「何のために生まれて何をして生きるのか(『アンパンマンマーチ』)」日頃、そういうことは考えないかもしれません。けれども、もし死の間際に問われたら、「答えられないなんて、そんなのは嫌だ」と言いたくなるんじゃないかと思うのです。誰かを幸せにできず、喜ばせることができずに命を終える、それもまた「そんなのは嫌だ」と思うでしょう。このような痛みが「スピリチュアル・ペイン」です。
父は、私が中学生の時に癌になりました。死後、遺書が見つかりました。「何のために生まれて何をして生きるのか」わからなくなった状態で、生きていく意味を見出せない。そういう気持ちが書かれていました。でも、父はスピリチュアル・ペインを乗り越えました。「(神は)試練と共に脱出の道も備えていてくださいます」という聖書の言葉を知り、死の直前まで希望を持って精一杯生き、「希望を感じるお葬式だった」と言われて地上の生涯を終えました。
もしも死んでもなお残るものがないのだとしたら、死んで終わりなのだとしたら、「何のために生まれて何をして生きるのか」わからないなと思います。けれども、死んでもなおいつまでも残るものがある。死ぬことや、時間や空間を超えたなにかがある、と聖書は言っています。信仰、希望、愛。そういうものは死を越えてなお残るのだと。父は体が動かなくなっても死の間際まで信じ、望み、愛していました。
スピリチュアル・ペインは、自分のちっぽけさを自覚する時に起こります。それは、必ずしも、死の直前とは限りません。「わたしって駄目だな」「こんな人生嫌だな」と思ったら、いつでも起こり得る。目に見える現実が、あなたのいのちの価値を疑わせるような状態になったとしても、目に見えない価値あるものがあるんだ、ということに目を向けてほしい。目に見えない価値あるものに目を向けるとき、スピリチュアル・ペインの出口がちょっと見えてくるかもしれないから。

聖書科教員より

 

聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、ことば(メッセージ)を聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

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