人間を矮小化してはならぬ(その1

先日、狭山市の柏原地区に自衛隊の練習用ジェット機が

墜落しました。たまたま私は、寺田先生(教頭)と共に、あの

近くを走っていましたので立ち寄ることにしま した。すでに

付近は閉鎖されていて、近くまで行くことはできませんでしたが、

それほど遠くないあたりに、白煙の立ち上るのが見えました。

 

見上げると、どのような状態であったものか、高圧線がかなり

広範囲にわたって切断されています。高圧線は、あの太くて

丈夫な電線ですから、切れるときはぶつんと切れそうなもの

ですが、多数の細い線の集まりからできているらしく、ぼさぼさに

切れています。何か所にもわたって、長くぼさぼさになった

高圧線が鉄塔からぶら下っ ている様は、まさに鬼気迫るものが

ありました。

 

聞くと、操縦していた二人は助からなかったそうです。二佐と三佐と

言いますから、相当地位の高いパイロットだと言えます。二人とも

脱出を試みたのですが、高度が足りなく、パラシュート半開きの

状態で地面に激突し命を失った模様です。

 

以前、現在防衛大学の学生である本校の卒業生が、防大合格後

航空コースを選ぶというのを聞いて、私がとめたことがあります。

「あんな危ないものに乗るな」と。彼の答えはこうでした。

「先生、戦闘機は旅客機より安全なのです。万一の場合脱出装置が

付いており、座席ごと空中に打ち出されるのですから」と。 その安全な

戦闘機に乗りながら、この二人の高級将校は、何故死ななくてはなら

なかったのでしょうか。

 

 

それは、彼らが十分な高度での脱出を、自ら選ばなかったからです。

おそらく、もう百メートル上空で脱出装置を作動させていれば、彼らは

確実に 自らの命を救うことができたでしょう。47歳と48歳と言いますから、

家族に取りかけがえもなく尊い父親であったでしょう。それなのに、何故

彼らはあえて死を選んだのでしょうか。

 

(その2へ続く)

 

ページ
TOP