与作の失敗(1)
校長 小川義男
小川与作は勤勉な大工であった。
私の父である。 彼ほど勤勉な人間は
見たことがない。
それなのに彼は、その人生で成功する
ことが出来なかった。
彼は朝の四時には現場に出て働いた。
小さな「組」を作り、何人かの職人も使って
いた。
昭和 20 年、英米との戦争に敗れた年、
日本経済は破滅状態にあった。当時の
片山内閣は「傾斜生産」という政策をとった。
乏しい国家資本を、鉄鋼と石炭の生産に
重点的に投入したのである。電力が不足し
「ろうそく送電」が行われていた。甚だしい
場合は「線香送電」と言うのすらあった。
電球のフィラメントだけが線香のように赤く
灯るのである。それでも真っ暗闇よりは
良かった。
その2につづく…