体罰「絶対」禁止への疑問(2)

 

None Directive Method (ノン デイレクティフ メソド )
という教育の一流派があった。直訳すれば「指導で
ない指導」と言うことになろう か。

青年教師時代の私は、「指導でない指導などは、所詮
指導たり得ないではないか」とせせら笑っていたが、
今もその思いは変わらない。

要するに指導することを恐れたのである。指導することに
伴う師弟間の緊張状態を恐れたのだ。理解し合い、納得
し合い、相手の了解を得た 上で人間的な成長を遂げ
させるという、本来不可能な極楽とんぼ的教育論は、
このようにして我が国に定着したのである。

実はこれには歴史的背景がある。第二次世界大戦が
始まった当時、世界のほとんどは欧米列強の植民地
であった。白人がアジア、アフリカに対して、どのような
専横、暴虐を働いたかは、白人文化全盛の今日、今
なお明確にされてはいない。 私はこれを、いずれ著書
にもしたいし、できれば「欧米列強植民地化の歴史
博物館」を世界各地に設立したいものだと願っている。

その残虐 非道は言語に絶するものであったらしい。

その3につづく…

 

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