「結婚しない」は個人の自由か
そのうち国も人類も滅ぶ
これに対し「安心して子供を産めるような環境を
作る事」「育児手当の増額」「ゼロ歳保育施設の
充実」等々が叫ばれる。
しかし私は、そのような弥縫(びほう)策は問題の
解決につながらず、かえって状況を悪化させる
危険があるとさえ考えている。
第一に問題とすべきは、男女ともに結婚を急が
なくなった傾向が存在する事である。
私は若い時代、農村の青年団に属して活動して
いたが、青年団で活動するのは二十歳までの
女性であった。成人式を過ぎる頃になると、
それぞれ家に落ち着いて結婚に準備の入った。
結婚しない人は、もしかすると何となく「風圧」を
感じていたかも知れない。
このような「前近代的風圧」を全面的に否定する
事から戦後は始まった。結婚しようがすまいが、
それはあくまでも個人の自由であり、それを
とやかく言うのは封建的外圧というものだとする
のが、戦後六十年の時代風潮であった。
今や、社会の模範として仰がれる人の中でも、
晩婚傾向は著しくなりつつある。なかには結婚
せずに生涯を終わる人も少なくない。
間違いなく言える事は、このようにして結婚する
人の数が次第に少なくなっていけば、人類は死滅
してしまうと言う事である。それでも構わぬと言う人は
少なかろうが、しかし「人は必ず結婚すべきだ」と
言い切ったら、四方八方から石つぶてが飛んでくる
であろう。
少子化は国をも人類をも滅ぼすが、このあたりを
どのように考えるべきだろうか。