先週の高校1年生のLHRでは、西田弘次先生の「国際コミュニケーション講座」の最終回の授業が行われました。
第3回目である今回は、“チャンスがあれば思い切って海外に飛び出していこう”がテーマでした。日本では体験できないことを直接自分で体験することで自分を大きく成長させられることを、ご自身の大学時代や大学卒業後の体験談を例にしながらお話してくれました。
西田先生は大学卒業後一時大学の職員として勤務していましたが、やがて教職を志し、有名なオックスフォード大学の大学院に留学し、教育学を学びました。
しかし、留学生活は予想していた以上に辛いものがありました。夏はよくプールに通ったそうです。泳ぐためではありません。泣いている姿を人に見られないようにするためでした。
英語で論文を書かなければならないという言葉の壁のほかに、誰も自分に関心を持ってくれない、誰からも自分が必要とされていない、誰からも自分が頼りにされていない存在であることがとても辛く悲しかったそうです。
「他の人から頼りにされることが、人間にとってとても大きな喜びであることを改めて感じ取った。」と話されていました。
この「他の人から頼りにされる」というお話を聞いて、二つのことを思い出しました。
一つ目は、先日のスピーチコンテストのレシテーション課題の一つであったマザー・テレサさんの言葉です。
「そこでは人びとは、たいへんな孤独や絶望、憎しみに悩まされていたり、自分が必要とされていない人間であるとか、頼りない人間、望みのない人間だと思い込み苦しんでいるのです。笑うことも人との触れ合いの温かさも忘れてしまっています。人間愛が何であるかさえ忘れかけています。彼らには、理解し尊敬してくれる人が必要なのです。」
二つ目は、冬季休業中に皆さんに読んでもらった司馬遼太郎さんの『二十一世紀に生きる君たちへ』の一文です。
「鎌倉時代の武士たちは、“たのもしさ”ということをたいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
もう一度くり返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、相手にはやさしく、とも言った。いたわりという言葉も使った。それらを訓練せよ、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、“たのもしい君たち”になっていくのである。」
“頼もしい人”を分かりやすく言い換えると、周りの人たちから見て、頼りにでき心強く思える人、まかせておいて安心できる人、信頼できる人、期待が持てて楽しみな人だと言えます。
世の中に役立つ人とか、社会に貢献できる人という言い方があります。社会が求めている人材と言ってもよいと思います。周りの人たちが求める“頼もしい人”は、イコール社会が求めている人材と言えます。
今週2月12日は、司馬遼太郎さんの15回目の命日にあたります。司馬さんの命日は“菜の花忌”と呼ばれています。生前司馬さんが、「タンポポや菜の花のような黄色い花を見ると元気が出る。」と話されていたこと。そして、司馬さんが、世界に誇れる日本人として高く評価した、高田屋嘉兵衛を描いた『菜の花の沖』という作品名からきています。
西田先生の「他の人から頼りにされることが、人間にとってとても大きな喜びである。」という言葉。司馬遼太郎さんの「たのもしい人格をもたねばならない。」という言葉を、皆さんはよくかみしめ、一歩ずつ近づいていけるよう努力してください。