Work in this exhibition was created by students of Rikkyo school during their school art lessons in the Autumn term 2020 and also in their remote art lessons during Spring 2021. The over-arching theme for the Autumn term was “Trees” and students explored this theme looking at the work of artists such as David Hockney. Students worked to develop their understanding of warm/cool colour contrasts, aerial perspective and colour mixing.
During the Spring term, students worked remotely with weekly lessons set online. The younger students studied Pop Art food, looking at the work of American artist Wayne Thiebaud, Tom Wesselmann’s vibrant collages and contemporary artist Hiroshi Mori. Students in M2 studied Jasper Johns whilst M3 students focused on improving their observational drawing skills with close-up studies of everyday objects. In the higher years, H1 students delved into artists’ use of the skull as a motif and H2 reflected the experience of many people during lockdown with their project based on the view through their window. I have included the work of as many students as possible in this virtual exhibition to celebrate their achievements and commitment to creativity during this extraordinary year.

ムービーリンク:
https://youtube.com/watch?v=qOyTeVCRSfQ&feature=share

 

昨年度の卒業終業礼拝はイギリス大学進学が決まっていた数名の高校3年生と在校生全員が参加、Youtubeライブ配信をしてコロナ禍の影響で日本から帰ってくることが出来なかった高校3年生も参加できるように工夫しました。

今年度の卒業終業礼拝は、ZOOMによるオンライン卒業式となり、世界各地にいる生徒・保護者の皆様・英国に残っている教職員、合わせて300名近くが参加した「特別な」卒業式になりました。

本校の卒業式には、毎年大きなひな壇に飾られたお雛様も参加します。一期生の方々が遠い日本にいて参加できない卒業生たちの代わりにと、40年以上も前に日本からわざわざ運んできてくださったものです。それが毎年、この卒業式に参列し、日本で受験をしていてイギリスでの卒業式に参列出来ない卒業生たちの代わりをしているわけです。

そのお雛様が、今年はコロナ禍で学校に帰ってくることが出来なかった全校生徒を代表して式に参列することになりました。本校始まって以来初めてのことです。実際にチャペルで参列したのはチャプレンと校長先生、卒業学年や関係の先生方だけでしたが、ZOOMの画面にはお雛様を始め沢山の生徒達の顔がライブで並んでいました。いつも通り卒業学年代表の生徒が聖書朗読をし、先学期の終業礼拝用に生徒会が作成した校歌ムービーが流れ、卒業証書を直に渡すことさえ出来ないものの、担任の先生方が卒業生の名前を一人ずつ読み上げ、卒業学年代表の生徒達がZOOM画面で一人ひとり立派なスピーチをし、イギリス人の先生方が担当教科の表彰とコメントをしてくださり、日本の本校理事長からはライブでご祝辞を頂き、地元ホーシャム市議会の議長さんからは録画ムービーのメッセージを頂き、毎年恒例のアンバサダー賞の表彰もして頂きました。

いつもと違うことがとても新鮮で、新しいことを前向きに受けとめることが素直に出来て、直に会えないことがかえって愛おしい気持ちにさせてくれた、そんなとても素晴らしい卒業式でした。

生徒達のスピーチにも、理事長の祝辞の中にも、そしてイギリス人先生たちのコメントの中にも申し合わせたように出てきた思いは、「今だからこそ学ぶことがある。特別な状況だからこそ見えてくるものがある。皆さんがとても大きく成長した一年だった。」ということでした。

式の最後に、イギリスの田園に佇む本校を、美しい日の出の時に上空から撮影したムービーが映されました。BGMには40周年記念コンサートの時にクワイヤーの生徒達が歌った曲が流れ、静かな田園にある本校の恵まれた環境と、そこで学び成長していく子どもたちの限りない可能性をここちよく感じることが出来ました。

曲の最後に収録されていた観客からの拍手と、この卒業式で旅立っていく生徒達の門出を祝う本物の拍手が美しく響きあって、2020年度オンライン卒業終業礼拝は滞りなく終了しました。

 

(式の最後に流れた本校鳥瞰ムービーは下記リンクよりご覧になれます)

 オンライン上で行われた1学期は、実際に学校に行くのではなく在宅で行う形もあったため、ついやるべきことを後回しにしてしまったり、優先順位を考えずに生活してしまいました。だから私は今学期が始まる時に、目標を立てて何か目に見える形で結果を出そうと考えました。因数分解コンクールで80点以上を取って教室棟前に貼り出されること、自分のやるべきことに取り組むこと、という2つのことを自分と約束しました。自分のやるべきことを判断し、取り組めば結果も付いてくるかなと考えていました。

1年間の学校生活の中でも一番長く、沢山の行事がある2学期は例年とは違った形で学校が始まりました。コロナ感染の予防のため、時間が細かく決められていたり規制が多い中で自分で時間を見つけて勉強することができたこの2学期は自分にとって少し成長出来たのかなと実感できました。因数分解コンクールは自分なりに空き時間などを使って沢山練習したのですが、結果は77点で、勉強したのにな…とすごく悔しかったです。勉強の仕方や効率などを見直すきっかけとなりました。

また2学期のオープンデーは凄く自分にとって沢山のことが学べました。まず、コロナウィルスによって未来はどう変化しているのかというテーマを自分たちで調べて文章にすることで、現在のコロナウィルスについて沢山の情報や知識を得ることができました。クラス全員が1つの教科書 (※オープンデーで各クラスが作成したレポートを指す。) を作ることは、みんなで作るため簡単だなと最初は思いましたが、教科書の内容だけでなく、周りの状況を把握して自分は今何ができるか、何をすれば効率がいいか、など自分のことに集中するだけでは良い作品ができないのだということを知れただけでなく、自分が今何をしたら役に立つのかを考えるのは凄く難しいことだなと痛感しました。去年は色塗りや模型作りなど手を動かして体力が必要となる作業が中心でしたが、今回は調べて考えるということが中心だったため本当に大変でした。その分完成した時の達成感はほんとうに大きかったです。

2学期の初めに決めた2つの目標は、最初は簡単そうだと感じたものの実際行動に起こしてみると難しかったです。しかし、この2つを決めたことによって2学期の学校生活はとても充実して学びの多い学期となりました。

最後に2学期を通して1番感じたことを書きます。それは自分を支えて下さった先生方への感謝です。2学期を通して日常になってしまったひとつひとつのことに目を向けてみると、当たり前のことですが先生方のサポートがありました。朝の体温のチェックや、他のバブルと被らないように時間を調節し誘導すること、生徒の体調を気にかけて下さること、隔離になった時は食事を寮まで運ぶことなど、日々の生活は先生の支えがなければ成り立たないものだなと強く実感しました。2学期を通じて私は1番、先生方のありがたさを感じることができました。

※教科書は以下のリンク(https://drive.google.com/file/d/1GcbVBFYgPTa4gO45hi0Nh0tHLEx51bSM/view)からご覧になれます。
(高等部2年 女子)

今学期は立教にいるようで、全く別の場所にいるような時間を過ごしました。それもそのはず。コロナウイルスの対策のため、学年ごとに生徒がバブルシステムでわけられ、接触を禁じられていたのですから。帰寮してから顔を合わせるのは同じバブルの生徒だけ。つまり高二の生徒としか交流できないという環境です。新高一の新入生と話したいという感情を皆持ちながら、どこからか流れてくる新入生の噂で高二の中で一喜一憂しました。前だったら、食事の席や教室、ドミトリーで、話すことができたはずなのに。この話したくても話せないという状況に、私はかなり違和感を抱きました。新入生と話せないことだけではありません。教室を使った後の消毒は必須でしたし、気軽に先生に質問することも許されませんでした。だから私は長年通い続けた立教であっても、どこか別世界で生活するような錯覚を抱いてしまったのです。

そして二学期は私にとっては挑戦へのスタートでありました。その挑戦とは学業面のものです。高二から理系を選択した私は、高一の時よりも何倍もの時間を勉強に割かなくてはいけなくなりました。それと同時に、授業の内容もより濃密になり、集中力を必要とされました。そして何より、理系を選択したほかのメンバーが全員そろって授業を受けられるようになったのが、二学期からだったのです。一学期のオンラインでの授業はあまり新鮮味がなく 、他のメンバーともあまり競争できませんでした。しかし二学期に入ってから、理系のメンバーで集まって宿題を解き、その点数で競ったり、因数分解コンクールの勉強をしました。仲間意識、同じメンバーで向上心を持って学業に励むことの楽しさを知ることができました。先ほど挑戦へのスタートといいましたが、私たち理系のメンバーのほとんどに受験という大きな壁が立ちはだかっています。その大きな挑戦に向かって、今学期このような形で素晴らしいスタートが切れたことに、僕はとても刺激を受けました。

短い冬休みが明けたとき、高三が学校を離れた今、私たち高二はもう学校の最高学年となっています。最高学年になるといいことがあります。それは新館の三階を使えるようになることだったり、高三になれば赤ネクタイがもらえる事だったり。しかし最高学年になるということは、それだけ責任をもって学校生活を送らなくてはいけないということです。コロナウイルスの影響下にあっても、それは変わりません。残りわずかな立教生活、どれだけ有意義に過ごせるかにかかっています。来学期からはまた新たなスタートを切れるように。また学校に行くのが楽しみです。
(高等部2年 男子)

2月18日、英国の多くの新聞にジャイルス選手の快挙が掲載された。World Athletics Indoor Tourに参戦し、フランス、ドイツの大会で自己ベストを更新しいずれも優勝、今回のポーランドでの大会では1分43.6秒でコー選手が持つ英国記録を破り、室内の800mの記録では世界歴代2位の記録である。2月24日にはポルトガルでシリーズ最終戦があり、シリーズ優勝をかけた戦いが続く。

英国での最初のロックダウンの最中、本校の400mトラックを走る見知らない若い英国人二人の姿があった。ロックダウンの最中であり、ここは学校の私有地であるから、練習はできないことを伝えると、残念そうに帰っていった二人の姿が思い浮かぶ。しばらくして、正式に英国陸上協会から本校にトラック使用のお願いがあった。ロックダウンで、各地の陸上競技場が閉鎖される中、練習場所に窮した選手のために本校の陸上トラックを貸し出した。将来性のある若い陸上選手たちが本校のトラックで練習する姿に、ロックダウンで学校が閉鎖された無念な生徒諸君の顔が浮かび、涙が溢れた。それがジャイルス選手との出会いだった。彼のコーチはビッグスさんだ。最初の練習の時に見学に行った。そこでビッグスコーチと共に選手を指導していたのが、1992年バルセロナオリンピック女子400mハードルのゴールドメダリストのサリーガネルさん、ビッグスコーチの奥様だった。
それ以来、ロックダウンの最中本校のトラックで練習する選手たちの練習を応援した。生徒は誰もいなかったが、生徒と共に応援している気分だった。生徒が帰ってきてこの選手たちと一緒に練習している姿を夢に見ながらの応援だった。クリスマスの寒さの中でも練習は続いていた。ジャイルス選手にはここのトラックは静かで風がなくて、とても走りやすいと褒めてくれた。冬の間の練習の成果が出ているとテレビの解説者に褒められるのを聞くと、自分のことのようにジャイルス選手の活躍が嬉しい。ビッグスコーチの他にも、ワイトマンコーチ、ダンコーチの選手たちも練習に参加し、静かだったトラックに活気が戻ってきた。
東京オリンピックを目指す若手選手もいるとのことで、ますます応援に力が入った。このコロナウイルスで開催は危ぶまれているが、練習する選手たちの姿を見ていると、何とか開催し日本で頑張る選手達を本校の生徒と共に応援したい。ここ立教のトラックで練習した選手達の東京オリンピックでの活躍を期待する。そして、一日でも早くロックダウンが解除され、若手選手と立教の生徒がこのトラックで一緒に練習する時が来ることを待ち望んでいる。

小学校最後の冬休み、私は基本的に家で過ごし、時々ソーシャルディスタンスをとりながら買い物に行ったり、近くの公園に運動や、散歩に行っていた。このように、外出のことしか考えないでいると、この冬休みは退屈そうに見える。例年では、どこかに旅行したり、友達の家へ行ったりしていたが、今年は出来なかった。

冬休みの初めは、「外に行きたい!」と思っていたが、今はパンデミックが世界中で起こっているし、大好きなディズニーランドに行くこともできない。そのうちに、少し考え方を変えて、「コロナだからこそ、できることをしよう」と気持ちを切り替えた。

それからは家でペットのうさぎと遊んだり、家族みんなで映画や紅白歌合戦を観て年越しをしたり、お節料理を作ったり、たっぷり時間をかけて絵を描いたり、母とケーキを作ったりする時間を大切にしながら過ごした。家族と過ごす時間はとても大切で、貴重だと思う。

私は、毎日毎日コロナに関する悲しい情報を目にするのは心の負担になるので、そのような報道ばかりみないように、読みすぎないようにと気をつけている。そして常にポジティブに物事を考えるように意識している。例えば、コロナのパンデミックによって、インターネットによるオンライン学習が発達し、遠くにいても授業が受けられるようになった。もちろん、それにはたくさんの先生方の懸命な努力があったからだと分かっている。

人と人とが離れて出来ないことが増えた分、自分の想像力を働かせて、相手の気持ちを考えたり、新しい工夫を生活に取り入れようと考えることが、以前より格段に増えた。

この1年で世界は大きく変わった。きっと歴史的に世界が大きく変わる時期だったのだろう。過去は振り返らず、今、”ここ”に生き、自分がやりたいこと、自分にできること、未来に向かって望むことを、自分の頭で考えて行動し、みんなと力を合わせて、このコロナ時代を乗り越えていきたい。

(小学部6年生 女子)

私はこの冬休みは新しいことにチャレンジすることを目標にして生活していました。なぜ私がそのような目標を立てたかというと、9月から12月の間の立教での生活で後悔したことがあったからです。

私の後悔の原因となったものは立教に行くまでの約5か月間でのことです。4月から9月の間、世界ではステイホームの風潮が広まっていました。だから、その5か月間、私はただ授業と、そしてネットの中にいる生活をしていました。その間は生活に満足していました。しかし、立教に戻り、それまでの生活を見直すと後悔したことがありました。それは、これから先の人生で、5か月間という長い時間を自分のためだけに使えることは少ないのではないかということです。実際に、立教で生活しているときは、まとまった時間があまりありません。そして夏休みや冬休みなどの長期休暇でも、多くて2か月です。では次いつ5か月を自分だけの時間にできるか、それは少なくとも私が立教を卒業するまでは無理だとおもいました。だから私はもっとたくさんのことをしてみればよかったと後悔していました。

そして今、日本に帰ってきて色々なことにチャレンジできました。細かなことはたくさんしましたがその中でも2つ、これまでの生活とは違うことができました。

1つ目は、自主的に体を動かすことです。私はとても運動が嫌いで、外に出ることも好きではありません。ですが、冬休み中は苦手なことを克服しようと思って、毎日外で運動することを心がけていました。すると、運動することは体力作り以外にも大きな効果があることを実感しました。運動すると、その日一日気分が晴れていたり、何事にも積極的になったように感じました。自分で体験してみることはとても大切だと気がつくことができました。

2つ目は、言語学習についてです。私は前の自粛期間中から韓国語を勉強していました。しかし、やっぱり英語と違って触れる機会が極端に少ないのでなかなか難しいものだと思っていました。そこで私は初めて、言葉を学ぶための友達を作りました。立教にいるとインターネットコミュニティが制限されているので、逆に今のようなタイミングでしかできないと思いました。それで私はすごく成長できたと自分でも思っています。

今もそうですが、学校に行けない期間も、また他の目標を達成する期間と前向きに考えれば、もっといい日々を送ることができると感じました。私はこの冬休みを満足して過ごせました。

(中学部2年生 女子)

やったー!冬休みだ。飛行機から降りると、さっきまでの嬉しさが何処かに行ってしまいました。すぐに家族に会えるかと思っていたら、空港内でのPCR検査に時間がかかり、終えるのに三時間近くかかりました。書類に記入したり、四つのステージを通過しなければいけませんでした。いつもよりどっと疲れ、夕食後久しぶりの我が家を満喫することなく、眠ってしまいました。こんな始まりの冬休みは、案の定つまらない休みとなりました。

日本では、GO TO トラベルの最中で、じわりじわりとコロナ感染者が増え始めていました。我が家もクリスマスを旅先で過ごすの計画をしていましたが、医療関係者の大変さやイギリスでの感染者拡大のニュースを見て、取りやめることにしました。久しぶりの旅行だったので、とてもガッカリしました。毎年楽しみにしている立教大学でのクリスマス礼拝も中止になり、なんのイベントもない寂しいクリスマスになりました。年末年始の帰省も自粛の雰囲気があり、お年玉獲得が危ぶまれました。

お正月は、祖父母の強い希望があり、マスクをして少しだけ一緒に過ごすことが出来ました。喜んでもらえて良かったです。そして、お年玉も無事にもらうことができました。

お正月を迎える直前、学校から三学期のオンライン授業の知らせがありました。

何となく予感していました。悲しいような嬉しいような、不安も入り混じった複雑な気持ちでした。日本もGO TOトラベルが中断し、ロックダウンしてしまいました。ほとんど外出しない日々が続き、ストレスがたまりました。そんな中、新学期が始まって、オンライン授業が始まりました。画面上ではあるけれど、友達と話せたり、先生にも会えて、いつもの自分に戻れた気がします。宿題が毎日出て大変ですが、何処にも行けず、ダラダラと過ごしているよりも充実しているように思います。

去年から今年にかけて、初めて経験する事ばかりでした。授業ではChromebookを使い、オンライン授業にも随分慣れてきました。授業で学ぶ事以外にも気付きや得たことが多かったように思います。友人や家族の大切さ、先生方の思い、安全な暮らしを支えてくれている大勢の人達。今まで目を向けることがなかったことに、目を向け考えられるようになりました。今後また学校が始まり寮生活に戻ると思いますが、こうした学びや気付きを学校生活に活かしていきたいと思います。
(中学部2年生 男子)

今年の3学期は、冬休みに連絡があり、全校生徒がオンライン授業になりました。私は2学期も日本でのオンライン授業だったので、仕方ないと思う一方、これで1年間ずっとイギリスに行けてないなと悲しくなりました。ですが、今学期が始まって2週間が経った今、寂しさもありますが、クラスメイトの顔が見られて話すことができる楽しさのほうが勝るようになりました。オンライン授業にも慣れ、気持ちにも時間にも余裕が出てきたので、生活や自身が少し変化したように思いました。

一番に浮かぶのは、考え方が変わったことです。昨年は様々なことがあり、考えが少し成長できたような気がしました。昨年の2学期は、立教に帰るか、日本でオンライン授業を受けるかという2つの選択肢がありました。立教が開校するということで、私は帰る気満々になり、家族もきっと送り出してくれると思っていました。なので、両親が日本でオンライン授業を受けなさいと言ってきたとき、凄く驚きました。今振り返ると、すごく自分勝手だと思うのですが、イギリスへ帰国する許可を出してくれないことに腹が立ちさえしました。特にイギリスへ帰国するのに反対していた父にはひどいことを言ってしまったこともありました。父は医師として病院に勤めているので、人一倍リスクがあることはして欲しくなかったのだと思います。万が一のことを考え家の中でもずっとマスクをしていたり、食事の時間をずらして対面の状態にならないようにしたりと、家族のことを思ってくれていました。私は頭では危ないと分かっているのに、学校に早く戻りたいという気持ちもあり選択肢を絞れずにいましたが、そんな父の様子を見て、すごく申し訳なくなりました。そして、これ以上迷惑をかけるのは止めようと思いました。

この事から、自分の考え方を改め、他の人のこともよく見て考えることの大切さに改めて気がつきました。自分の考えをまとめるだけでも精一杯なのに、他の人もというのは難しいことかもしれませんが、今回のことで少し自分が成長できたと思うので、これからもたくさん経験を積んで学んで成長していきたいです。そして、困難な状況でも他の人をいたわることのできる優しい人になりたいです。
(中学部2年生 女子)

立教生活二年目の年は、一年間の半分も学校で過ごすことができなかった。一学期は日本で過ごし、二学期はなんとか学校へ帰ることができた。オンライン、ソーシャルディスタンス、バブル。こんな形に変化した立教もあるんだ、最初は新鮮に感じた。

コロナウイルスが私達にもたらした変化は決して期限付きのものではなかった。いつまで続くかわからない。アウティング、ギルフォードショッピング、ウィンブルドン、、、。無くなったものの例を上げたらきりがない。卒業を控えていて今年度の色々な行事が最後になってしまう人だっていた。けれどウイルスにそんなことは関係ないらしく、無情に奪い去っていく。

コロナウイルスに圧倒されながらもなんとか学校生活を取り戻しかけた矢先、またもや学校が閉じてしまった。一年生の頃に戻りたいとは思わないけれど、すべてが揃った立教生活を過ごせたのが一年前だと思うとなんだか寂しい。この不安定さはいつまで続くのだろう、と不安に思う。

学校でみんなと過ごせるのが当たり前じゃない、一年前の私にこれを言っても信じないだろう。これまでの「当たり前」が通じないウイルス。これは何も今の立教に限ったことじゃないのかもしれない。

この一年を振り返るとどうしても暗い方向に考えてしまう。世界中の人が我慢に我慢を強いられた。けれどある時気がついた。奪われたもの、失ったものばかり数えるよりできたことを記憶に刻むほうが良い。確かに一年の三分の一しか学校には帰れなかったけれど、三ヶ月だけでもみんなと過ごせた。学校に帰れない辛さが身にしみた後だったから、今までのどの時よりありがたみを感じることができた濃い三ヶ月でもあった。

こればかりは尽力してくださった先生方に頭が上がらない。

(中学部2年生 女子)

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