日本的思想の深さを(1)

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

 

自動車を学校に置いたまま出張していたので、
夜九時頃、自宅から学校まで歩いて取りに行った。

藤沢小学校の前を通る坂道を下っていく頃、寒空に
月が 皓々(こうこう) と冴えているのに気がついた。
寒気で空気が澄んでいるためでもあろうか、 まことに
美しい月であった。これくらい冴えると、月にある山々
の影も見て取 れる。山影を判別できるほど近くに天体が
存在するとは、何と不思議なことだ ろう。

寒気はオーバーを通して肌にしみ通ってくるが、それに
しても、車では なく「人間の足で」歩くことは、こんなに
素晴らしいものかとしみじみ思った。

昔山奥の中学校で英語の代用教員をやっていた。
十八歳から二十一歳までの四年間である。学校は
駅から五キロの所にあった。その駅は上多度志(かみたどし)
と言ったが、その駅も今はない。鉄道そのものが撤去
されてしまったのだ。駅からの五キロは、徒歩による以外、
交通の手段がなかった。映画を見るには「本村」まで
行かなければならなかった。

距離は十二キロある。昔風に言えば三里だが、 土曜の
夜など、この三里を歩いて映画を見に行った。 見ている
間は楽しいが、三本立ての映画が終わると真夜中の
十二時である。 その後歩いて帰るのだから、帰宅するのは
朝の三時頃になった。三時間、晩秋の風の冷たさに
耐えながら、名月や、墨絵のように連なる山々を眺めつつ
歩き続けたのである。若いとは言え、良くやったものだと思う。
自動車ならほんの 十分程度の距離なのだが、昔は我ながら
辛抱が続いたものだ。

しかし、その辛く厳しい日々が懐かしまれてならないのである。

 

その2に続く…

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