聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、メッセージを聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

 

「存在の喜び」ルカ15章11節〜32節
今日紹介するのは、イエスが話した「放蕩息子」のたとえ話です。
ひとつ目にお伝えしたいことは、みなさんひとりひとりの存在が神の目から見て喜びなのだ。ということです。天の父のような存在である神に、「あなたが、たとえ何をしていても私の目にはあなたは高価で貴い。あなたの存在が喜びだよ。だから、この神の愛の中に生きるように戻っておいで。」とこの話を通して神が私たちに語りかけているのです。普段、私たちは、何が出来るか出来ないか、外見はどうか、どれくらいモテるのか、大人になったら、どれくらい稼げるかと様々な形で、世の中から存在の価値を図られるようなことがあるでしょう。でも、神の目には全然違う価値観が流れています。大事な神の子どもとして、愛されている者としてふさわしく、自分に与えられた命と力を精一杯使って生きていってください。
二つ目にお伝えしたいことは、神と共に他の人の存在を喜ぶということです。兄は弟が、放蕩の限りを尽くして父のもとに帰ってきたことを聞いて、怒ります。私たちも、この兄のように他の人の存在を喜べないことがあるかもしれません。しかし怒っている兄息子を父が宴会から出てきてなだめたように、神が私たちに「わたしのありあまるほどの愛や喜びという財産は、お前の物でもあるのだよ。わたしと共に他の人の存在を愛するという喜びを味わって欲しい。お前じゃなきゃダメなんだ。」と語りかけてくださっています。自分とは少し違う生き方をしている人を見てイライラしたり、他の人に対して嫉妬の気持ちが湧き上がりそうになるときに、神があなたの存在を喜び認めてくださっていること、そして、神と共に他の人の最善を願う生き方があるということを、ぜひ思い出してください。

聖書科教員より

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