【UCL-Japan Youth Challenge 2020 Online】

日英両国の高校生、大学生が交流をしながら、UCLの教授から講義を受けたり、
英語でディスカッションをして全体発表をしたり、多くを学ぶことのできる本プログラムは、8月より本格的に始まります。
コロナウイルス感染拡大の影響を受けて、今年度はオンラインでの開催となりました。

先日、参加する生徒たちと校長先生で、校内でのプレ・セッションを持ちました。

ロイヤル・ソサイティの標語「言葉によらず(take nobody’s word for it)」と、大学における学びや研究活動におけるその言葉の持つ意味について、校長先生より教えていただき、それをキーとして、望ましいマインドセットについて考えました。

批判的に考え、自分でそれを表現していくことは、非常に大切な姿勢であることを、実感をもって共有することができました。

プログラムの今年のテーマは「Beyond Covid-19」。多くを学び、成長できる機会にできることを期待しています。

プログラムに向けての生徒の意気込みを紹介します:

・私は、今回このプログラムで最近失いつつあった自分の積極性を取り戻し、疑問に思ったことは質問したいと思います。また、大勢の人たちと交流し、debateにも年上の方々が多い中で沢山刺激を受けつつ参加したいと思います。現在、世界で流行中のコロナウィルスが題材となっているので、様々な意見が聞けるのを楽しみにしています。

(高等部1年)

・私は今年で2回目の参加なので、ただがむしゃらについていくのではなく、少しでも皆を引っ張っていくぞという心意気で臨みたいです。また、去年はテーマについて新しい知識や他人の意見を取り込むだけで精一杯でした。なので今年は、「コロナウイルス」について自分なりの解決策やそれとの向き合い方を見つけようと思っています。

(高等部3年)-online01

中2では、オンライン上のクラス活動として、1学期間にわたって「ライティング・マラソン」に取り組みました。

テーマは週ごとに変わり、テーマに関連する質問に毎日1つずつ答えていきます。作文の「要」となる自らの意見やアイデアを多面的にふくらませ、それらの情報・記録をもとに、週末に作文を書きまとめるという活動です。

生徒は自分の好きな時間に、好きな場所で文章をつづります。担任や副担任は離れたところから、日々アップデートされていく文面にアクセスしています。コメントをつけながら執筆の経緯を見守ることができるのは、オンラインならではの「つづりかた」であると思います。

これまで寮での集団生活を送っていた生徒たちは、離れ離れになって学校生活を送っています。クラス全体で取り組みを共有することで、クラスと学校との「つながり」を実感する機会となり、そのことが継続して取り組む意欲を生んだのではないでしょうか。

今回は全3回にわたって、生徒たちの作品をテーマごとに紹介したいと思います。

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最終回は7月6日~7月12日に実施した「今学期のまとめ」です。

はじめてづくしの1学期、学期最終週に振り返りを兼ねて行いました。私たち教員も、コロナ禍に見舞われたこの1学期を、生徒のみなさんと一緒に無事に完走!することができたことを嬉しく思います。夏休みはしっかり休んで、たっぷり遊んで、9月に学校でお会いできることを楽しみにしています。

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・今学期に苦労したこと・大変だったこと・印象に残る出来事は?

▶ 一番最初のHRが一番印象に残っています。コロナの関係で、立教に帰れず残念な気持ちが、みんなに会えたので嬉しい気持ちに変わった瞬間でした。(中2・女子)

▶ 今学期は生活リズムがくるっていたのでとても大変でした。苦労したことはやっぱり課題です。印象に残る出来事はオンラインコンサートや、ルワンダの講演会です。(中2・男子)

▶ やっぱりオンラインでの授業だと、集中して授業を受けることが難しいと思います。でも、画面の中の方がECははかどった気がします。(中2・女子)

▶ 宿題。提出方法が先生によって様々なので、よく読まないと間違えてしまう。でも、分からなかったり、もう一度確認したり、質問出来るのがとても良かった。(中2・男子)

▶ 数学が僕は出来ないので、普段だったら先生に何度も聞きに行って、ようやくできているのに先生にきけないので点数が悪くて苦労した。(中2・男子)

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「待ちにまった夏休み」

昨日やっと夏休みに入り、オンライン、インタラクティブ授業が終わりました。とても長かったです。まさか、コロナウイルスでこんな形で授業を受けるとは思いませんでした。離れていても、ちゃんと授業を受けられる技術はすごいなと思います。小さなパソコンで人々の顔と声が、見れて聴こえてコミュニケーションが取れます。

僕にとってのストレス解消法の一つはおしゃべりなので、ホームルームの時間が待ち遠しかったです。また、よくお世話になっている先生や新任の先生などの顔も見れるので、楽しかったです。遠く離れていても、まるで隣で話しているような気分になれたことは、自宅で過ごすストレスを和らげてくれました。

でも、やっぱりいつもパソコンをチェックし、常に宿題に追われていたので、「何もしない日が欲しいな」と思いました。夏休みが始まり、時々チェックはしますが、しばらくパソコンから離れます。嬉しいのですが、なんだか寂しい気もします。休み中は、録画された授業を見直し、ちゃんとテスト勉強したいと思います。(中2・男子)

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「立教に “ 帰る ” ということ」

久しぶりに立教に帰るのはどんな感じだろう。来学期帰寮できることが決まってから何度もこのことを考えた。今までずっと帰りたくて帰りたくてエッセイを書いてきたけれど、帰れることが決まってから書く文章を書くのはまた少し違うなと感じた。

私は帰ってからのことを想像するために、去年の立教生活と今学期のことを詳しく思い返してみた。

まずは去年。今学期はずっと帰れなかったから立教生活での良い所ばかり挙げていた。けれど、リアルな立教生活はざっと想像してみただけじゃ気づかないものがある。

起床の鐘で飛び起きた時の、持って行き場のない苛立ち。食事で高校生の先輩との会話が弾まなかった時のあの絶望感。お腹が空いて夕食を楽しみにNew Hallにいってみたら、漂ってきたタイ米の匂い。全部思い出しただけでげんなりする。だけど、こういった事も含めたのが立教生活なのだとも思う。

不満なら沢山出てくる。難しいのはその時その時の状況で「楽しい」とか、「幸せ」を見つけること。一番基本的だけど意外と難しい。

今学期、慣れない作業がいっぱいで大変な部分の方がどうしても目立ってしまっているけれど、ずっと家にいることで私にはすごく嬉しいことがあった。それは飼っている猫とずっと一緒に入れたこと。立教にいるとしばらく離れて過ごす事になるから最近は前よりも懐いてくれているように感じる。

どんな時でも「幸せ」を見つけられる人になりたい。(中2・女子)

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「無題」

僕にとってこの1学期は特殊な1学期でした。なぜなら1度も学校に行かずに授業をし、1学期を終わらせたからです。

また今学期は課題をすべて提出すること、2日以内にやることを目指していました。今学期はそれがうまくいきました。(最後の1週間に少し遅れたものがありましたが)その反面、今回は英語の単語テストがあまり練習できませんでした。

来学期は、学校に行ったとしてもどちらもできるようにしたいです。(中2・男子)

ハーフターム中の自主参加課題として30名ほどの生徒が英文エッセイに挑戦しました。その生徒たちの中から、自分の英語力、文章力を更に伸ばしたいという生徒たちがエッセイライティングワークショップに参加してきました。

今回は7月22日に行われた東京ワークショップに参加した高等部3年生の感想を掲載します。

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IIBC エッセイコンテスト ライティングワークショップに参加して

7月22日にIIBC(国際ビジネスコミュニケーション協会)が主催するエッセイライティングワークショップに参加しました。IIBCでは、毎年英語が母国語ではない中高生を対象としてエッセイコンテストを実施しています。東京で開催された今回のワークショップは、コンテストへの参加を予定している高校生が、英文エッセイの書き方を学ぶというものでした。私は、エッセイを書くにあたって重要なルールやコツを習得したいという理由から参加することに決めました。

午前中はそれぞれの自己紹介から始まって、エッセイライティングの基本を学びました。実際に例文のエッセイを使って問題を解きながら、構成の仕方や各パラグラフの役割などを確認しました。

毎回二人一組になり英語で話し合う時間が設けられ、その後全体での答え合わせがありました。言葉が詰まってしまうこともあって最初は少し苦戦しました。しかし、お互いに言葉を補い合いながら話すうちに、意見交換がどんどん活発なものとなりました。ここで、ひとつ大きな気付きがありました。説得力のあるわかりやすい英文を書くには、このペアディスカッションの時のように相手に自分の考えを順序立てて伝える力をつける必要があるということです。同時に、説明することへの苦手意識をなくすために努力をしなければいけないと感じました。

午後はさらに細かくエッセイをみていきました。日本語にはない決まりや、実際にライティングで使える表現などを学びました。講師の先生方からのレクチャーでは積極的に手を挙げて発言し、午前中に見つけた自分の課題の解消に努めました。また、その日学んだことについてのミニゲームで勝ち残ることもできました。ワークショップの後半には、実際に自分が書いたエッセイを添削していただきました。説明不足や不明瞭な部分についてご指摘をいただき、 「論理的に伝える力」が足りていないことを痛感しました。

朝10時から16時半までぎっしり詰まったスケジュールで、あっという間の1日でした。新型コロナウイルスの感染予防のため参加者15人全員で向き合って話すことはできませんでしたが、穏やかな雰囲気の中リラックスして参加することができました。先生方も優しく接してくださり、わからないところはどんどん質問できたのもよかったです。自分の弱みに気がついたことで学びがさらに深まり、達成感のある有意義なワークショップとなりました。

中2では、オンライン上のクラス活動として、1学期間にわたって「ライティング・マラソン」に取り組みました。

テーマは週ごとに変わり、テーマに関連する質問に毎日1つずつ答えていきます。作文の「要」となる自らの意見やアイデアを多面的にふくらませ、それらの情報・記録をもとに、週末に作文を書きまとめるという活動です。

生徒は自分の好きな時間に、好きな場所で文章をつづります。担任や副担任は離れたところから、日々アップデートされていく文面にアクセスしています。コメントをつけながら執筆の経緯を見守ることができるのは、オンラインならではの「つづりかた」であると思います。

これまで寮での集団生活を送っていた生徒たちは、離れ離れになって学校生活を送っています。クラス全体で取り組みを共有することで、クラスと学校との「つながり」を実感する機会となり、そのことが継続して取り組む意欲を生んだのではないでしょうか。

今回は全3回にわたって、生徒たちの作品をテーマごとに紹介したいと思います。

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第2回は6月22日~6月28日に実施した「それぞれの音」です。

ちょうどこの頃、日本ではプロ野球の中継が始まりました。テレビから聞こえてくる無観客試合の「音」や宮沢賢治の擬音表現についての天声人語を読み、身近な「音」に耳をすませて、身近な「音」集めをすることからはじめました。採取した「音」はクラスで共有し、週の後半にかけて意見を交換し合い、最後はエッセイとして「音」について文章にまとめました。これまであまり意識していなかったいろいろな音が聞こえてきた1週間でした。

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・この学期中に、聞こえるようになった音。

▶ 意識せずに、でるでる英単語のテストの時にみんなのタイピングの音が聞こえてきました。カチカチ。(中2・男子)

▶ 小さい子の泣き声やここらへんを走る人の足音も聞こえるようになった。言葉で表すとしたら「バッバッバッバッバ」?(中2・女子)

・最近は聞こえなくなった音・聞かなくなってしまった音

▶ 今日買い物にいってる間、レジでふと思い出したのがバーコードにぴっ、てやったときにレジの人が何円、何円っていうのを聴かなくなりました。前はもう毎日どこのスーパーに行ってもやっていたのに何でやねん。(中2・男子)

▶ 立教生のみんなの声。ワイワイ、ガヤガヤ。(中2・男子)

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「音」

僕が住む東京では、都知事選の真っ最中です。いつもなら朝から夕方まで選挙カーが走り回って、とても騒がしいです。選挙権の無い僕にとっては、とても迷惑でうるさくて嫌だなと思いました。ところが、今はコロナウィルスの影響で、ほとんど選挙カーの音を聞くことがなくなりました。ニュースを見ない限り、選挙をしていると感じないほどです。また、テレビで人数限定のライブを見ました。そこでは、拍手しかできず、椅子に座ったままで、盛り上がることがなく、寂しいライブに見えました。

音は生活する上でとても重要なのだと思いました。音が人に与える影響はとても大きいと感じます。うるさい音、心地よい音、色々な音があります。感じ方によって、音を表す言葉も違ってきます。これからはもっと「音」を意識してみたいと思います。(中2・男子)

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「日常」

最近は、とても蒸し暑くてじめじめした日々が続いています。次第にエアコンを付ける頻度が高くなってきて、蚊に刺されたり、夜に鈴虫の鳴き声が聞こえてきたりと、夏を感じることが多くなったような気がします。ライティング・マラソンを書いている今も、外から鈴虫の鳴き声が聞こえてきて、とても蒸し暑いです。この音を聞いていると、とても穏やかな平和な気持ちになります。

新型コロナウイルス感染症の流行で、世界ががらっと変わってしまいました。ついこの前までは聞こえていた、家の隣の公園から聞こえる子供たちの遊ぶ声や、お店に行ったときに店員さんがバーコードをスキャンしながら、「きゅうり、90円ー」という声、たくさんの音が聞こえなくなってしまいました。いつもは気にもとめていなかった音が1つなくなるだけで、自分のいる世界が何か足りない気がして、なんだか寂しい気がして、きっとみんなの日常は、たくさんの何気ない音が集まって、目に見える世界に色を付けてくれていたんだなぁと思いました。どんな音も1つでもかけてしまったらダメなんだと思います。

ここまで、音が聞こえなくなってしまった話を書いてきましたが、世界が変わったことで聞こえてきた音もたくさんありました。私は、ヘリコプターの飛ぶ、「バタバタバタ」という音がよく聞こえてきました。通常の授業では、みんな先生やクラスメイトとしゃべったりするので、みんなの声で溢れているのですが、オンライン授業になったことでミュートにしてしまって、普段はしゃべる人も本領発揮できていないような気がします。そうなると、やはり通常とは違い、静かな時間が多くなります。そんなときに、近くをヘリコプターの飛ぶ音が聞こえてきました。こんな音もあったなぁと、改めて気づかされました。

いつもの日常から、世界が変化することで、聞こえなくなった音、聞こえるようになった音がたくさんありました。今回のライティング・マラソンで、生活の中に溢れている音に気づかされました。これからは、登校中やご飯を食べているとき、授業を受けているときなど、様々な瞬間に存在する音の存在を気にかけ、たくさん考えるようにしたいです。(中2・女子)

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「人が」

静まり返っていた、京都の鹿は「ピギィィィィィィィィイ」とドアのきしんだ様な音で鳴く。だが、浅草のシャッターは音を発しない。まだ「ガラガラ」と人の活気で溢れている音は聞こえない。こんな世の中なかなか人は外に出られない。だからか音は自然へと帰っていっている。人間が動かず、もとの地球の音へと帰っていくのを見ると、どれだけ人間が人間以外の生物とかけ離れているか良くわかった。これはもしかしたら環境問題とつながるんじゃないかと考えた。人間の生み出している音が少なくなっている様に、この地球から人が作ったものや人自体を消してみると、今の音だけではなく、様々な物が消えて地球にはhappyしかないんじゃないかと考えてしまった。人がいなかったら絶滅した生物や死んでしまった生物が帰ってきて、海も山もきれいになる。だから様々な地震や津波、大雨などは地球の怒りなのかもしれない。だから天災とも呼ぶのだと思う。

人はこれから少しずつ地球に貢献できる様な人になっていくと、自然な音と人間の音がしっかりとしたバランスをとる世界になっていくのだろう。(中2・男子)

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「懐かしい音」

今回のライティングマラソンのお題、「天声人語」に関しての「音」について改めて考えることができました。その中でも、懐かしく思えたのは『立教英国学院での日常』の音でした。

今、立教には戻れず家からオンライン授業を受けていますが、やはり、立教に行って、生で授業を受けるのとはかなり違っていました。中1の時の授業やホームルームでは、クラスメイトが授業中などに面白いことを言って先生も笑っていたりして、教室が『わあわあ』してましたが、立教にいないとその特有の賑やかさは聞くことができません。他にも、教室移動などで急いでロッカーを『バタンっ』と閉める音も聞こえてきません。そんな音を思い出しました。他には、教員室に寄ると大体鳴っている電話の音も思い出しました。

このような音も今は全く聞こえなくて早く立教に戻りたい気持ちも増し、同時に「懐かしさ」も感じました。立教に戻った時の「当たり前の音」を、また探してみようかなと思いました。(中2・女子)

中2では、オンライン上のクラス活動として、1学期間にわたって「ライティング・マラソン」に取り組みました。

テーマは週ごとに変わり、テーマに関連する質問に毎日1つずつ答えていきます。作文の「要」となる自らの意見やアイデアを多面的にふくらませ、それらの情報・記録をもとに、週末に作文を書きまとめるという活動です。

生徒は自分の好きな時間に、好きな場所で文章をつづります。担任や副担任は離れたところから、日々アップデートされていく文面にアクセスしています。コメントをつけながら執筆の経緯を見守ることができるのは、オンラインならではの「つづりかた」であると思います。

これまで寮での集団生活を送っていた生徒たちは、離れ離れになって学校生活を送っています。クラス全体で取り組みを共有することで、クラスと学校との「つながり」を実感する機会となり、そのことが継続して取り組む意欲を生んだのではないでしょうか。

今回は全3回にわたって、生徒たちの作品をテーマごとに紹介したいと思います。

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第1回は6月15日~6月21日に実施した「毎日『ムシアツ日記』」です。

イギリスでは感じることのない日本の初夏特有の蒸し暑さ、日本で過ごす生徒たちはどのように感じ、記録したのでしょうか。

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① 6月15日(月)

▶ 今日は初めてクーラーをつけました。もともとそこまで暑くは感じなかったので、少し肌寒かったです。家族はみんな暑いと言っていましたが、私は全然暑くなかったし長袖・長ズボンでも大丈夫だったので何かおかしかったです。コロナ?(中2・女子)

▶ 夜寝る時に、ベッドのシーツをニトリの冷たくなるやつに変えた。(中2・男子)

② 6月16日(火)

▶ ねこに抱きついたらすっごい嫌そうな顔をされた。ねこも暑いんだな〜と思った。(中2・女子)

③ 6月17日(水)

▶ 今日は超久しぶりにサッカーをしました。久しぶりすぎて超下手になっていました。それと少ししか動いてないのにすぐ汗をかきました。とても久しぶりな感覚でした。これを機に明日から走ろうかなと思いました。(中2・男子)

▶ 朝、郵便物を確認しに行こうとした時に、家の中がなんか蒸し暑かったから涼もうと思って外に出たら、家よりも空気が重くてがっかりした。明日からは期待しないで外に出ます。笑(中2・女子)

④ 6月18日(木)

▶ 課題が多すぎて「ムシアツ!」(中2・男子)

▶ 歴史の授業が始まる前に暑い外に出てファミマにアイスとおやつを買いに行きました。ファミマに入ったあと、エアコンが効きすぎていて文明の利器を最大限に感じた。(中2・男子)

⑤ 6月19日(金)

▶ 今日は、雨が降っていました。少しだけベランダに出てみると、雨が降ってる時の匂いと同時に、梅雨特有のほのかなぼんやりとしたムシアツに出会いました。(中2・女子)

▶ 僕は暑い時に口の中を冷たくします。朝起きて勉強を始める時もまだ眠い時は、よく氷をなめています。暑い時は体の外側から熱気をかんじて体内も暑いと感じてしまいます。なので僕は口の中を冷たくします。かき氷と同じですね。(中2・男子)

英語を「目的」ではなく「手段」として駆使する高3英語科プロジェクト。1学期後半は各グレードグループで本格的な取り組みが始まり、少人数のグループに分かれてディスカッションを始めるクラスもありました。オンラインですから「直接的な」話し合いはできませんが、逆にそういう状況を活かした工夫も見られたようです。

「はい、皆さん、先週のフォームによる希望調査でテーマごとにきれいに4グループに分かれましたので、最後の2週間はグループごとにテーマに沿ってディスカッションを進めて、今学期のまとめとしてとりあえずプレゼンテーションを一つ完成させてください。」

先生からの指示はもう少し続きます。

「今回からオンラインディスカッションを始めます。ZOOMによる直接対話も考えましたが、今回は共有ドキュメントを介して話し合うことにしましょう。」

日本ばかりかイギリスや他の国々にもいる生徒たちのことを考えると、時差もあるのでビデオ会議アプリを使った話し合いは難しいと判断。お互いの意見をじっくり読みながら、そして入力しながら自分の考えを整理できるというメリットがある「ドキュメントの共同編集方式」のディスカッションを行うことにしました。ポイントは「すべて英語」。2学期は実際に面と向かって英語でディスカッションする予定ですが、その前段階として「考える時間」を持ちながら英語で「会話」をするのはなかなか効果的でした。

「文法なんてどうでもいいですよ。今回は相手に自分の意見・考えを伝えるのが目的です。伝わればいいです。「英語」はそのための単なる「道具」ですからね。」

各グループには、プレゼンテーションの構成と内容検討の為に1週間が与えられ、さらにプレゼンテーション自体の作成・校正にもう1週間が与えられました。ファイル上での英語による意見交換という特殊な状況のせいか、出だしはスローなペースでしたが、自然にそれぞれのグループでイニシアチブを取る生徒が出始めるといいリズムで会話が始まりました。共同編集では生徒たちが「コメント」を入れるたびに担当教員にメールが届く設定になっているので、ディスカッションの盛り上がりは「ピボ〜ン」「ピボ〜ン」「ピボ〜ン」というNotificationの音でライブで伝わってきます。時々覗くそれぞれのグループの「共有ファイル」は日に日に体裁が整っていき、まるで、寝ている間に小人が作る靴のように立派に仕上がっていきました。ネットの向こうにいる、世界各地の小人たちが日々協力して作り上げたプレゼンテーションは、1学期の集大成としてふさわしいものに仕上がったと思います。

今回はその中から、担当教員から以下のコメントがついた作品をひとつ選んでご紹介します。下記リンク先からPDFファイルでご覧下さい。

https://drive.google.com/file/d/1g3-mPvftohaSsPFHJrBtyTXhZzosxYTD/view?usp=sharing

 

▶〈担当教員コメント〉

凄い!!! 君たちのやり取りは次から次へと毎日のようにコメントが入っていたのでライブでその「やる気」を感じていたのですが、まさかここまで頑張っているとは… 予想以上の出来に脱帽です。
最初にファイルを開いた時には、30ページ近くあったので、大丈夫かなぁ(読み手を飽きさせないかなぁ)と心配もしたのですが、読み始めたらあっと言う間にそんなことは忘れて、いつの間にか「君たちの作った世界にどっぷりと浸かって、色々考えたり、思ったり、感じたりしていた。」そんな素晴らしいプレゼンテーションでした。

正直、ここまで期待していなかったので、驚きました。1学期のまとめ程度に考えていて、本番の2学期プレゼンテーションの前に、第1作目のプレゼンテーションとして作成しておけば、足りないものとか今後やるべきことが意識できて良いかな、という気持ちでした。一般的な?水準で考えれば、君たちのこの作品はほぼ完成形です。

が、君たちの勢い・やる気・意識を考えると、2学期には、更にやってくれそうだな、とも思って期待しています。僕たち(H3英語)の目的は、点数を取るためでも良い評価を得るためでもなくて、「本当に」地球温暖化について一人でも多くの人に「意識」してもらって、自分たちでも実際に「何か」を始めることなので、これで終わりではなくて、やることはまだまだ沢山あるような気がします。

2学期のプレゼンテーションについて言えば、全校生徒に君たちの主張がどこまで伝わるか、本当に楽しみにしています。「英語」でのプレゼンは、ともすると「準備はしっかりできている」のに、本番でその努力が完全には報われないことが多いような気がします。「英語で」の発表だから、というのが大きいと思います。「英語を」話すのではなく、「英語で」話す、ようなプレゼンができれば良いなと思います。話したいこと、伝えたいことがしっかり頭の中にあるのが大前提、そしてしっかり練習した英語で「話し」ながら「伝える」プレゼンを期待しています。
みなさん、大変よくできました! 良い夏休みをお過ごしください。

「環境問題」について「英語で」調べ、話し合い、まとめ、そして発表する「高校3年生英語プロジェクト」は各グレード担当教員のリードで着々と「オンライン」を舞台に進み、生徒たちの積極的な参加が見られるようになりました。大学入試過去問題を解くよりずっと難しい作業ですが、それ故にやり甲斐もまた格別。来年、大学に入学した後もずっとずっと続く「勉強」のいいスタートになればと思います。

さて、高3の英語クラスは「Super」「Higher」「Intermediate」「Foundation」の4つのグレードに分かれていますが、「Higher」のクラスでは「地球温暖化対策」にテーマを絞って調査・話し合いを進めていくことにしました。それぞれがネット上で調べた地球温暖化に関する英語サイトを十数個に絞り、その内容・それについての意見を日本語/英語でまとめ、更に友達の意見に対して英語でコメントをいれ…etc. 学校での授業であれば何枚ものプリントを印刷して、冊子を作って交換し合ったり、感想のメモを集めたりと、その作業だけでも大変な労力ですが、オンライン授業のおかげでそれはいとも簡単に行われました。ファイル共有で印刷の必要はなくなり、気軽な「コメント機能」で効果的にお互いの意見を交換し、必要があれば先生とのやり取りもメール機能を使ってすぐにできます。教室での授業では、ともすると「他の人の様子を伺い」ながら自分のするべきことを無意識に調整してしまいがちですが、オンラインでは「自分で」行うしかありません。そのせいか、様々な意見や考えが出てくるのもオンライン授業ならでは醍醐味でした。

そんな中、ある生徒から「地球温暖化対策」に取り組む活動家やアーティストに焦点を当てて考えてみよう!という面白い意見があがりました。そして16歳で地球を「動かした」グレタさんについての英語記事を皆で読むことになり、この長い長い記事を読んだ上で、感想を書くこと、友達のそれぞれの感想について「英語で」コメントを書くことが課題として出されました。 そしてその結果は?というと… 誰一人その課題を遅れて提出した者はなく、その感想やコメントもいいものばかりでした。グレタさんが、このプロジェクトに参加する生徒たちの心をも「動かした」ことは明らかで、〈序章〉を終えたこのプロジェクトが次なるステージに向かって動き出す大きな推進力を与えてくれた「グレタさんとの出会い」でした。

(⇒その3〈Online Discussion〉に続く)

以下は、グレタさんの記事を読んで生徒たちが綴った感想、そしてそれについての英語コメントの一部抜粋です。

▶ グレタさんの活動についての意見を述べようとした際、どれだけ自分が世界の気候変動により何が起こっているのか知らないのかが分かった。これは、そもそもあまり興味がなく知識がなかったこと、自分の生きている間に地球がなくなる事はないから大丈夫と心のどこかで安堵し、地球温暖化問題を第三者目線で見ていたことが要因だと思う。だからこそ、グレタさんについて書かれた記事を読み「はっ。」とさせられた。恥ずかしいことに、私もいま悲鳴を上げている地球の住人で、これからの未来にまだこの場所にすむ人がいるという当たり前のことが頭の中になかった。

私は以前、子どもが何かを叫んでも伝わらないと思っていた。だが、十代の少女、グレタさんが先駆的なアイデアでグローバルな環境活動・気候変動ストライキをし、たくさんの大人も耳を傾けた様子からその考えは覆された。

⇒I agree with your opinion: we had been thinking that young people’s ideas were never accepted by adults. I think such a period is over now, and young people will have to
insist on improvement of the environment from now on.

⇒Her behaviour which makes black and white clear and acts without spoiling the facts, has contributed greatly to the change in consciousness of each person, as I have noticed, because I was also thinking of the same thing. I think many people have changed their consciousness because of her.

⇒This argument is quite similar to mine. I have two parts which I agree with: ”we see global warming as a third person” and ”the action of Greta has affected the awareness of each of us”. I also feel that we haven’t taken global warming seriously, but as Greta did, if someone takes some actions, it would remind us about it, which would lead to our actions for improving global warming.

▶ 私はこの記事を読んで、「明日があるから、明日がないかのように生き続けることはできません。」という彼女の言葉に深く感銘を受けました。彼女は十代の内から積極的に自ら進んで行動に移しているというところがすごいと思いました。一人だろうとかまわずに活動を始めたというところに頭が下がります。誰でも一人で行動することは怖いです。しかし、彼女はそんなことを恐れずに行動し、今では多くの人が彼女の意見に耳を傾けています。それはきっと彼女が一生懸命、世界に地球温暖化について訴えて、多くの人の心を動かした証ではないでしょうか。スウェーデンに行った際、偶然彼女にお会いしましたが、彼女は有名になった今も地元で自分を過大評価するわけでもなく、町の役場の前に座って、地球温暖化について考えを改めないか、自分達で行動しないかということを訴えていました。いざ、自分もやってみようと思ってもやはり、一人でやることや周りからの評価が気になってしまいます。ですが今回、この記事を読んで、彼女の様に、自分から積極的に行動に移し、一人でも多くの人に地球温暖化に対する危機感を感じてもらえるようにしたいと思いました。

⇒”We can’t just continue living as if there was no tomorrow, because there is a tomorrow.” I was also impressed with these words. When I read this, I came up with one thought. It is that we can now live naturally thanks to people who had lived before we were born. Those people made a comfortable environment like now.

⇒I agree that it is scary and worrying to think about what others think if I act alone. I am going to think why a lot of people have this thought. I ask myself if I were her parents or classmates, could I respect her? Maybe I would just think she is strange. She has become a famous person now so people think she is great. But if she has not, she could be just a girl and student.
I think it’s important to be in a world where people with different values and opinions from others aren’t killed. This might lead to picking up small sprouts that will change the world in a good way. I believe that creating an environment where people can actively give their opinions on environmental improvement is important and we should appreciate those who have taken action.

⇒I agree with your opinion. Greta Thunberg’s words are always powerful and influential. I was deeply impressed like you by her message “We can’t just continue living as if there was no tomorrow, because there is a tomorrow”. We have lived every day without changing our attitudes. We have spent our daily lives as if there was no tomorrow.
Now we have to change our daily lives and our future. It’s difficult to do climate actions actively in public, but I think it is important to do that as hard as possible, even though little by little.

⇒It was written by one of my friends, who had actually met Greta. So it was persuasive.

⇒I was impressed by the part saying Greta takes an action even if she is alone. I had not thought about it, but I realized that it is actually hard to start something by myself. Especially in this case, she is trying to motivate the world for global warming. She should be so brave, and I really respect her.

今学期の高等部3年英語は、初の試みとして「英語で調べ、英語で話し合い、英語でまとめて、英語で発表する」プロジェクト導入を計画していました。

受験英語を鍛えるよりむしろ、大学に入ってから「使える」英語を意識して磨き上げようという試みです。テーマは環境問題。手始めに過去の入試問題から「地球温暖化」を扱ったものをいくつか選んで導入とし、そこから本格的なプロジェクトを始める「予定」でした。

ところが、折しも新型コロナウィルスの為に生徒たちは帰寮出来ず、突然の「オンライン授業」の開始。不慣れな「オンライン化」に戸惑いながらも教員・生徒が一丸となって始めた新環境は「良いもの」も同時にもたらしてくれました。高校3年生の新「英語プロジェクト」も例外ではありません。最初の2週間は春休み中に担当教員が用意した「大学入試過去問」の演習と解説で始まりましたが、プレゼンテーションアプリを使った録画解説は生徒たちの理解度に合わせて何度でも見ることが出来て好都合でした。私立大学の問題は選択式のものなので、解答の提出・模範解答の返却も「フォーム」を利用して簡単に終わり、肝心の解説に時間をかけることができました。

そして3週目からいよいよ能力別4グレードに分かれての「プロジェクト」が本格的に始まりました。まずはネット上で様々な情報収集。テーマは「環境問題」で、調べるのはもちろん英語サイトのみ。それぞれのグレードで幅をもたせたテーマから自分たちのテーマを絞っていきました。環境問題を扱ったサイトが星の数ほどある中、お互いに有用と思ったサイトの日本語要約をして交換し合ったり、先生の提案で「環境問題を扱った記事でよく出てくる単語・表現」のリストを作成して共有したり、交換した記事を読み合いながらまずは「環境問題」について現時点での自分の考えをまとめたり、そしてそれを共有ファイルでシャアしたりと、オンラインだからこそできるメリットを活かして、プロジェクトの第一段階は順調に進んでいきました。

(⇒その2〈グレタさんとの出会い〉に続く)

下記は共有ファイルでシャアしたそれぞれの「考え」からの抜粋です。(日本語・英語の両方で意見を交換しました)

▶ By adding one twist to our daily diet, we can reduce greenhouse gases and carbon dioxide emissions. Such a contribution can help in our fight to remedy recent climate change issues. An improvement of eating habits is the easiest way to prevent global warming.

▶ 世界で最も環境に優しい都市は、スウェーデンのストックホルムやオランダのアムステルダムを抜いて、デンマークのコペンハーゲンという都市である。地球に優しい環境作りをしていく上でなによりも大切なのは「国の積極的な姿勢」と「住民の全面的な協力」だと感じる。これが他の国と比較したときのコペンハーゲンという都市の優れている点であり、他国の劣っている点であると言える。

▶ Recently, to think about environmental conservation, global warming and taking part in conservation activities in the course of education is gathering attention.To understand the current situations of global warming makes it easy for children to act positively.

▶ 雨水を再利用したり、電気をこまめに消したり、温暖化ガスを排出しにくい乗り物に乗ったり、私たち個人個人にできる小さなことがたくさんある。また、これらの節約を心がけることで金銭面でも節約することができ、一石二鳥だ。

▶ Some global warming is unavoidable even if we accomplish the reduction of greenhouse gas greatly and quickly, so I think that it is the best shortcut to act even for a small thing deliberately one by one. It is very simple to do, but there are only a few people who can say with confidence, “I usually do it”, and I can’t say so, either.

中3国語では1か月近い期間を使い、「コロナ禍と社会について考える」という単元を行いました。生徒個々人の頑張りは勿論、月曜のオンライン学習で課題文を読んだ後Googleフォームで振り返り・質問への回答、木曜のインタラクティブ授業で読解内容の確認と交流という形で進められたからこそ出来た学習です。今回は、学びをまとめるために各自で問いを立てて文章を書くということをしてもらいました。今後も彼らは答えの明確に出せない問いと格闘しながら考え続けてくれることでしょう。授業担当として大いに期待しています。

生徒の書き上げた文章を3回に分けてご紹介します。今回は下記3点です。

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コロナ禍の社会とペストについてのまとめ

私が今回のまとめの文章の中でとりあげようとしている問いは、「物語の主要な登場人物は最終的に何を目指しているのか」ということである。『ペスト』の小説自体が難しかったので自分なりの解釈で話をまとめようと思う。私が説明するのは、リウー、コタール、ランベールの三人で、それぞれの立場から考える。まず、コタールは、犯罪歴のある男で逮捕されることに恐怖心を抱いていたが、ペストによる混乱の中で人々が恐怖しているのを見て、おびえているのは自分だけでないと感じている。そのためペストの混乱に安心感をいだいておりこの混乱がおさまることを望んではいない。

ランベールはパリに住む新聞記者だが、ペストが流行するオラン市に閉じ込められてしまう。妻が待つパリへ帰るため脱走をこころみる。だが最終的に、リウーも妻と離ればなれになっていることをきかされ、リウーに協力を申し出る。リウーは決して名医ではない。ペストをくいとめられるわけではないが、死にそうな患者の手当てからにげない立派な医者であり、ペストがはやく終息することを願っている。こうして登場人物それぞれの想いを見ていくと、人間の薄汚さや生きることの本質が分かりやすいような気がする。それは現代社会でも同じで、ほとんどの人がリウーのように終息を願うが、中にはコタールと同様に混乱が心地良いと感じる人もいるのだろう。しかしやはりコロナは乗り越えていくべき壁だと思う。医療従事者の方をはじめとし一人ひとりの意識によってコロナが一刻もはやく終息することを願う。

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漫画『ジョジョの奇妙な冒険』とともに考える正義

まず前提として、このまとめ文章は僕の思うことをまとめたものです。不確かなことを事実として断定したり、僕の考えを押し付けようとしたりするつもりはないことを理解していただきますよう、よろしくお願いします。

はじめに
今回の国語の授業内で小説『ペスト』の一部を読んで、僕は正義について疑問が生まれました。正義とは何なのか?は人によって違うものだと思います。二つの違う正義感を持った人物が対立したときどうするのが正しいのか?という疑問です。しかし、この小説『ペスト』は僕にとっては少し難しい内容の物でした。なので、このペストを読んで生まれた疑問について、何とか思考するために他の資料を用意しました。その資料とは!漫画です。資料として出させていただく漫画は『ジョジョの奇妙な冒険』という作品で作者は荒木飛呂彦先生です。なので、このまとめ文では僕の好きな人気漫画『ジョジョの奇妙な冒険』とともに正義について考えていきたいと思います。

『ジョジョの奇妙な冒険』とは?
まず、『ジョジョの奇妙な冒険』とともに正義について考えるにあたって、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』についての基礎知識が必要だと思います。なので、大体の登場人物や、その性格、人間関係、などを書いておきます。大体知っている人は読まなくてもいいと思うので、次の題名まで飛ばしてください。まず、このまとめ文では『ジョジョの奇妙な冒険』、通称『ジョジョ』(今後は『ジョジョ』と表記します)の数あるシリーズの中でもその原点である『ジョジョ‐第一部ファントムブラッド』の少年期にしぼって考察をしていきたいと思います。

「この物語はある2人の若者と、血塗られた伝説を持つ古代アステカの石仮面にまつわる奇妙な物語である。」‐ジョジョ ファントムブラッド冒頭。この作品の舞台は立教英国学院ができる前の時代、1889年のイギリス。主人公はジョナサン・ジョースター(今後はジョナサンと表記します)で、周りのみんなから名前に「ジョ」が二つ付いていることから、ジョジョと呼ばれています。父は名門貴族ジョージ・ジョースター卿で、かなり裕福な家庭で育っています。ジョナサンは正義感が強く第一話の登場シーンでは、からかわれている少女を助けるために少女をからかっている男たちに殴り掛かかっています。一見かっこいい正義のヒーローに見えますが、その直後にその男たちにボコボコにされています。このことから、ジョナサンは勝てないケンカにでも、自分の正義感を信じ貫き、正しいと思ったことを行動に移す性格だという事がわかります。ジョナサンは立派な紳士を目指していますが、少女を守れても、ケンカには勝てなかったり、テーブルマナーがなかなか身につかなかったりと、あまりとんとん拍子にうまくいっているわけではありません。なので、一言でいうとジョナサンは「真面目だけど不器用」な性格なのです。

対して、この物語のいわゆる悪役として登場するのがディオ・ブランドー。彼はイギリスの貧民街の出身で、彼の父、ダリオ・ブランドーの死をきっかけにジョージ・ジョースター卿の養子になります。彼は、悪役でありながら、非常に利口で器用です。しかし、その行動理念はいたって単純かつ欲望的で、自分が一番でありたいというたったそれだけです。しかし、その単純な欲望のためなら何でもするのが彼の恐ろしいところでもあります。その証拠に彼はあるシーンではジョナサンに向かって「いいか!ジョジョ最初に言っておく!これから君の家にやっかいになるからといって僕にイバったりするなよな。ぼくは一番が好きだ。ナンバー1だ!誰だろうとぼくの前でイバらせはしないッ!」と言っています。このセリフだけならまだかわいいものですが、彼の性格はその行動にも出ており、かなり序盤の方で「犬の人間にへーこらする態度が気に入らない」という理由でジョナサンの愛犬ダニーを焼き殺しています。同じ十四歳の行動とは思えません。

一見、彼は自己中な奴だとみんなに嫌われそうにも思えますが、彼のカリスマ性にたくさんの人が惹かれています。ディオの取り巻きのひとりが「さすがディオ!俺たちにできないことを平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!」と言っています。ディオは一言でいうと「悪のカリスマ」って感じですかね。
他にもたくさんの登場人物がいますが、今回はこの対照的な二人で悪と正義について考えていきたいと思います。

やっと本編
上のキャラクター説明ではジョナサンとディオの二人は対照的だといいました。では二人には共通点はなく、ディオが悪役だと決まっているのでしょうか?
二人にも共通点はあると思います。二人とも、他人に流されずに、自分の意見をしっかりと持っていて、なおかつ行動派であるという事です。ジョナサンは確かに人気キャラクターです。彼のまっすぐな部分は多くの人にとって正義感が強い少年に見えるでしょう。しかし、ディオも人気キャラであることは確かです。ときどき僕も彼のカリスマ性にはとても惹かれることがあります。悪行を働いている悪のカリスマでさえ、魅力的に見えることは少なからずあるという事です。では、その人は、この例でいうとディオは悪行を働いているから人気キャラなのでしょうか?

僕は一概にそうとは言えないと思います。確かに、すがすがしいほどに欲望的で、一瞬の迷いもなく極められた悪というのは多くの人が「かっこいい!」と感じさせられるものがあるのかもしれません。しかし、ディオの行動がすべての人にとって悪行なのでしょうか?例えば、上の『ジョジョの奇妙な冒険』とは?の中で、ディオの取り巻きの例を挙げました。取り巻きはディオの行動を見て「さすがディオ!俺たちにできないことを平然とやってのけるッそこにシビれる!あこがれるゥ!」と言っています。これは普通の人にはできない悪行をディオは平然とやってのけるので一種の「ワル」にあこがれる精神と似たようなものなのでは?と思う人もいるかもしれません。しかし本当にそうなのでしょうか?人によって正義感が違うという話はよく聞いたことがあると思います。しかし、ディオのよう悪を極めた存在にとって、正義感がどうだとかはどうでもいいのではないでしょうか?自分がやっていることが正しいのか?なんて考えていたらディオはダニーを焼き殺せたでしょうか?おそらくですが、彼の場合、彼自身がやっていることが悪行だと理解していると思います。少なくとも、他人に配慮した善行ではないという事は十分に理解しているはずです。しかし、ディオの取り巻きにとってディオの行動は正義だったのかもしれません。
つまり何が言いたいかというと、正義感は人それぞれで、行動を起こしている人にとってその行動が悪だったとしても、それを見た人が正義だと思えばその人にとってはその行動が正義だという事です。

まとめ
ここからは少し強引にまとめていきます。
最初の問い、二つの違う正義感を持った人物が対立したときどうするのが正しいのか?に対しての答えを考えていきたいと思います。まずこれに対しての答えは断定はできません。しかし、僕が思ったことは対立したのが二人だった場合は、たくさんの周りの意見が必要だと思いました。片方にだけ肩入れするのではなく、両方肯定派、片方肯定派、両方否定派などたくさんの意見を持った人たちと話し合うことで、状況はかなり変わるということです。状況を解決するのではなく解決を目指して改善していく事が大事だと思います。お互いを尊重し、なおかつ各々が自己主張をする。そういう世界にできたらいいなと思います。

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コロナ禍の中で、私の立場なりに出来ることは何だろうか

私は、コロナ禍が私自身に大きな影響を与えたか、というと実のところあまり実感が湧かない。今もこうして変わらず勉強したりテレビを見たり、美味しいご飯も食べられたりと、何不自由なく日々生活を送っている。つまり、コロナ禍による外出禁止といえども、私はそこまで事の重大さを理解できずに、のほほんとその命令に従うだけであったように思う。コロナは、私と近いようで遠い存在なのだ。

そんな中で私は、国語の授業で『ペスト』という本と出会った。この本は、感染症が生活の中に降りかかってきた時の人々の様子が描かれていて、今のコロナの状況と重ね合わせると、ふと気付かされることがたくさんある。授業では、この物語の部分的なところしか扱わなかったけれど、その中で私が強く感じたことがある。それは、「深い」ということだ。

テレビなどで注目視されるのは偉い人であったり、特別にすごい人であったりと、社会の明るい、見える部分が多い。しかしペストには、医師、観察者兼記録者、新聞記者、凡人や悪役的な立場の者など、幅広いキャラクターが登場する。そしてその凡人であったり、悪役的な立場の人間にも、スポットライトが当てられているのだ。善は善、悪は悪、といった見方ではなくて、本当にいろんな人の意見を交えた内容になっている。

その意見のぶつかり合いの中で、印象深かった場面がある。新聞記者のランベールが、医師のリウーから保健隊に入らないかと誘われるがそれを断った場面だ。そしてその理由を、「僕はヒロイズムというものを信用しない」、「僕が心をひかれるのは、自分の愛するもののために生き、かつ死ぬということ」というふうに述べていた。私は、人助けの行為に反対するランベールに対して、どうして入らないのかという気持ちでいたが、彼には彼なりの理由があり、私もそれを悪いとは思わず、素直に納得できた。その答えに対して医師は、「今度のことはヒロイズムなどという問題じゃない」、ペストと戦う唯一の方法は、「誠実さ」であり、その誠実さというのは、「自分の職務を果たすこと」と述べている。リウーは医師という立場からして、社会の中ではヒーロー的な存在である。だからといって称賛するわけではないけれど、リウーの本質を理解した上での考えというか、その心意気は素晴らしいと思った。日々感染者が増加して疲労困憊する中、患者さんに対する同情の気持ちが消えつつも、医師として感染症と誠実に向き合う姿はとても尊敬した。

このように、善い行為に反する人がいけないとか、ヒーロー的な人だからすごいとかそういう問題ではないんだということを、私なりに理解した。感染症との戦いと立ち向かうのは、医療関係者や政府などの社会の見えるところに存在する者だけでなく、見えないところで過ごしている私のような学生や、大人たちであったりすることに変わりはない。そしてたくさんの人が自分の職務をまっとうしていることだろう。だから私も、私の立場なりに出来ることを精一杯まっとうしたいと思った。

授業で、あるひとりの看護師さんからの意見を知る機会があり、「何をしたらありがたいか?」というクラスメイトの中の誰かの質問があった。私は、マスク着用とか、三密を防ぐこととかを予想していたが、看護師さんは「みなさんの身近な医療者に応援のエールを送ってほしい」と回答された。それは、コロナと身近にいるからこその意見だと思う。そのような立場にいる人の意見や気持ちを知るということは、私みたいに感染症の重みを知らない人にとって物事を考えるきっかけとなり、ある意味私の「誠実さ」であるのではないかと感じた。この世の中には本当にたくさんの人がいて、たくさんの意見、考え、思いがあるのでこれが正解というのは分からない。また、自分が行動に移すだけで社会が変わるわけでもない。でも、自分なりに出来ることをまっとうするという「誠実さ」は、大事にするべきではないだろうか。そして、私は他人の意見を理解、尊重するとともに自分なりに深く考えられるようになりたい。

中1国語では、1学期の締めくくりとして稲垣英洋さんの「ダイコンは大きな根?」を読みました。作品を読んで、大根の上・下の部分、また、すりおろし方で味が異なることを知ったうえで、実際に自分でダイコンの味や特徴を調べて説明文に書きまとめるという「ダイコン・プロジェクト」を企画しました。

大根を買いに行くことから始まり、自分の手ですりおろした大根おろしを食べ比べたり、家族と協力して大根おろしに合う料理をつくってみたりなどして作品を完成させました。作品は、クラスの中で共有し、互いに読み合ってコメントを送ることによって、読者と作者の立場を経験するだけでなく、オンライン上でしか顔を合わせたことのないクラスメイトとの交流の機会としても、働きかけることができたのではないかと思います。

中1国語は、1学期の授業のすべてをオンラインで開講しました。通常授業では、クラスメイトの発表を聞くことによって自分も理解したような気持ちになってしまいがちです。オンライン授業では、生徒それぞれが教科書の文章をしっかり読み、自分の発見や感想を書くまでの時間を確保することができます。自らの考えを持ったうえで、意見交換に臨むことで、よりよい学習に繋げることができたのではないでしょうか。

今回は、「ダイコン・プロジェクト」より、いくつかの作品を2部に分けて紹介したいと思います。

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「ダイコンの違い?」

私たちが普段食べている野菜には様々な種類と味があります。また、場所によって味が違うことがあり、その例として、大根があげられます。大根は下にいくほど辛みが増していくそうです。果たして本当にそうなのでしょうか。私はその疑問を解決するために実験をしてみました。

まず、上と下の味の違いを比べるために、大根おろしを作って比較しました。まず初めに、一番上の写真を見てください。一番上の写真は大根の下の部分を使って作ったものです。また、二番目の写真は大根の上の部分を使って作ったもので、見た目はよく似ていますが、味はとても違い、一番目の写真の方が辛かったです。つまり、大根は下に行くほど辛いということです。

他にも、大根おろしを作るときのすり方によっても味が変わるそうです。そこで、「円を描くようにやさしく」すったものと、「力強く直線的」にすったものを用意して、味を比べてみました。三番目の写真は「力強く直線的」にすったもので、四番目の写真は「円を描くようにやさしく」すったものです。
「力強く直線的」にすったものは、「円を描くようにやさしく」すったものよりも辛かったです。私は食べてみる前はそこまで大差ないと思っていましたが、意外と味が違ってとても驚きました。

このように、大根は上と下とでは味が違い、下にいくほど辛くなっていくことが分かりました。また、大根おろしのすり方によっても味が変わり、「力強く直線的」にするのと、「円を描くようにやさしく」するのとでは、「力強く直線的」にする方が辛いことも分かりました。また、「力強く直線的」にすったものの方が舌ざわりがザラザラしていました。今回は、この二つをしてみたけれど、他にも大根おろしに合う料理についてや、他の野菜についても詳しく知りたいです。daikon_project_02_02

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