夜空に星が多かった頃(2/2) 

校長 小川義男

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

 

(前編のつづき)

「こくわ」 は、北海道の山に生えるもっともおいしい食べ物である。大きなもので

大人の親指くらいの大きさであろうか。実が青くてふにゃふにゃしている。甘いと

いうか、酸 っぱいというか、それが適度に混じり合って、とてもおいしいのである。

私は世の中に、あれほどおいしい食べ物は他にないと、今でも思っている。たやすく

手に入 る山葡萄とは異なり、深山に入らなければ手に入らないので、そんなに沢山の

「こくわ」を食べたのは、そのときが初めてであった。

 

馬車に揺られながら、時折馬車追いのおじさんの問いかけに答えたりしながら、

私は「こくわ」の実を食べ続けた。 ふと空を見上げると、信じられないほどの数の

星が煌めいていた。天の川などは、 それこそ、かご一杯の銀の粉をぶちまけて、

竹箒で掃いたように輝いている。「こく わ」を食べる以外にすることのない私は、

じっと夜空を眺め続けた。流れ星が、 次々に流れて行く。それまで私は、流れ星は、

滅多に見られるものではないと思っ ていたのだが、三時間も馬車に揺られ続けて

いる間に、ほとんど絶え間なく星が流れているのに驚いた。今とは比べものにならない

ほどに夜空が澄み切っていたのか、 当時の田舎には、明かりらしい明かりがなかった

からなのか、あの夜の星の美しさ は、その後の人生に影響を与えたのではないかと

思うほどに美しいものであった。

 

それからすでに六十年、無骨ながら深く私を愛した父はこの世にいない。ずっと 長ずるに

及んでから私は思うのだが、あの夜、父は深夜の原始林を歩いて帰って怖 くはなかったの

であろうか。当時私にとり父は絶対的な存在であったから、恐怖な どとは無縁のはずの人で

あった。

 

しかし、自分も十分に年を取った今、人間は、幾 つになっても、決してそれほど大胆になれる

ものではないことを知っている。また、 はるばる遠くまで父を慕ってきた息子を、深夜の路上に

追い返す父の心がどんなも のであったか、今の私にはそれも分かる。 親の心が分かるのは、

自分が親になってからだと、よく言われる。結局親心とい うものは、子どもを育てている間には

分かってもらえないものなのかも知れない。 せめて父の存命中に、あの夜の「こくわ」が

おいしかったことくらいは語ってお きたかった。今私はそのことを後悔している。

 

(平成17年12月10日 狭山ヶ丘通信 第5号)

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