朝鮮人の思いで2(2)

 

農家は生産した米を全部「供出」しなければ
ならない決まりになっていた。

しかし政府の買い上げ価格は極めて安い
から、全部供出したのでは生きていけない。

そこで、こ っそり米を隠すのである。どのように
隠したのかは分からないが、それぞれの家に、
絶妙な隠し方があったらしい。

その米をこっそり高値で売りに出す。供出価格
の十倍にはなったのでないだろうか。 これが
「闇米」と言われる物である。それをこっそり
買って運ぶ人を闇屋と言った。

警察に捕まれば没収されるが、うまく隠しきって
運び切ると莫大なもうけになる。

このよ うにして運ぶ人を闇屋とか「担ぎ屋」と言った。

高齢の女性が、米一俵を担ぐなどと言うのはざらで
あった。

私たちの通学列車にも、三分の一くらいはこの
「担ぎ屋」が乗っていた。やくざな商売である。

彼らにとっては、時折「手入れ」に入る警官が
天敵であった。食糧事情の悪さは、敗戦から
十年は続いた。

ここに語るのは、敗戦から三年後の話である。
日本人の闇屋とは別に、朝鮮人の「同業者」が
いた。同じ闇屋だが、朝鮮人には、独立したと
いう誇りがある。これまで「苛められた」という
恨みもあったろう。

だから同じ闇屋でも、ぐっと戦闘的なのである。

 

その3につづく…

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