皆様にご声援いただきました

高等部野球部ですが、

残念ながら山村学園に

敗れました。

狭山ケ丘
1 2 3 4 5 6 7 8 9 計
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
1 0 0 0 0 0 0 0 X 1
山村学園

投手
狭山ケ丘:
臼井→安田
山村学園:
和田→矢口

ご声援ありがとうござい

ました。

3年生ピッチャー、安田くん

お疲れさまでした。今日の日の

悔しさを胸に、明日からの人生を

力強く生きていってください。

君なら、何でもできますから。

今後の活躍に期待しています。

 

校長先生の不登校体験(完結編)

雨の日には滑り台の下に雨宿りしたが、

少し激しくなるとそうもいかない。

そんなときは、池のそばに伏せてある

ボートの下に潜りこんだ。

時にはそのまま眠りこけてしまうこと

もあった。

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ある日姉が私のノートを調べた。

学校に行っていなかったのだから、

まっさらである。しかし善良な姉は、

弟を疑うことを知らない。先生の

おっしゃることや黒板にかかれたことは

しっかりノートに書かなければいけないと

叱るのである。危機感を感じた私は、

毎日滑り台の上で2時間ほど算術の問題を

解き、国語の教科書を書き写すことにした。

 

しかし、危機は再び訪れた。こんなに

勉強が進む学校はおかしいと姉は言う

のである。「そうだよ。僕の学校は

勉強が早いんだよ。後で何回もやり直す

んだもの。」嘘にはさらに嘘を重ねなければ

ならない。胸は少し痛んだが、何しろ先の

見通しなどない年頃だから、急場を切り抜け

さえすればよいという有様であった。

 

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困ったことが起きた。だんだん寒くなって

きたのである。北海道の10月は、耐え難い

ほど寒い日もある。だがよくしたもので、

その季節になると、停車場のストーブに

火が入った。私は、日がな一日を駅の

待合室で過ごすことにした。近くの家の

ゴミ箱を探すと、沢山の本が捨てられて

ある。表紙も裏もとれてしまっているもの

が多いのだが、それでも、アラビアンナイ

とかイギリス童話とか、内容の素晴らしい

ものが少なくなかった。私の知識や話題に、

いささかゴミ箱の臭いらしいものが混じる

のは、その時の後遺症である。

 

線路に入り込み、列車の間をすり抜け、

もぐり抜けて遊んだ。台車の下について

いるハンドルを引くと、シューとエアー

の抜ける音がした。50台以上もある列車

のエアーを全部抜いたこともある。しかし

この「優雅な毎日」は、思わぬところで

破綻した。列車のいたずらから帰ってみる

と、何と待合室のベンチの上に置いてあった

ランドセルがないのである。ランドセルには

「タキイチイチノイチ オガワヨシオ」と

書いてある。「滝川第1小学校1年1組

小川義男」というわけである。

 

 

 

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かくして私の登校拒否体験は悲劇的結末を

迎えた。ランドセルが学校に届けられて

しまったのである。

私は裸にされて松の木に縛り付けられた。

息子が何よりの自慢であった父にとり、

それはどれはど悲しいことであったろうか。

父は人通りが途絶えた頃、裸の私に腰縄を

つけて「石狩川に漬ける」ため歩かせ

始めた。「漬ける」とはどんなことか

分からなかったが、恐怖に怯えた私は、

rー「助けて」と叫んだ。近所のおばさんたちが

出てきて、泣くようにして謝ってくれた。

「よしおちゃん、もうしないよね。」と。

 

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「昔の先生はよかった」などという人が

よくいるが、私はそうでもないと思う。

転校してきた1年生が、2か月も学校を

隠れ休みしているのに、情報が入らない

はずがない。しかし担任は、家庭訪問は

おろか、手紙一本家に出さなかったので

ある。

「今の先生は良くない」という人が多い。

そうかも知れない。しかし私は確信を

持って言うが、1週間子供が学校に

来なくて、何らかの動きを起こさぬ教師は、

今の学校には絶対にいない。

私はその後さぼらず学校に通い、まあまあ

真面目な大人に育った。ずいぶん悲しい

体験ではあるが、それも教師となった今で

は、貴重な体験だったと思う。非行に走った

生徒に対していて、彼あるいは彼女と、実は

仲間であるという実感が、私の心のどこかに

は隠れているからである。

「ばれた」後、学校に呼び出された父は、

担任に、「先生、こんな子は石川五右衛門

のようになるのではないでしょうか。」と

尋ねた。先生は、「そうでもないですよ。」

と答えたという。父は、私をひっぱたき

ながら、先生のその言葉を繰り返した。

「石川五右衛門のようになるのではない

でしょうか、と言ったら先生は、そうでも

ないですよと言った。」と何度も何度も

繰り返すのである。20歳を過ぎたか過ぎない

娘っこ教師の言うことである。当てになどな

るものか。しかし父は、せめてもの救いをそ

の言葉に求めたのか、「そうでもないですよ

と言った」と、呪文のように繰り返しながら

私を殴るのである。

新任教師を対象とする講演などの際に私は、

しばしばこのことを語るのであるが、語る

たびに、つい涙にむせびそうになって

しまうのである。

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