ペリカン君の想い出(1) 

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

千九百五十七年(昭和32年)、まだ学生で
あった私は、ある国際会議の日本代表として
ヨーロッパに滞在していた。

ある日私は、国際的に著名な二人の人物と
一緒にモスクワ市内をドライブした。 一人は
国際学連委員長ペリカン、今一人は京都
大学の田中雄三である。

田中は、その前年まで日本全学連委員長を
務めていたが、当時はモスクワに常駐し
国際学連副委員長であった。

田中は大変な美男子であった。ある日彼は、
比較的小さな会議で議長を務めてい た。
私もこの会議に参加していたのだが、彼が、
ワイシャツの袖をまくり、腕を大 きく動かして
発言の指名を行っていた様を今でも思い出す。
青年の極限の美しさだ と思った。背も高くきりり
として色白、石原裕次郎など足元にも及べぬ
美しさであ った。

ペリカンはチェコスロバキア全学連の委員長も
兼ねていた。この二人が勤務する国際学連の
事務所はモスクワ大学内にあったが、その椅子
が、私など見たこともない革製の立派な物だっ
たのを覚えている。当時のソビエトで彼らは、
大臣並の待遇 を受けていたのである。

 

その2に続く

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