「神の小羊」ヨハネによる福音書 1章29節、33節-34節

今読んでいただいた聖書の箇所はイエス・キリストが洗礼を受けた直後に洗礼者ヨハネがイエス様 について語った言葉です。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。洗礼者ヨハネは、イエス・キリス トが自らを犠牲にして身代りになり、人類を罪から救う救い主であることを証ししています。

さて、自宅で自粛しなければならないゴールデンウイークも終わり、授業も再開しましたが、東京 や関西の緊急事態宣言、埼玉県を含む首都圏の蔓延防止法も延長されました。より感染力が強く、重 症化しやすい変異株が従来のものに取って代わり、コロナの感染者数は一向に減りそうもありません。 大阪ではコロナに感染した人々が病院に入院することができずに、自宅や宿泊施設で待機中に亡くな るケースもかなりあり、その中には若い人々もいるそうです。感染して家族や友人とも会えずに孤独 の中、死を迎えるのは悲惨です。私たちは、中々先が見えないような中でも感染の危険と隣り合わせ の日常を淡々と生きていかなければなりません。
歴史を振り返ると、人類を危機に陥れ、多くの死者を出した感染症が今までにもいくつもありまし た。その中には人口の 3 割から 5 割、ひどい場合は 8 割もの人々の命を奪ったものがありました。そ の代表的なものに天然痘、ペスト、スペイン風邪などが挙げられます。聖望学園と関係のあるマルチ ン・ルターの時代にはペストが多くの人々の命を奪いました。今朝はその時代に病院を併設するある 修道院のチャペルに飾られていた 1 つの絵を紹介したいと思います。それはグリューネバルトという 画家が描いたイーゼンハイム祭壇画のイエス・キリストの十字架の場面です。
この絵の中心には無残な姿で十字架にかかるキリストが描かれています。右側には洗礼者ヨハネが 聖書を開いて立ち、十字架のキリストを指し示しています。左側にはマグダラのマリアがひざまずい て嘆き、倒れそうなイエスの母マリアが弟子ヨハネに支えられています。

イエス・キリストは私たちの苦しみ、悲しみ、肉体の病も心の病も共に担ってくださいます。マタ イ 福 音 書 に は 次 の よ う に あ り ま す 「。 彼 は わ た し た ち の 患 い を 負 い 、 わ た し た ち の 病 を 担 っ た 」( 8 : 1 7 ) 。 この絵のキリストの体の部分を拡大してみるとわかることですが、キリストの体には多くのできもの があります。この悲惨なキリストの姿は原爆の被害者の姿にとても似ていると、荒井献という有名な 新約聖書の学者は指摘します。

ところで、この絵が飾られた修道院の病院には麦角病やペストの患者が多く入院しました。それら の病気の特徴は高熱と体に多くのできものができることでした。患者たちは平日の礼拝でこの絵を見 て、十字架のキリストが自分たちと同じ病気を担ってくださると実感しました。また、日曜日の礼拝 ではこの絵の裏側に描かれた復活のキリストの絵が開示されました。その絵のキリストの体には最早 傷やできものはなく、完全に癒された姿が描かれています。患者たちは病気に苦しむ日常を過ごし、 死ぬかもしれないが、やがて天国では完全に癒される救いに入れられるという希望を得ました。字が 読めない人がほとんどだった当時は聖書を教えるためにこのように絵画が多く用いられました。

去年からコロナの影響で多くの部活動の大会や発表会が中止になり、中々目標を見いだせない人も いるかもしれません。でも、イエスさまは私たちの苦しみ、悲しみ、悩みも共に担ってくださいます。 「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」。「彼はわたしたちの患いを負い、わたしたちの病を担った」。 この聖書の言葉を心にとめて、今日も歩んでいきましょう。これで私の話は終わります。

聖望学園では中高とも週に1度、礼拝が行われます。キリスト教の精神を学び心を落ち着かせると共に、ことば(メッセージ)を聞くことができます。毎週のメッセージから、人生を歩むヒントや心の支えを見つけてもらえると考えています。

部活や授業、行事では学ぶことのできない、「生きる糧」となるメッセージをもらっています。

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