「イギリスの文化にふれて」

日本に文化があるのと同様に、イギリスにも文化が存在する。その文化に触れることのできるホームステイは私の秘かな楽しみになっていた。
イギリスの家庭にホームステイをすると、あぁ、これが外国の家なんだというものがちらほらと見つけたりすることが出来る。例えば、シャワールームとバスルームが2つ存在し、トイレもそこに2つ備わっている。テレビルームとダイニングルームは分かれているのでテレビを見ながらご飯など食べない。こういった日本との違いを見ていくと、面白いものなのだが、一番何が興味深いかと言えば、それは「庭」である。
私がホームステイをしてきた家庭はだいたい自分の家の庭を持っていた。その庭はすべて個性で溢れかえっているため、重なることはほとんどない。私はホームステイ先の庭を見るのが楽しみで仕方なかった。
今回のホームステイ先の方が大のガーデニング好きで、自分の庭の話を沢山してくれた。池が2つあり、花と草の色合いを気にしたりして工夫してあるその庭は、広くてとても居心地のよい庭に出来上がっていた。
どうしたらこんな庭ができるのか?そう思った私の疑問を予想していたかのように、ホームステイ先の人がある日、ガーデニングショップに連れて行ってくれた。ガーデニングショップでまず私達が見つけたのは、草木や花の売っているコーナーだった。ここで、私が驚いたのは日本の草木や花々が多いことだ。イギリスの庭に日本の草木達が植えてあるのかと思うとそれだけで嬉しくなった。もちろん、日本だけではなく他の国々から来た植物達が沢山あった。
次に行ったのは池や魚のコーナーだ。ここで私が驚いたのは、池はなんとバケツのようなもので、地面に埋めるタイプのものだったのだ。その優れた発想に私はお腹をかかえて笑った。
イギリスの中は様々な庭が辺りに広がっている。私は、一度すべての庭を見てみたいものだと心底思った。
(高等部2年生 女子)

                                                 

先週の金曜日に続き、今週の金曜日も、立教生は校外にくりだしました。

ウィンブルドンのテニス観戦です。チケットの予約は取れたのか?心配ご無用です。朝5時に起きて、みんなで並ぶのですから。

 

バスに揺られること1時間半、住宅街を抜けて突然現れたウィンブルドンの会場前は、朝の7時前だというのに長蛇の列でした。しかし友達と、学校からの朝食用パンとお菓子があれば、待ち時間もあっという間です。それに加えて、素晴らしいお天気。気分はテニス観戦へまっしぐらです。

 

 会場に入り、まずは集合写真を撮りました。一刻も早くテニスを観戦したくてウズウズしている生徒、早く色々と見て歩きたくてウズウズしている生徒、早く色々食べたくて迷っている生徒・・・ウィンブルドンの楽しみ方は人それぞれです。

 

 さて、多くの生徒と教員のお目当ては、錦織選手のダブルスでした。一番前の客席に一試合前から陣取ると、右も左も、そして反対側の客席にも、立教生が大勢陣取っていました。試合の結果は、逆転勝利。第一セットは取られてしまいましたが、最終セットは完全に錦織選手ペアの流れでした。テニス観戦初心者も、後半戦の追い上げには大興奮でした。

 

ウィンブルドン名物のひとつに、イチゴに砂糖とクリームをかけた物があります。もちろん、立教生にも大人気です。先輩からしっかりと情報をもらって、ウィンブルドンに初めて来た生徒も「イチゴとアイスクリームは絶対食べます!」と大張り切りでした。

 

 集合時間に、指定場所へ行ってみると、生徒たちは学年関係なく釣果報告会ならぬ、お土産物、食べたもの報告会が行われていました。

「なに買ったの?」

「誰のサインもらったの?」

「写真撮っちゃった!」

「見てみてこのお土産!」

 

 最高の天気に恵まれ、良い試合を観戦でき、いいお土産も買うことができ、後はゆっくりバスで帰るだけ・・・と思いきや、帰りのバスの中でも話が尽きることはなく、最後まで元気な立教生でした。

 

                                   

H1のアウティング。

まず、向かった先は、世界最大の規模を誇り、博物館の王様と呼ばれている大英博物館。

世界史の教員によって、展示物の説明を受けながら、生徒達は、しっかりと作り込まれたアウティングのしおりの中にあるワークシートに重要事項を書き込みながら熱心に観ていました。

大英博物館で一番の人気は、誰もが知っている「ロゼッタストーン」。

ロゼッタストーンの前は、常に人だかりができています。

そんな人だかりにもめげず、熱心に石に刻まれている文字を読み解こうとする生徒たちの姿勢に胸が熱くなりました。

 

次に向かった先は、UCL(University College London)。世界を代表する名門大学です。

映画にもなった長州ファイブ(井上馨、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤博文、井上勝)等、幕末から明治維新にかけて、松下村塾出身者を中心とする、日本を変えた偉人たちもUCLで学びました。

ガンジー、夏目漱石、小泉純一郎もUCL出身です。

UCLの大学教授をなさっている大沼先生が、特別に立教の高校1年生のために講演をして下さいました。

「今現在、日本では鎖国化が進んでおり、今の若い人達は海外に出ようとしない。実際に、海外の有名大学には他の先進国と比べて、日本人の生徒や教授が少ない。このままでは、日本の将来は危ない。海外経験がある人は、柔軟性があって活躍している人が多い。海外の有名大学は日本の有名大学に比べると入学しやすい。ぜひ、立教生も挑戦してほしい。」とおっしゃっていました。

その話しぶりから、海外に住んでいながらも日本に対する強い愛国心が感じられました。

そして、「研究は麻薬みたいなもので、熱中すると時間を忘れてしまう。とても楽しい。

君たちもぜひ、好きなことをやって欲しい。」と講演を締めくくりました。

講演を聴いている生徒の顔は真剣そのもので、さまざまな質問が飛び交いました。

実際に海外の大学に勤務されている先生ならではの非常に貴重なお話でした。

講演後には大沼先生に案内してもらって長州ファイブの名前が刻まれている記念碑で記念撮影をし、UCLを後にしました。

雨の中のアウティング、生徒達の晴れやかな顔が一段と輝いていました。

                             

毎年1学期と3学期に行なわれる恒例の漢字書き取りコンクールが613 日曜日夜に実施されました。

問題は100題。

漢字書き取り問題集から92問、ウルトラCと呼ばれる難問8問。ウルトラC8題中5題は「気象に関する自然現象についてのことば」より出題されました。

ウルトラCの問題を少し紹介すると、

光化学「スモッグ」注意報

「そよかぜ」がきもちいい

「ミイラ」を見に行く

など。1学期は高等部3年生最後の挑戦となる為、例年飛躍的に点数を伸ばす者が多くいます。

翌朝貼り出された速報(80点以上の者)に生徒達は群がり歓声をあげていました。

高校3年生は学年の半数の16名の名前が載り、最上級生の貫禄を示しました。

最高点は93点。中学生でも90点以上とった生徒もいました。

次回3学期のコンクールが楽しみです。

 

 

漢字書き取りコンクールの問題はこちらから。解答はこちらから。

                      

528日午後、ハーフタームホリデイの始まり。

今年は、69名の生徒たち(昨年の2倍弱)がホームステイをしました。

一家庭に24人、28の近隣の村や町の家庭にお世話になりました。

出発の時間になると、生徒たちは荷物を持って教員室の前に集まってきます。

昨年のホストファミリーを見つけて駆け寄っていく生徒もいました。

初めての生徒は、ちょっと不安な様子ーでも、迎えに来てくれたホストファミリーと笑顔で挨拶、自己紹介をして車に乗り込んでいきます。

今年のハーフタームは、天候に恵まれ、すばらしい一週間を過すことが出来たのではないでしょうか。

多くの家庭でバーベキューパーティーを開いてくれたり、あるいは海沿いの町や景色のよい丘の上に連れて行って、英国の最もすばらしい季節を楽しませてくれたことと思います。

65日昼食後、ホームステイから生徒たちが続々と学校に帰って来ました。

車から降りて、荷物を降ろし、ホストファミリーと別れの挨拶をしている生徒たち。

にこにこと「ありがとう」と言う者、泣きそうになりながら握手をする者、“Good luck !” と言われて苦笑いをする者(高校3年生)と別れは様々ですが、みんな一人ひとり、楽しく充実した一週間を過ごしてきたようでした。

 

★★★ ハーフタームについての生徒たちの作文はこちらからご覧頂けます。★★★

 

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今年度から始まった1学期のアウティング、小・中学生はLyme Regisという小さな海辺の町に化石採集に出掛けました。

ここ数日ぐずついた天気が続き、この日も朝から曇り空。時折小雨がちらつく生憎の天気でしたが、予定通り9時前には学校を出発。西に向かって長いドライブが始まりました。Lyme Regisへの道はすべて一般道、高速道路がないので3時間以上の道のりです。最初はしゃいでいた生徒たちもいつの間にかウトウトし始め、気がつくとコーチはパッチワークのような田園風景の中、細くくねくねと続く田舎道を走っていました。古くて小さなLyme Regisの町にコーチが入っていく頃、その夢見心地の時間が数億年前の化石との遭遇というタイムスリップ気分を演出してくれていました。

カモメが沢山舞っている海辺の広場で、早速学校から持ってきたサンドイッチや果物を頬張り軽い昼食をとりました。美味しそうなランチめがけてスーッと降りてくる大きなカモメたちと怖々戯れながらお昼ご飯が終わると、いよいよ化石採集ツアーの始まり。大きなリュックを背負って長靴を履いたガイドさん達が登場しました。地質学者のパディーさんと動物学者のクリスさん。ちょっと変な組み合わせですが、彼らが言うには、「化石が僕達の接点なんだ。」とのこと。
どちらも「本当に化石が好き」という気持がひしひしと伝わってくる話しっぷりで、最初の解説を聞きながら、気分はもう1億年以上も前のジュラ紀へ行っているようでした。 

カモメが沢山いた海辺の広場からMuseumの前の小道を過ぎて階段を降りると、ごろごろと石が転がる浜辺に出ました。既に遠くまで潮が引いていて、海藻やぬかるんだ砂地を注意深く進んでいくと、先頭のガイドさんの周りに生徒たちが集まり始めました。皆でかがんでいるところを見るとどうやら最初の化石が見つかった様子。
「これは多分1、2メートルの魚の骨のものだな。そして、こっちはイカみたいな生物のもの。はい、これあげるよ。」
一見、ただの石にも見えますが、確かにさっき説明の時に皆で見た化石と同じ形をしていました。
「あのー、アンモナイトはないんですか?」ポツリと中1の生徒が聞きました。
「大丈夫、ちゃんと見つかるよ。もう少し先にいってみよう。」

心配していた雨はまだ降らず、グレーの空は化石採集にはピッタリの天気にも思えてきました。お揃いの学校のウィンドブレーカーを着て、みんなで下を見ながら歩いているのはちょっと不思議な光景でした。「これ、化石ですか?」ちょっと変わった模様がついている石が見つかると、ガイドさんのところに持っていって聞いてみます。「よくやったね、その通り!ほら、ここにあるのもそうだよ。」この頃から生徒たちはそこここで皆しゃがみこんで石をころころとひっくり返し始め、「あっ!見つけた!」「これも!」とあちこちで歓声があがりました。
ガイドさんと一緒に歩いて、ガイドさんの見つけた化石をどんどんもらっている要領のいい生徒、無言で石をひっくり返しながら黙々と化石探しを続ける生徒、ワイワイはしゃぎながら浜辺を行ったり来たりしている生徒 「あっ!アンモナイト!!」ひっくり返した石の裏に教科書の写真で見た通りのアンモナイトの模様が本当についている! ーこれにはやはり大感動でした。

やがてポツポツと雨が降り始めましたが、皆、夢中で化石探しを続けました。重そうな石を持ち歩く生徒にその石を見せてもらうと、確かにアンモナイトのクルクル模様がきれいについています。「そんな大きな石、本当に持って帰るの?」「ハイ!勿論!」嬉しそうな笑顔で答えてくれました。

雨脚が少し強まってきた頃、ガイドさんが生徒たちを呼び集めました。「こういう薄めの石は割ってみると中に化石が入っていることが多いんだ。6つに1つくらいの確率でね。」そう言って採取用のハンマーで早速コンコンコン。その石が パカッと上手く割れたとたんに生徒たちからは大歓声! 一つ目から大当たり! 断面にきれいなアンモナイトの化石がいくつも並んでいました。写真を撮りながら、ガイドさんの華麗なハンマーさばきをしばし観察。ハンマーの尖った部分と平たい部分を上手く使い分けて、次々と新しくできる断面をチェックしていく手さばきはまさにプロフェッショナル。固い石のはずなのにまるで何か他の物体のように簡単に扱っているのがとても不思議でした。

ガイドツアーが終わる頃にはすっかり雨になっていましたが、生徒たちは皆大満足。採集した石をバッグや袋に入れて集合しました。ガイドさんにお礼を言って別れたあとは、グループに分かれて、Museumの見学をしたり、お土産屋さんをみてまわったり、コーヒーショップで温かい飲み物を飲んだりしました。

体が温まるとまた元気が出てきて帰りのコーチの中では大はしゃぎ。楽しく過ごした1日のことを、学年を超えて皆で話しているのを見ると、家族旅行で家路に着く時の気持を思い出しました。このまま家に着かなければいいのに そんな楽しい一日でした。

 

                                       

6月19日日曜日、ギター部のコンサートがありました。
高校2年生のメンバーが初めて単独で開くコンサート。

先学期先輩達と一緒に行ったコンサートとはまたひと味違った初々しいコンサートとなりました。
今学期は例年に増して学校行事が続き、練習時間も侭ならないまま本番を迎えましたが、コンサート会場になったニューホールには開演前から続々と生徒たちが集まり始めました。
「まずはオープニングの曲から始めます。」と挨拶した部長自らギターの巧みな演奏を披露。

その後、今学期から加わった女子バンドも含め、合計10曲以上の演奏が続きました。日曜日の午後、受験勉強で忙しい高校3年生も、勉強の合間を縫って後輩の初めての単独コンサートの応援に駆けつけ、約1時間半のコンサートは、小学生から高校生まで沢山の人達と一緒に大いに盛り上がりました。
最後は「来学期のコンサートはもっとすごい曲を披露します。また聴きに来てください!」という部長の挨拶で締めくくられ、次のステージへの意欲を見せてくれました。

                                              

6月17日金曜日。
朝起きると、今にも泣き出しそうな空模様。
「せっかくのアウティング(遠足)なのに。」
やや残念な思いはするものの、「今日はほとんど室内だから。」と気を取り直して出発し、向かったところは、ロンドンはBATTERSEA近くの漱石記念館です。
今から約100年前、私たちと同じようにイギリスに住まって「おお!」「こんちくしょう!」「なんだろう、あれは!」などと喜怒哀楽のもとに毎日を送っていた人物です。
H2
の今日のアウティングは、午前中は漱石記念館、午後はイングランド銀行。今までにない新しい取り合わせでした。

漱石記念館は、春に裏千家ロンドン出張所から特別行事のご案内をいただいたところ。2学期の国語の授業で『こころ』を学ぶこともあって、「これはチャンス」と予定に組み込まれました。
このため、H2では6月から漱石の『自転車日記』を毎日ホームルームで、朗読当番の生徒と共に全員で少しずつ読んでいました。
実は金曜日は開館日でなかったのですが、快く訪問を承諾して下さいました。
案内して下さったのは、記念館を創設された恒松氏のご夫人。
漱石がなぜイギリス留学することになったのか、この記念館は5つ目の下宿の真向かいに位置していることや、
彼がなぜ2年の留学生活で5回も下宿をかわったのか、どんな思いで毎日を送ったのか、なぜ帰国したのか。
漱石の気持や息づかいが感じられるような、面白いお話をうかがい、見学しました。
 
何よりも、
 漱石は文部省の留学生だったけれども、十分な資金が提供されず、大学に入ることが不可能だったこと
 そのために、本を買って独学し、また大学教授や知識人に附いて個人教授で学んだこと
 少ない資金を勉学に費やすために、安い下宿を求めて何度もかわることになったこと
 社交が十分できるほど経済的余裕がなかったので、下宿の食事を摂る時間が英語を使う貴重な機会だったこと
 そのために、きちんとした英語を求めて教養のある階級のお宅を求めたこと
漱石その人の苦悩や前を向いて歩む姿に、感銘を受ける思いでした。
単身赴任だった彼が、何度手紙を送っても妻から届く手紙は少なくて、寂しい思いもしていたそうです。周辺散策中、彼が使ったに違いないビクトリア朝の郵便ポストを見て生徒がぽつり。
「なんて書いた手紙を投函したんだろうねぇ。」
「奥さんに『もっと手紙頂戴』って書いたんじゃないかなあ。」
インターネットや電話がある今でも、両親のもとを遠く離れて寮生活を送る生徒にとって家族との対話は欠かせないものです。彼らの心に響いたのでしょう。
 
さらに
 漱石の作家としての活動は、イギリス留学後、亡くなるまでのたった10年間だったこと。(意外です!)
 近代化のすすむ時代、東京帝国大学で英文学を学んだ2人目の学生で、期待の星であったこと。
 イギリス留学時代に同居していた化学者・池田菊苗氏の影響で、文学を科学的見地からも解き明かそうとしたこと。
 とにかく本をたくさん買いあさり、帰国時には300冊にもなっていたこと。
なかなか面白い話をたくさん耳にすることができました。
膨大な本の一部は、同じ物が買い集められ、今、漱石記念館に収められています。
 
昼食をピカデリー・サーカス付近の繁華街でとると、午後はイングランド銀行の博物館へ。
ふだんなかなか訪れない『ロンドンのシティー(ビジネス街)』の様子は、車窓から物珍しく目に映りました。イングランド銀行は、日本では日本銀行にあたるところ。ドルが基軸通貨となるよりも以前に、世界に大きな影響を与えた1694年設立の銀行です。入ってすぐの、インフレーションのバランス取りや、クイズを解き明かしつつ金庫開けなど、子供の心をぐっと掴む展示の数々に、立教生は大興奮でした。もちろん紙幣の歴史や、コイン刻印の機械、第一次世界大戦後の1000ポンド札、金塊を持つ体験コーナーなど、学術性の高い展示にも目を奪われている様子でした。一番人気があったのは、様々な歴史的紙幣の展示室だったでしょうか。
 
勉強色の強い遠足だったとはいえ、思わぬ面白さに、恒例のアウティングワークシートをちょこっと忘れてしまうほど、大満足して帰って来ました。
もう5年しますと、夏目漱石没後100年の年がやって来ます。

                                 

家に戻ってから、資料のDVDを拝見させていただき、在学中はなんとも思っていなかった先生方のご苦労などが今の私の年代になってひしひしと伝わってくるものがありました。
問題児ばかりの学年でしたし(13期の上下含む)、先生方を煙たがっているような感もあった私たちでしたが、立教英国を訪れた卒業生は口を揃えて「それでも笑顔で迎えてくれ、どこにも負けない、いい学校」と言います。

今の私たちがあるのは、あの厳しかった指導と生活だったと思っております。(今は甘いのでは?)
学校経営も会社経営と同じように大変でしょうが、私たち卒業生はいつまでも存続していてほしいと願っており、また現在も卒業生の子供たちが入学しているように自分たちの子をできれば入学させたいと思っているのが皆の正直な気持ちなのではないでしょうか。
私もまたできれば自分の子を入学させたいとは思っておりますがそれは私の努力次第ですので、入学させることができるように頑張りたいと思っております。

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