闇の美しさ

学生時代、人形劇に夢中になり、当時まだランプを
使っている小学校を中心に巡回公演した事があった。

十勝平野の寒村だ ったと思うが、ある夜、懐中電灯も
なく五キロほどの道を学生四人で歩いた。折悪しく
月も星もなく、四方に灯り一つ見えない。文字通り
暗黒の世界である。眼前にすかして見ても、自分の
手のひらさえ見えない。

狭山ヶ丘高等学校付属中学校校長メッセージ

その時ふと、闇とは美しいものだと思った。黒い

「びろうど」 に包まれていると言うよりは、自分が
そのびろうどになってしまったような感 じなので
ある。

今街は明るい。クリスマスの頃やお正月には、
殊更に自分の家を電飾で飾り 立てる人もいる。
エネルギーの無駄遣いなどと野暮な事を言う
つもりはない。

しかし、これほどの明るさ、美しさに包まれていたら、
子供達は暗闇の美しさなど知らぬままに、生涯を
終わってしまうのではないだろうか。 闇の中に歩を
運んでいればこそ、彼方に灯る一点の灯がこよなく
美しく見える。

懐かしさもこみ上げてくる。星や月の美しさも、
闇の中で見上げるからこ そ気高いのではない
だろうか。明るさの中で、巷に溢れる光の美しさ
の中で、 私たちは失ってはならぬ大切な何かを
失ってしまったのかも知れない。

ファミリーレストランの中には、夜明けまで営業
しているところもある。その前を車で通り抜けたり
しながら、ふと「うちの生徒が居たりはしないか」と
心配になる。豊かな現代ではあるが、例えば夜の
十一時に は、日本中の電灯をすべて消すという
ような定めは不可能なものであろうか。

「街を暗くしよう」とは呆れ た物言いかも知れぬが、
光の洪水の中で、ふと闇が恋しくなってしまったり
するのである。

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