フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(1)
1957年、私はある国際会議の日本代表として
モスクワに滞在しておりました。
私は代表団副 団長でしたので、その縁もあってか、
当時の共産党第一書記(今で言う書記長)、
フルシチョフさんにクレムリンに招待されたのです。
雑誌の写真などで見ると、クレムリンは、あの城壁の陰に
直ちに建物が存在するように見 えますが、城壁の直ぐ
後ろには、広大な芝生が広がっていました。
そこに様々な民族衣装を着たお嬢さんたちが花束を
持って立っています。歩いて行くと、その人たちが、
「パジャールスタПожалуйста. 」(どうぞ)と言って
花束をくれるのです。
次々にくれますから、腕は花束で一杯になります。
何も持っていないお嬢さんもいます。この人々は、
来客の腕一杯 になった花束を受け取る係なのです。
貰ったり渡したりしているうちに、自分はクレムリンで
心から歓迎されているのだという気持ちになりますから、
「接待外交」というのは不思議なものです。
その2に続く…