前回、心の形のお話をしました。
まん丸の心。
何にも影響されない「定言命題」の心です。
くぼんだ心。
くぼみを埋めてくれるものを握りしめようとする、
執着、固執がある「仮言命題」の心です。
このふたつの心を経験したのがパウロです。
パウロはとても優秀な律法学者でした。
律法、旧約聖書の教えを熱心に学び、大切にしていました。
言葉を変えればパウロは律法に執着していたのです。
「心の形」の説明をパウロに当てはめるなら、パウロの心はくぼんでいたのです。
そのくぼみにうまくはまり込んで、見かけ上はまん丸の形に戻してくれるものが律法だったのです。
心をまん丸にしてくれているもの。
執着によって維持できる何にもまして大事なものです。
パウロにはイエス様やその弟子たちの言葉が、自分が依存している律法を否定するかのように聞こえました。
律法で定められた「安息日規定」を破ったり、律法で禁止されている罪人と平気で食事をしたりする。
それはパウロにとって自分の心をまん丸にしてくれている律法を否定するものに見えました。
頼りにしている律法が自分の心からはがされる。
自分の心の傷がまたあらわになります。
くぼんだ心、トラウマがよみがえってきます。
自分の心は自分で守る。
傷を隠してくれている律法を守りぬく。
自分の心の存亡がかかっていますから、手加減はありません。
パウロの教会迫害が始まります。

【シリーズ:聖書の思考回路】第14回⇒コチラから

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