朝鮮人の思いで(1)

校長 小川義男

アメリカとの戦争が終わったのは
1945年8月15 日のことである。

私は当時旧制中学の一年生であった。

この頃に私は大変な失敗をやらかした。

授業も終わり帰宅すべく私は駅に向か
っていた。沼田という親友と一緒である。

沼田は、後年小樽商科大学で数学の
教授を務めた。学校一番の秀才であった。

二人ともまだ 背も小さく幼かったから、
悪戯をしながら下校することが多かった。

ちょうど雨上がりで、道路の諸所に
水たまりができている。舗装道路などと
いうものは身近には存在しなかった
時代である。

大きな石を拾い、それを水たまりに
ぶち込んでその飛沫を相手に浴びせ
かけようとする他愛もない遊びである。

互いに飛沫を浴びないように用心し、
素早く体を交わす、そんないたずらで
あった。

何度か飛沫を浴びせられた私は、
眼前にひときわ大きな石を発見した。

「これなら沼田をびしょ濡れにしてやれる 」

そう思った私は、素早くそれを拾い上げ、
ざんぶとばかり水たまりに投げ込んだ。

ところがその飛沫を、肩のあたりまで、
したたかに浴びたのは、朝鮮人の紳士
だったのである。

真っ白な背広を着ていた。当時日本人で
そんな高級な服を着ている人はいない。
それ に長髪である。頭がポマードで
塗り固められている。

その頃日本人は例外なしに丸坊主で
あった。だから一目で朝鮮人だと感じた
のである。

 

その2につづく…

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