聖書の箇所: 創世記1章26節〜29節

さて、今年に入って、芸能人の自殺が目立ち、皆さんはニュース報道で聞いていると思います。また、国内の日本人の自殺者数は、3万2000人を超えた2003年をピークに、年々減少傾向にあります。けれども、20代、30代の死因の第1位が「自殺」である傾向は、もう20年以上変わらずに推移しています。
基本的にキリスト教は自殺を良しとしません。それには、2つの理由があります。1つ目は、人生は自分が終えるものではなく、神様が終えるものです。つまり、人間は神様から与えられた命を勝手に奪ってしまう権利を持っていません。その権利は命を与えて下さった神様にあるからです。
2つ目の理由は、例外なくすべての人間の命は非常に大切であり、私たち一人一人しか果たせない役割が与えられているからです。今日の聖書の箇所は、人間は神様にかたどって造られたと教えています。その意味を簡単に説明すると他の創造されたものより、知性的にも、精神的にも、他の面においても、人間は神様に似ているところがあるということです。そして、人間は神様に似ているところがあるからこそ、人間は神様の代理として世の中で神様の働きをする役割が与えられています。それは、環境を守ったり、社会に貢献したり、困っている人を助けたり、正義や平和に満ちた世界を作ったりすることなど、それぞれの働きがあります。その中で、私、あなたしか果たせない大切な役割が神様から与えられています。ですから、神様にとっては、私たち一人一人はかけがいの無い必要とされている大切な存在なのです。
しかし、いくら自分の命は大事だ、また自分の命を奪ってはいけないと言われても、大変苦しい時や、大きな問題を抱えている時、死んでしまいたい、と考えることがあるかもしれません。それに対して2点を話しておきたいと思います。
1つ目は、誰でも苦しみの中、また辛さの中にいる時、その状態が永遠に続くと感じますよね。「もう変わらない」「もう良くならない」と思ってしまうことが多いです。しかし、実際にその苦しみや辛さには終わりがよくあります。どんな問題であっても永遠に続くことは少ないです。実際に、時間によって解決される問題も多くあります。また、人生は長いものです。1ヶ月間、半年、2年間、また10年間の苦しみは、80年間の人生を捨てるに値するでしょうか。人生の中で、誰でも辛さや苦しみを経験しますし、時々自殺する事を考える時もあるかもしれません。しかし、これから長い人生があるということを覚え、そしてその苦しみや辛さには終わりがよくあるということを忘れないでください。
2つ目は、もし自殺を考えてしまうほどの問題を抱えている、また友達にそういう人がいるのであれば、誰かに相談してください。保護者、先生、カウンセラー、友人、近所の人、誰でもいいです。周りの人に迷惑を掛けたくない気持ちがあるかもしれません。また自分のプライドを捨ててまで相談したくないと思っているかもしれません。しかし、今まで話す事ができなかった自分の気持ちを聞いてもらうだけでも、大分楽になることが多いです。そして、どのように自分が抱えている問題を解決すれば良いのか、色々とアドバイスをもらうこともできます。
自分のプライドを捨てる、あるいは迷惑が掛かることを気にしないで、ぜひ一人で苦しまないで誰かに相談してください。皆さん一人一人はかけがえの無い、価値のある人間ですし、一人一人が必要とされる存在だからです。

聖書科教員より

 

聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、ことば(メッセージ)を聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

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