廃墟の悲哀(4)

事実は冷厳であった。

特殊の原料炭を除き、我が国全域にわたって、
炭坑は ほぼ完全に閉山されてしまったからで
ある。

私はイデオロギーが、いかに無責任なもので
あるかを身体で味わった 「墨で書いた嘘は、
血で書いた真実を消すことはできない」とは
マルクスの言葉であるが、皮肉にも、その
マルキスト諸君が、いかに空疎なイデオロギー
をも てあそぶ存在であるかを、私は身を以て
実感せざるを得なかったのである。

農村人口、炭坑人口のほとんどが、必ずしも
生産的とは言えない都市に移動 してしまった。

都会の夜空は不夜城の感を呈しつつある。

その一方で、食料自給率四割に満たない
我が国の農地は荒廃しつつある。まさに政治の
無責任と言 うべきであろう。

政治家諸君の脳裏には、国家百年の計など、
全く存在してい ないのではないだろうか。

農村にも漁村にも炭坑にも廃墟が目につく。
炭坑では、既にその廃墟すら失われつつある。
炭都夕張の悲劇は、夕張市の歴代市長の
精神的荒廃を示すばか たんと りではなく
我が国政治そのものの荒廃をも象徴している
のではないだろうか 。

人々は「荒城の月」を愛唱する。

それは廃墟が人生の悲哀を象徴するもの
だからなのであろう。

私は旅するごとに廃墟をカメラに収めている。
廃墟は、人 生そのものの深さや悲哀を示す
ばかりではなく、我が国そのものの、あるいは
現代文明そのものの荒廃を示しているように
思われてならないのである。

<完>

ページ
TOP