ひとりで行った入学式

狭山ヶ丘高等学校長 小川義男

18歳、高等学校を卒業すると同時に中学校の英語教師
になった。4年の後、大学に進学したが、学生時代の
4年間を除いても51年間教壇に立ち続けたことになる。

今も授業 を続けているという点では、この国で私が一番
古いのではないだろうか。「戦後教育の シーラカンス」と
呼ばれる所以である。

そんな私にも幼い日はあった。小学校の入学式にひとりで
行ったのだから、相当変わった子どもだったのだろう。
新しいランドセルを買ってもらってよほど嬉しかったのか、
私は家の前でランドセル姿で遊んでいた。

母のいない私には、姉が入学式に同行してくれることに
なっていたのだが、上級生の子ども達が学校へ行くと
言うのを聞いて、私もそれについて行っ てしまった。

姉は周りを見回したが私の姿がない。聞くと上級生達ともう
学校に行ってしまった と言う。それならそれで良いと言うので、
姉は学校へ行くのを止めてしまった。姉は 19歳だった。

ひとりで入学式に出かけた私も私だか、「それなら」と言うので
そのまま に放置した姉も姉である。今考えてみれば、もの凄い
家庭環境に育ったものである。 学校に行くと白いエプロンを
着たお母さん達が多数、受付の仕事をしていた。

今な らPTAの人たちというところであろうか。当時は「国防婦人会」
のお母さん達であっ た。お母さん達は、いつも白いエプロンを
身につけていた。それが彼女たちの「制服」 だったのかも知れない。

その2につづく…..

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