であり、そして始まったばかりのこの学期が実質上最後の学校生活である事をふと思い出させてくれたからかも知れません。自分達が最高学年の赤いネクタイをして写る最後の写真、いつかこの日がくる事は知っていても、いざその時がくるとその思いはちょっと複雑なようでした。精一杯の笑顔を浮かべながら今年の高校3年生も貫禄十分な姿でその大きな写真の真ん中にしっかりと収まりました。
八月の上旬に家族全員で富士山に登りました。
山岳ガイドツアーを利用する人も多いのですが、私たちはフリーで挑みました。
まず五合目に着き、一時間くらいのんびりして、それから登り始めました。(いきなり登ると、高山病になりやすくなるためです。)
五合目から六合目まではなだらかな坂道のため、頂上までもすぐ行けるだろうと思ったのが間違いでした。
登り始めてすぐに私は、空気が少ないせいか疲れてしまい、『休みたい』と思いました。
けれども、いくらなんでも早すぎるので我慢をしました。
しかし、写真を撮る余裕もなくなり、だんだんつらくなり休みました。
母と父は全然疲れていないため、自分一人で帰るということも考えました。
辺りを見渡すと木がたくさんあり、緑のにおいがして、うぐいすの鳴き声が聞こえました。
風で根っこがぬけているにもかかわらず、決して倒れない木々があることにも驚きました。
新たに生きようとしている生命力に勇気づけられ、六合目に到達できました。もう私はへとへとでした。
それから休みをたくさん入れながら、七合目に着きました。
そこからは六合目に置いてある黄色いブルドーザーはとても小さく見え、大きな達成感が感じられました。
そしてあと一合登れば宿が待っていると思い、頑張って登り始めました。
しかし、私を待ち受けていたのは岩だらけの坂でした。私は本当に下山したいと思いつつ、体は登っていました。
祖母が三度挑戦し、最後ははって登っていった岩だらけの登山道を、私はよじ登り続けました。少し進んでは休みの連続で、途中から霧雨が降ってきました。
そして、私たちが泊まる宿が見えた時は、体が暖かくなりました。
宿に足を入れた時、宿のおじさん、おばさんが「お疲れ様です!」と言ってくれたのが、とても嬉しかったです。
けれどもあまりにも疲れていたせいか、夕食のカレーライスは、ほとんど食べられませんでした。
それに加えて山小屋はぎゅうぎゅう詰めの中、寝なくてはいけません。朝食もほとんど食べられませんでした。
二日目になり、今は夜中の〇時半です。
雨がどんどん強くなる中、ヘッドライトをして歩きました。
その景色はテレビでよく見た光が連なる景色と同じでした。
しかし途中の宿で休みを入れたせいか、人がさっきより少なくなっていたため、心配になりました。
嵐の中一生懸命進みます。大雨と台風並みの強風に体はどんどん冷えていきます。
水などの入った重たいリュックが肩にズシリとくいこみます。
少し下を向いて、首からレインコートの中に雨が入り込まないようにしました。
それから少し時間がたち、ツアーの人たちを見つけたため後を追おうと思ったら、追い出されてしまいました。
どこが山道か分らないくらい真っ暗です。
しかたなくヘッドライトで道案内用の反射板を照らしながらロープがはってある道をどんどん進みました。
無言のまましばらく経つと、嵐の中に宿が見え、そこまで頑張ろうと思いました。
だんだんと宿が近くなるにつれて人が見えてきました。宿も人も見える前は、「つらい」「死ぬ」などマイナスの言葉しか頭に思い浮かびませんでした。
宿で一休みしました。おしるこを30分位かけてゆっくり飲みます。
なぜなら飲み終わると出ていかなければならないからです。
宿の人には「頂上に行くのはおすすめできません。」と言われました。
団体客は山岳ガイドの判断で下山が決定されたそうです。
しかしここで引き返したら、あの苦しくても進んだ道をまた登らなくてはいけません。私たち親子は頂上に向かいます。
途中から雨が止み風だけになりました。
頂上目指して登っていると、きれいな星空が見え始め、希望が見えてきました。
その時私は、心の中にあった雲が消えたように気持ちが晴れました。
鳥居をくぐり、頂上に着きました。その時は、足が痛かったです。
始めは信じられませんでした。六合目で疲れていた私が、頂上に着いたのです。
空がうっすらと明るくなってきました。頂上でご来光を見て、影富士も見ました。
お鉢巡りもできました。
私は登頂をあきらめなくて良かったとしみじみ感じました。
今回の富士山は私にとって大きな自信となりました。そして楽しい思い出として深く心に刻まれました。
剣が峰にある3776mの石に足をかけて写真を撮り、下山しました。
心の中では一生に一度だけの大切な思い出になったと思いました。
なぜならもう二度と登りたくないと思ったからです。
(中学部1年生 女子)
9月18日、さわやかな秋の日曜日、立教英国学院はロンドンへ『JAPAN祭り』に外出してきました。
このイベントは、一昨年からはじまった大きな催しで、英国内の企業が出資し、様々な出店や企画がもうけられ、イギリスの方も在英の日本の方もとても楽しめるものです。
今年はテムズ川向こうにビッグベン(国会議事堂)を、また目の前にロンドン・アイ(大きな観覧車)を仰ぐ、にぎやかで風景の良い場所で行われました。
今年は特に、東日本大震災から約半年、JAPAN祭りでも地震や津波の展示が設けられました。
被災者の絶望と未来を見据えた力強い言葉の数々が英訳されており、メディアがまとめた書籍や日本語・英字新聞なども手にとって見られるようになっていました。
バイオリンの奏でる日本の音楽をBGMに、亡くなった命やこれからの日本の復興など、様々な思いを抱かせるものでした。
この展示ではミニ・ワークシートが用意され、これを解きながらたくさんの方々が熱心に見て下さっていました。
昨年は書道などのワークショップでボランティアを務めた立教生ですが、今年はこの地震・津波の展示ブースで説明をしつつ、ワークシートに取り組むお客様を助けるボランティアとして活動しました。
小6から高1までの選ばれた生徒と、高2は上級生らしくすべての生徒が参加し、2人ずつペアになって、英国の大人の方にも子ども達にも熱心に説明をしました。
先生方が心配する暇もなく、どんどん話しかけ取り組んでゆく生徒たち。
ワークシートを解き終わってしまうと、「やることが少ない!」と頼もしい愚痴も聞かれるほどでした。
学校がはじまって1週間、生徒達の感覚はすっかり英国に戻ってきたようです。
JAPAN祭りはさすがに大きな祭りで、たこ焼き、お好み焼き、寿司など本当にたくさんの食べ物が販売されると共に、和菓子や着物、和小物、陶器などの日本製品やら日本への旅行などまで様々な出店がありました。
武道の披露もあり、剣道のほか、金メダリストの塚田選手が実演する柔道も見られて立教生も大いに楽しみました。
来場している日本の方もイギリスの方も、本当に日本に興味が深い様子で、ゆかたや着物をまとった方も少なくなく、武道実演者にイギリスの方が多かったことからも、いかに日本の文化がこの地で親しまれ、定着しているのかと思わせられました。
もちろん伝統的なものだけでなく、アニメなどのコスチュームを着た英国人もいて、サブカルチャーまでも広く受け入れられている様子が窺われます。
私たち海外在住の日本人にとっては、様々な意味で客観的に日本をとらえる機会ともなりました。
17時。祭りの午後のひと時を満喫して学校へ戻ってくると、机に向かって勉強している、おるすばんの高3生の姿が教室や図書館の窓から見えました。受験生はこの日も頑張っていました。
1年ぶりの立教。何も変わっていなくて安心しました。
今回は新婚旅行でイギリスに来たので立教に寄る事が楽しみでした。
夫に今まで話していた立教での生活を実際目で見ながら紹介できて本当に嬉しかったです。
次来た時には1人家族が増えている事を祈りつつ…
現地の学校を見てみたい! そんな安易な考えから、自分の英語力など気にせずに希望してしまった短期留学でした。
当日になると、1週間も英語だけの生活に不安で胸がはち切れそうになっていた私を、ホームステイ先のカミーラは優しい笑顔で迎えてくれ、私の不安を取り除いてくれました。
カミーラの家はポテト農場で、ご両親と妹、弟の5人家族、それに加え、馬・犬・猫、さらにはカミーラの彼氏も家にいることが多く、とてもにぎやかで、和やかな家庭でした。
お父様は農場の仕事、お母様は看護師の仕事で忙しいためか、カミーラはとってもしっかり者で学校へも自分の運転で通っていました。
また学校では医者を目指しているため理数系の授業しか受けていないカミーラは、私に気を遣って他の人の授業を受けさせてくれたり、私と話す時はゆっくり喋ってくれたりと、私と少ししか年が変わらないのに、ずっと年の離れた大人のように感じてしまうほどしっかり者でした。
私もあと数年でカミーラと同じ年になります。
その時、自分の目指す道を決め、それに向かってしっかり歩めるよう今から努力をしなければと強く感じた1週間でした。
(中学部3年生 女子)
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