冷凍(シバレ)いも物語(1)

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

昭和20年(1945)は百年に一度という凶作であった。

この年の8月15日に、 日本は英米との戦争に敗れた
のだが、戦争による物資不足に凶作が重なり、冬を
越すまでには相当数の餓死者が出るだろうと言われ
ていた。

田植えの頃に雪 が降ったし、晩秋になっても、稲の
穂は頭を垂れず、真っ直ぐに突っ立ったま まだった。
十月末の北海道は寒い。畑は冷たく凍りついている。

ある日曜日、父は「畑 のしばれいもを10町歩
(10ヘクタール)分買ったから、拾いに行く。」
という のである。

父と姉、それに私と親戚のおばさん、計4人で4キロ
離れた現場に 「しばれいも」を拾いに行った。 当時の
北海道でも、ジャガイモの栽培には、すでに「大農法」
が用いられていた。芋掘りも、手で掘るのではなく、
馬に引かせたプラウ(鋤・スキ)で畑を ほっくり返し、
いもを露出させた上で拾うのである。当然プラウの刃で
切られ る芋も出るし、半ば土をかぶったままのものは
見捨てられてしまう。それが晩秋の寒さで凍りつき、
畑にこびりついている。それが「しばれいも」なのであ る。

タマネギの凍ったのも、ミカンの凍ったのも、味は落ちるが、
何とか食うこ とができる。しかし、いもの凍ったやつだけは、
食うことができない。煮ても焼いても食えない代物なのである。

食糧難の時代ではあったが、凍った馬鈴薯に目を向ける者
はいなかった。父はそれを、10ヘクタール分買い占めたと
いう のである。

大きな籠を背負い、先に釘を打った棒きれでいもを突き刺す。
二本の長い釘 を打ち込み、反対側に交差して突き出させて
ある。この鋭い二本の釘で、いもを突き刺して拾うのである。
日中は畑の土も暖まっているから、いもは面白いように取れた。
こんと刺し、背中の籠の縁にたたきつけて中に落とす。見る間
に籠は、凍ったいもで一杯になった。

 

その2につづく…

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