1874年(明治7年)3月21日。
東京築地にあった海軍士官の養成所「海軍兵学寮」でイギリス人士官 アーチボルト・ルシアス・ダグラスの提案で「競闘遊戯会(きそいあそび)」が開かれました。日本で初めての運動会と言われています。
 
当時の兵学寮のカリキュラムは、教室で座って学ぶ「座学」ばかりでした。
ダグラスは、「学事を重んずるを知り、身体を重んずるべきを知らず」として「競闘遊戯会(きそいあそび)」を提案したと言われています。
「般」と呼ばれた種目には、150ヤード徒競走「すずめのすだち」、幅跳び「とびうおのなみきり」、玉投げ「ふるだぬきのつぶてうち」などのほか、卵拾い競走「さるのももとり」、豚追い競走「もろこしのしかおい」などユニークなものなど18種目ありました。
 
その後、同じ年に札幌農学校(現在の北海道大学)で「力芸会」が、1885年(明治16年)には東京帝国大学で「運動会」(「運動会」名称の発祥)が開催され、初代文部大臣森有礼は、全国の学校に「運動会」を義務付けました。
 
こうして、集団としての連帯感や結束、精神の鍛錬のための行事として運動会は全国に広まっていきました。
 
さて、2023(令和5)年度 貞静体育祭が4年ぶりに正規の形で実施されました。
 
この体育祭は、貞静学園への所属感や連帯意識を深めつつ、実社会の中で共に生きることの意義と尊さを実感する機会とすることが目的で、生徒会、体育委員会、学級委員会が中心となり先生方の指導のもと、自主的に企画運営いたしました。
 
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貞静学園の生徒たちは、朱・青・白の団ごとに、一つの目標に向かい学年を超えて絆を深め合い、互いに競い合って力を発揮していました。
そして、素晴らしい成果の得られた体育祭を創り上げることができ、貞静の素晴らしい伝統をまた一つ積み上げることができました。
 
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