日本的思想の深さを(3)

 

狭山ヶ丘高等学校の修学旅行は、フランス、
イギリスである。パリ郊外のバ ルビゾンを訪れた
ことがあった。有名なミレーの晩鐘の背景と
なっている美しい田園である。そこにナポレオンが
愛したという豪華絢爛たる宮殿がある。 奢侈逸楽
(しゃしいつらく) の限りを尽くした豪華さを我々は
楽しんだが、

「人間の贅沢も、どん なに贅ぜい を尽くしたところで、
大したものではないな」

というのが実感であった。 宮殿を出て、何本かの
木立のある所まで来ると、そこに数人の本校生徒が
屯(たむろ) していた。私がそこに近づいたとき、
その日は曇り空だったのだが、雲の切れ間から
太陽の光が射し込んだ。その光が、葉の緑を
透かして我々の上に届いたのである。その美しさは
格別であった。

「宮殿の豪華さも、この葉っぱを 通して輝く太陽に
比べれば、とても喧嘩にはならんな」

私がつぶやくと、何人かの男子生徒が、私の予想を
超える強さで、共感を表明した。自然は本当に素晴
らしいものだと思うのである。

その大切な自然が今失われようとしている。産業革命
以来の「物質的幸福論」 は、今や熱帯雨林を滅ぼし、
世界から美しい川を駆逐(くちく)しつつある。やがて
十三 億の中国人、十一億のインド人のすべてが
自動車を乗り回すようになる。当然のことである。
先進国だけが利便を楽しんで、途上国は車を抑制
すべきだなどという理屈は通らない。

 

その4につづく……

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