2011年度の学校生活は今日を区切りに終了しようとしています。皆さんにとってこの一年はどのような年だったでしょうか。昨年3月の大震災により社会全体が大きく揺らぎ、何かが変わらなくてはいけないと感じた一年でした。今年度当初の4月には余震が続き、原発事故の収束が不透明な中、学校でも体育祭や校外授業の実施が危ぶまれ、先行きの見えない不安に襲われましたが、本当に守られて、全ての行事を滞りなく行うことが出来たことを感謝しています。
一つ一つの行事や日々の学校生活が決して当たり前ではなく、私たちに与えられた恵みであることを実感できるからこそ、毎日を丁寧に誠実に送ることを意識できた一年になったのではないかと思います。今ふり返ると、この一年の皆さんの学校生活は大変充実していたと思います。行事や生徒会活動、クラブ活動や各種の発表会も、中学生・高校生らしい創意工夫が見られました。震災を忘れずに覚え続ける努力も目立ちました。生徒会の募金やイベント、毎朝の礼拝の祈り、具体的な行動の数々は、皆さんの心の中にある他者への思いの表れとして充実したものでした。
昨年4月に完成した「学習センター」は、自学自習の象徴的なスペースとして活用されました。この一年、先週卒業していった高校三年生を中心に、この自学自習の場を用いて、粘り強く学習が展開されました。2月末まで国公立の2次試験のために自習室にこもっていた生徒たちの姿は一つのモデルとなりました。皆さんはこの一年、学習面での達成感や学ぶことの主体性を確立することが出来たでしょうか。テストは一つの結果にすぎませんが、通知表を見る今日にはもう一度立ち止まって、この一年の軌跡をふり返ってください。
この年度は全体としては前向きで積極的な面を強く感じましたが、問題がなかったわけではありません。持っている良さを発揮できずに無為に一年を過ごしてしまった人はいませんか。我儘や自己中心に気付かずに、人を傷つける言葉に鈍感だった人はいませんでしたか。中にはそのことに気づいて、ある時を境に一気に成長の階段を駆け上がっていった人もいました。
今日は節目のときを迎えましたが、この節目の時は何かに気づく時でもあります。ちょうど大震災から40日くらい経った4月の新聞に、アメリカの歴史学者ジョン・ダラー氏のインタヴュ―記事が載っていました。ダラーさんは「敗北を抱きしめて」という本で、第二次大戦の破壊から立ち直る日本人の姿を描いたアメリカの歴史家ですが、震災後の日本は、何かが変わる節目にあることを語っています。節目は人の考えや生活を変えるチャンスの時であるのです。しかし同時にダラー氏は、そのインタヴュ―の最後にこうも語っています。
「個人の人生でもそうですが、国や社会の歴史においても突然の事故や災害で、何が重要なことなのか気づく瞬間があります。すべてを新しい方法で創造的な方法で考え直すことが出来るスペースが生まれるのです。関東大震災、敗戦といった歴史的瞬間は、こうしてスペースを広げました。そしていま、それが再び起きています。しかし、もたもたしているうちに、スペースはやがて閉じてしまうのです。既得権益を守るために、スペースをコントロールしようとする勢力もあるでしょう。結果がどうなるかは分かりませんが、歴史の節目だということをしっかり考えてほしいと思います。」
節目は、ドアが開かれる時だとダラーさんは語っています。今、皆さんは新年度に向かって、心のドアが開かれていることを感じますか。進むべき方向、変えていくことがら、目指すべき生活が見えていますか。節目の時はそれが見えてドアが開かれる時なのです。しかし、ダラー氏が警告しているように、せっかく開かれたドアも、もたもたしているうちに、行動に移さないでいると、一歩踏み出すことをせずに、今のままに留まっていると、開いたドアも閉じてしまうというのです。
この国は震災を契機に変わることが出来たでしょうか。それとも開かれた世界が閉じてしまって、昔と同じように変われないでいるのでしょうか。震えるような衝撃を受け止めて、新しい価値観に立つ社会に変われたでしょうか。エネルギー政策の転換を含めて大きな疑問を持たざるをえません。
皆さんは、この節目の時、開かれたドアから一歩踏み出して、この春休みを過ごしてください。そうすれば、新年度は新しい自分と出会うさらに豊かな一年になると思います。皆さんの一層の飛躍を期待しています。