朝鮮人の思いで2(5)

 

室員たちは困った。そのうち女性の室員が
激しい性格で、それは責任転嫁ではないか
と激しく詰め寄った。

責任転嫁と聞いて、怒り心頭に発した守衛は
「責任転嫁とは何事だ」と逆に詰め寄った。

その勢いに押され、さすがの彼女もたじたじと
なった。

「そうだ責任転嫁だ。これが責任転嫁でなくて、
どこに責任転嫁があるか。」

私は反撃に出た。

「法学研究室」の室員が 「僕は守衛さんの気持ちも
分かります。僕たちは一方的な考えにこだわっては
駄目だ」と言い出した。

私が頭に来るのは、このような時であ る。

私は直ちに攻撃をこの室員に集中した。

「君は一体どっち側なんだ。守衛の側なら、 君は
そっち側に立ち給え」と彼を守衛側に押しやった。

件の女性も、これに勢いを得て 「そうよ。それなら
あなたはお帰りになれば、いいんだわ」と言った。

私も「そうだ、 帰ればいいんだ」と追い打ちを掛けた。

さらに私は守衛に 「我々を入れるなと指示した人の
名前を言いなさい。そのあたり を曖昧にすると、学園
紛争の新しい芽になりますよ。我々が立ち上がったら、
三派全学連の動きなどとは桁が違うよ」と凄んだ。

結局怯えて守衛は我々を通したが、そのときにも私は、
少年時代に見た、あの朝鮮人たちの 「戦いの連帯性」に
思いを馳せていたのである。

すでに私も高齢の身ではあるが、葛藤場面に際しては、
いつも私は朝鮮人の戦い方を想起することにしている。

それから私の葛藤の師は、もうひとつある。

それは雄鳥である。これについてはいつか触れよう。

老人にとって最大の危険は丸くなる ことだと思う。分別
くさい年齢であるだけに分別は敵である。

朝鮮人のごとく、雄鳥のごとく、激しく戦い続けなければ
ならないのが老人だと私は思うのである。

<完>

 

 

ページ
TOP