「見えないけれど、あるもの」って何か思いつきますか?
次の詩「星とたんぽぽ」(金子みすゞ)から考えてみましょう。
青いお空のそこふかく、
海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、
昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、
かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、
つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、
見えぬものでもあるんだよ。
そうですね。
「昼の星」と「たんぽぽの根」ですね。
少し前置きが長くなりましたが、「見えないけれど、あるもの」について、改めて思いをはせる場面がありました。今回はそれについて触れたいと思います。
音楽の研究授業で先生は、
丹田(たんでん)に力を入れて声を出しましょうね。丹田は臍(へそ)の下にあるんですよ。
ちょっと触ってご覧。そこに手を置いて、意識しながら発声するんですよ。
そう指示して、発声の練習を始めたんです。すると、生徒の声はみるみるうちに強い声が出るようになり、教室に響くようになっていったんです。素晴らしい授業の導入でした。
実は、臍下(せいか)丹田は臓器ではありません。
ですから、それを指摘したり見たりすることはできないんです。でも、あるんですね。
明治大学教授の斎藤孝先生は『身体感覚を取り戻す』の中で、
丹田とは、道教の用語である。道教では、エネルギーの中心となる場所を上丹田・中丹田・
下丹田の三つとしている。丹田呼吸法の丹田は、この中の下丹田である。インド・中国に
比べて日本では、この下丹田が重要視された。へその下にあるという意味で、臍下丹田と
呼ばれるものである。
と述べておりました。
生徒は音楽の時間に「日本の伝統的な身体文化」の一つを「技」として体得したのかも知れませんね。
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