霜月を迎えてから、ケヤキの木の側に、落ち葉を集めたビニール袋が何個も積まれている光景を見かけます。

皆さんのお住まいの周辺ではいかがですか?

そうした光景は暫く続きそうです。

これからは、銀杏の葉が黄葉し、やがて黄色い絨毯か敷かれていきます。

ケヤキの紅葉から銀杏の黄葉へと錦秋のリレーが行われているかのようです。

 

 

さて、冒頭のビニール袋に詰まった落ち葉ですが、資源化されるのでしょうか。否、焼却?

もしそうだとすれば、落ち葉はゴミということでしょうか。
 

「葉っぱ」は、その仕事として、例えば、「光合成」・「蒸散」・「呼吸」等をし、木のために役割を果たしてきたはずです。
それだけでなく、憩いの空間を与えてくれたり目を楽しませてくれたり酸素を生成してくれたりと、人のためにも役割を果たしています。

 

そうした「葉っぱ」だと考えると、「葉っぱ」を「土に溶けこんで 木を育てる力になる」という命の循環に戻してはと思ってしまいます。そうした感慨は、たぶん『葉っぱのフレディ――いのちの旅――』(レオ・バスカーリア作 みらい なな訳)を読んだ記憶の影響も手伝っているのでしょう。

 
…みんなで登山

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