天候に恵まれた4月17日日曜日、多くの保護者の方にもご参列いただき2011年度入学始業礼拝式が本校チャペルにて執り行われました。35名の新入生を迎え、全校生徒116名での新学年スタートです。

 

新入生はひとりひとり名前を呼ばれ、校長先生から制服の胸につけるバッジ(スクールエンブレム)をいただきました。受け取る新入生の面持ちからは不安と緊張の様子が伝わってきます。

それを見守る在校生も自分がバッジをもらったときの初心を思い出しているのでしょう。

自分が先輩たちに優しくしてもらった感謝の気持ちは新入生に同じようにしてあげることで返していくことが立教生の一番いいところだという校長先生の言葉に胸の中でうなずく生徒は多かったはずです。

特に昨年入学した生徒は今や自分が新入生の面倒をみる立場になったことに改めて気が付き、誇らしさと責任を感じているようでした。

式の終了後、それぞれの新入生はバッジを胸に縫いつけ立教生活の第一歩を踏み出しました。

夕食のテーブルでは先輩たちにテーブルマナーを教えてもらったり、食器の片付け方など当番の仕事を教えてもらったり、新しい生活に慣れようとしている新入生とそれをサポートしようとする先輩たちの姿が見られました。

この新入生達も来年にはしっかり後輩の面倒を見てあげられる立教生となることでしょう。

 

(入学始業礼拝 校長祝辞はこちらご覧になれます。)

 
  
  
   

       

     毎年新入生が本校に入学する頃、キャンパスのあちこちで新しい命が誕生します。

今年も中庭の花壇の茂みの中で卵を温めるマガモの母鳥の姿が見られました。

教員室入口の花壇の茂みの中では雉の母鳥がやはり卵を温めていて、生徒達にも、「花壇には近づかないように。」とホームルームで連絡がありました。

 

生徒達が入寮した丁度翌日、「駐車場の横の池でマガモの雛たちがたくさん遊んでいますよ!」との報告がありました。

中庭の茂みを確認すると、昨日まできれいに並べられて温められていた卵が、みな2つに割れてその殻がひっそりと茂みの中に残されていました。

池に近づいていくと、孵ったばかりの雛たちのかわいい鳴き声が聞こえてきます。

10羽、いや、20羽近くの雛鳥たちが、ふさふさの毛をきらきら輝かせながら水の上を忙しそうに行き来していました。

与えられた新しい命を嬉しそうに謳歌しているようにも、何をしていいのかそわそわと困っているようにも見えましたが、ひとつ確かなことは、いつも母親の近くで動き回っているということそれぞれが思い思いに遊んでいるようにも見え、それでいて母鳥がスーッと水の上を移動すると、雛たちもまた忙しなくその後をついて行きます。

卵から孵ってまだ数時間なのに母親を追う本能というのは凄いものです。

 

何羽かの雛が時々水から上がろうと試みていましたが、結局ズルズルズルとまた水の中へ逆戻り。

小さな体ではまだそれは無理なのかな、思わず吹き出してしまいそうなくらい愛らしい光景でした。

が、突然、母鳥が水から上がって岸の上へ。

すると雛鳥たちは母親について一斉にバタバタと水から上がろうとします。

何度も何度も失敗する雛もいて、思わず「頑張れ!」と声を掛けたくなりましたが、しばらくすると、皆無事に上陸完了。

母鳥の後ろにお行儀よく並んで、今度は駐車場の方へ行進を始めました。

なるべく音をたてずにゆっくりついていきますが、思いのほかマガモ親子の足どりは速く、気がつくとあっという間に車の間を通り抜けて体育館前の芝生まで移動。

その間も母鳥が時々立ち止まっては辺りの状況を確認していましたが、その度に子供達もぴたりと行進をやめ、その場でそわそわと足踏み状態。

頭数を数えてちゃんと点呼をしているのかどうかはよくわかりませんが、20羽近くの雛たちが1羽もはぐれることなく数百メートルの移動をしていたのにはビックリでした。

 

体育館の前を通り過ぎると、一行は金網の下をくぐってサッカーピッチの芝の方へ消えていきました。

そんなに遠くまで行って、ちゃんと元の池に戻ってこられるのか心配でしたが、後で理科教員に聞いたところ、「一度出て行ったら、もうあの池には戻ってきませんよ、いつもは」とのこと。

今度あの池に戻ってくる時には、立派な親鳥として戻ってくるのかも知れません。

 

     こちらでマガモ親子の愛らしいムービーもご覧になれます。

     

2011年の春休み、私は家族でイギリス、イタリア、フランスへ合わせて10日間の旅行に行った。

そこで感じたのは、その国の歴史とその国の人々が深く繋がっている、ということである。

日本ではひとまとめにヨーロッパと言う。私はそのせいからか、ヨーロッパの国々は全て同じ、というようなイメージを持っていた。

それぞれの国の良さを分かろうともしていなかった。

その考え方が間違っていることに気づかされた。
始めにイギリス・ロンドンに行った。

都会であっても騒がしさがなく、落ち着きがある町だ、と思った。

晴れはほとんどなく、曇っている。でもその中に人々の温かさがあった。

道を歩いていたり、店に入ると、マナーであっても、親切に私たちに接してくれた。

マナー以上のことでも心がこもっている。

これは素敵なことだと思った。生真面目な中に温かさがある。

 

イギリスの次に行ったのは、イタリア・ローマだ。

ローマは常に晴れ、人々もがやがやしている。

同じヨーロッパの国でもこんなに違うのか、そう思える程、イギリスとはかけ離れていた。

人々はとても活発でいつも笑っている。

イタリア語のイントネーションからは、個性的であり、情熱的な国であることが分かった。
イギリスにもイタリアにもない上品さがあったのが、フランス・パリである。

生真面目ではないが、とても丁寧で静かだが上品な笑い、楽しさがパリにはあると思う。

ひっそりしていてもその中にある美しさはどこの国にもない、フランスの「個性」だ。

 

ヨーロッパ、その中の国々にある「個性」。

自分だけしかない個性を思う存分に伸ばしたから、そしてその個性を人と分かち合えたからこそ、イギリス、イタリア、フランスは、それぞれ違う構成を持った国になったのではないか?

積み上げた歴史、過去の先には一体、どんな未来が広がっているのだろう。

それをこれから作り上げていくのが、今の子供であり、それぞれの個性なのだと私は思う。

        

Graduat ing this school was an honor. I feel empty sometimes with my daily schedule.

I cannot explain what I actually learned at this school, but I feel and know that I have changed a great much in this school.

What I’d like to say to students of this school is that “reality is something annoying“.

If I could come back to this school, it would be  in a blink.

Time is the most valuable asset. So use it wisely. 
I wish all graduates and current students good luck.
You got one life, so don’t
waste it.

お天気に恵まれた日。

学校のはずれにある林の、細々とした小道を奥へ奥へと進んでいくと、そこにはブルーベルの花が一面に広がっています。

木漏れ日の光を受けたブルーベルの花の紫のグラデーションと、草木の緑とのコントラストは非常に美しく見事なものです。

風がそよぐと、馨る甘い香りとともに、表情を変える紫の絨毯は、いつまでも見飽きることはありません。

子どもたちからも「きれい」の歓喜の声。この感動は生徒たちの心に残ったことでしょう。

初夏をも感じさせる気温の中、学年ごとに長い長い列を連ね、小道を進んでいきながら、まだ話したことのない友達との会話はどこか緊張気味な様子でしたが、しかし探索気分が手伝い、たくさんの笑顔を見ることができました。

日本人にとって、桜が春を感じさせるように、イギリス人にとって、このブルーベルは春の到来を感じさせる花であるそうです。

 

立教英国学院でも、新しく入った子たちを迎え、新たな学年への意気込みや期待に胸を膨らませる生徒とともに、新鮮な春をスタートさせました。

 

立教の生徒は、基本的には青いネクタイを身に付けています。

しかし、高校3年生だけは違います。

彼らのネクタイは「」。

それは最上級生の証です。

彼らは最高学年として、後輩たちの面倒をみたり、相談にのってあげたり、つねに全校をリードしていく存在です。

下級生は赤ネクタイを身に付けている高校3年生をお手本として、学校生活を送っていきます

今まで、後輩思いの先輩達が代々受け継いできた伝統です。立教の赤ネクタイにはそれだけの重みがあります。

新年度、新しく赤ネクタイを着けた瞬間に、凛々しく、頼もしく見える高校3年生たち。

それはきっと、これまでずっと彼らの先輩たちが、最高学年として後輩たちの模範となるように振舞ってきたからでしょう。

高校3年生にとって、この1年は大学受験に向けて勝負の年となります。 

赤ネクタイを身に着けて、大勝負に立ち向かっていった先輩達を思い出し、日々の生活を実りあるものにしていって欲しいと思います。

           

どこまでも続く青い空と果てしなく続く広い海。

水平線がかすかに曲線で地球はやっぱり丸いんだと教えてくれた。

夜には数えきれない星が瞬いていた。

 

そんな景色があるのがイースター島。

 

太平洋に浮かぶ、その絶海の孤島にはたくさんの守り神がいる。

それがモアイ。

 

私はイースター島にいくまで、そこにはモアイしかないと思っていた。

しかし、あの景色にもモアイと同じくらいの価値があると思った。

田舎育ちの私でも驚くほど海が透明で、星が多い。

 

もちろんモアイもすごいけれど私には

自然の広大さの方が印象に残っている。

 

イースター島の自然は、私の中の「広い」という概念をぶち壊してくれた。

     

進路を決めるということはどうしてここまでややこしいのだろうか。

私には多くの選択肢が与えられている。

ここが一つの問題点である。

両親は私の好きな道を選ばせてくれようとする上、今まで国立の勉強をしてきたため、国立、私立両方に道がある。

これは贅沢な話だが、親に強制されでもすれば、進路の選択にこれほど時間はかからないだろうとつくづく感じてしまう。

しかし、どちらを選ぶにしても何らかの犠牲は払わなければならないようである。

 例えば、選択は簡単だが、親に強制されるとする。

この場合の犠牲は「自分の希望」である。

大学は自分の好きな勉強が思いきりできる格好の場所であるから自分の好きなことをしないのは損である。

何がしたい、将来こんな職業に就きたい。

このような希望が叶わずに後悔をしてしまう人も少なくはないだろう。

      

  では逆に、進路の決定権が全て自分に委ねられたとする。

私はこちらに当てはまるのだが、こちらは、自分の人生に全面的に責任を持たなければならない上、決定するのに多大な時間が必要である。

しかし、こちらのほうが恵まれていると思う。

長い時間をかけて自分の将来をじっくり見据えることは、一生のうちに何度もあるものではないから、自分を見つめなおすいい機会である。

どちらにしても最終的に決めるのは自分なのである。

もうすぐ大学生となると、人に頼ってばかりいられなくなる。

自分のことは自分で責任を負わなければならないというプレッシャーにも迫られることだろう。

避けては通れぬ受験は、自分をいかにうまくコントロールするかにかかっていると思う。

難しい課題ではあるが、受験は焦った時点でもう負けである。

もちろんある程度の焦りは必要であるが。

      

   受験までの残りの時間、「焦りは禁物」「時は金なり」「やるしかない」という三つのフレーズを頭の中に刻み込んでしっかりと取り組んでいきたいと思う。

自分の人生は人に決められるものではないから「最後は自分」である。

時間の限り考えて、自分にとってのベストな答えを見つけたいと思う。

 

(高等部3年生 女子)

 

         

鎌倉で桜が咲きました。満開に近い桜を見るたびに、自然と唇が弧を描きます。私は桜が好きです。桜のどこが好きなのか、桜のどんな時が好きなのかと訊かれれば、色、香り、あと満開の時や、桜が散る時に花弁がひらひらと舞っているように見えるのとか、激しく桜吹雪のよう散って見えるのが好きだと答えます。それらが好きだと感じると同時に、そこが綺麗だと私は感じます。

そうやって、自分の好きな桜の様子を見ると、私は疲れとか苛立ちが吹き飛んで、穏やかな気持ちになります。そうやって、穏やかな気持ちになった後には、今年は出来なかったけど、来年は家族と京都に行って、お茶を飲んだりお団子を食べたりしながら、花見をしたいなぁと思うのです。そう思った後には、地震の被害にあった人も、桜を見て少しでも幸せな気持ちになってくれたらいいなぁと思うのです。

今までは桜を見て、「あ、綺麗だな」と思うだけでしたが、自分が何故桜を綺麗だと思うのか、桜の何処が好きなのか、改めて考えてみると、もっと桜が綺麗に見えて、好きになりましたし、もっと桜が見たいと思いました。嬉しい事に、私の家の近くには桜が沢山咲いているので、立教に行くまでの間、見ようと思えばすぐに見ることが出来ます。

皆さんも、桜を見た時に「綺麗だ」で片付けないで、どうして綺麗だと思うのか、考えてみながら見てみてください。きっと、もっと綺麗に見えて、もっと好きになると思います。

 

添付の写真ですが、この日は鶴岡八幡宮で、東日本大震災 追善供養 復興祈願祭があり、それに向かって歩いている人も写っています。神道、仏教、キリスト教の各宗派の代表の宗教者が、一同に会してお祈りし、海岸まで歩いたそうです。

私は参加しませんでしたが、同じ時間に家族でお祈りしました。この美しい桜がこれからも毎年美しく咲いて、この日の祈りを思い出させてくれるといいなと思いました。

学校に行っても、お祈りは続けたいと思います。

 

(中学部3年生 女子)

 

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