西武文理 佐藤英樹先生の偉大さ!(2)

 

争いの原因は、学校説明会に登場する「狭山ヶ丘」の位置づけ、順番であった。英樹先生 は、「狭山ヶ丘は、今では立派な進学校である。この順番で話をさせるのは、明らかに適当ではない」と仰っていたのである。

その時、「狭山ヶ丘」は、工業学校、専門学校、職業訓 練所等のグループの中に位置づけられていたのである。先生は、これは適当ではないと主張されているのであった。

 

「ご主張は、自分の学校ではなく、私の学校を庇ってのご発言だったのだ。」

 

そう思うと、私の胸は熱くなった。「なるほど、これが横綱相撲というものか。」私は、そう思っ た。いくら名門校の校長とは言え、他校を庇って、これほどの犠牲を払えるものではない。

佐藤英樹先生は、そのようにスケールの大きな方だったのである。

西武文理学園が、大学も含めて、更に一層、発展を遂げられることを期待したい。

惜しいことに、その翌年から、入間市のPTA主催の学校説明会はなくなった。今から振り返っても、残念なことである。

狭山ヶ丘高校、付属中学校も含めて「狭山ヶ丘学園」は、その後も順調に発展を遂げてき た。それにしても、狭山ヶ丘高等学校も、「あの頃は本当に苦しかったなあ」と想起させら れる。在校生諸君、保護者の皆様には、かつて、そのように厳しい歴史があったということを理解して頂きたい。

あらためて、「西武文理」と佐藤英樹先生の、ますますのご発展を祈念申し上げる。

 

 

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