12月10日は“世界人権デー”でした。人権は、人が人らしく幸福に生きていくために最低限必要な権利であり、誰もが生まれながらにして
持っていて、誰からも侵されることのないものです。この“世界人権デー”に合わせて、毎年人権作文コンクールが実施されています。
横浜市長賞を受賞した、ある中学3年生の女子生徒の作文を紹介します。
去年の夏の電車内での出来事、そしてそこから学んだことが綴られています。
おばあさんが閉まるドアの隙間から乗車しようとして、ドアに挟まりました。ドアはすぐには開かず、おばあさんは苦しそうにしています。彼女は席から立ち上がり、荷物を投げ出して大声を上げて駆け寄り、全身の力を込めてドアを引きました。やがてドアが開き、おばあさんは無事に乗車することができました。しかし、車内の大勢の人が自分を見ているのに気づきます。おばあさんを非難する声も聞こえてきました。彼女は車内の冷たい雰囲気に戸惑います。
次のターミナル駅で、それまでピクリともしなかった人たちが素早く立ち上がり、ドアが完全に開く前から我先に降りていく姿を見た彼女は、何ともいえない違和感を覚え、自分がした事が恥ずかしい事のように思い始めました。顔が熱くなるのを感じ、下を向いてしまいました。
2つ先の駅で下車すると、一人の女性の方から声を掛けられました。車内での一部始終を見ていたそうで、「あなた立派だったわよ」と言われました。彼女は、「余計な事でした」と答えました。
すると女性は、「そう思ってるんじゃないかと思って、迷ったけど声を掛けさせてもらったの。誰かが困っている時、とっさに体が動くって大切な事だと思う。そういう思いやりを大切してほしい」と話しました。「子供の教育に関わる者として、今、声を掛けなければならないと思った」と言ったその女性は、「次の電車に乗るから」とホームに残りました。
彼女は、わざわざ途中下車してまで声を掛けてくれたのだと知り胸が熱くなりました。見ず知らずの子供の気持ちに気づき、励ましてくれる人がいることに感動もしました。「声を掛けてもらえなかったら、私は手助けが必要な誰かに気づいても、何もしない大人になっていったと思う。今でも、とても感謝しているし、心に深く残っている」と綴っています。
さらに、「今どきの子供は、人への思いやりに欠けるという言葉をよく耳にする。でも、はたして子供だけが変わったのだろうか? 私は時々、無関心な大人を恐いと思うことがある。差別や偏見が関わる問題の中には、人間関係の希薄さや他人事意識が被害を拡げている問題もきっとある。人と触れ合う事を恐れず、助け合える人に、その大切さを伝えられる大人に私はなりたいと思う」と綴っています。
題名は、「無関心」です。
私たちも改めて考え、見習わなければいけないことが綴られています。
私たちの身近な生活の中にも、人権を尊重し配慮しなければいけないことがあります。
自分から声を掛け、手を差し伸べることはちょっと勇気が要ります。でも、自分が周りの人たちに迷惑をかけていないか、傷つけていないかは気をつければ分かります。常に人権に配慮できる人、“考えることのできる人”になってください。