朝鮮人の思いで2(4)
私は十八歳から十年間くらい、反体制的
思想を抱くことになった。それも可成り著名
なリーダーとしてである。

その思想的影響も、思えばあのとき、その
下地が形成されていたのかも知れない。

二十七歳の時、自分なりの研究の末、
このような傾向と絶縁した が、喧嘩が
朝鮮人のようでなければならないとの
考えは今も変わらない。

三十五歳の頃、私は明治大学法学部
二部の学生であった。

勤務しながら夜通っていたのである。
「一号館」の五階に法律の研究室が
五つあり、私はそのひとつ「法科特別
研究室」の一員であった。

日曜の朝、五時半に、新入室員は
掃除をしなければならない。

日曜が私の当番であった。 ところが、
守衛が我々を玄関から入れない。

五つのうち二つの研究室の室員は
もう来ていて、全部で五人、中へ
入れてくれと頼むのだが、守衛は
どうしても承知しない。

事情を聞くと 「昨夜五階の水道を
開け放した者がいる。

階段を滝のように水が朝まで流れ
続けた。

その犯人が分かるまでは何人も
通さないと言うのである。

 

その5につづく…

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