さて、石野先生が武相学園の歴史を記した著書に『牛のあゆみ』(昭和23年5月15日発行)という本があります。執筆当時の石野先生は59歳。

その中で石野先生は、「近き将来には農芸化学に重点をおく大学」の建設の希望を述べています。

新制の中学高校がそろい、新しい目標を掲げたのですね。

 

そのあと石野先生が学園についてまとめたのが、昭和34年の『武相学園建学の記』です。

『牛のあゆみ』以降『武相学園建学の記』の間のことは、『武相学報』を見るとわかります。『武相学報』は、今も続く学園報『武相文化』の前身です。

それでは『武相学報』から、少しトピックスをご紹介しましょう。

 

『武相学報』の一番古いのは昭和23年9月号。部活動の一覧が載っています。

文化部は 図書、弁論、英語、歴史、文芸、音楽、書道、美術、演劇部。

運動部が競技、野球、庭球、排球、水上、応援部となっています。

 

『武相学報』昭和24年1月号には「中学・高校の入試要項」が載っています。

中学が200名、高校が100名募集です。

おもしろいのは入試の日です。中学は入試が3月1日、発表が3月5日。今より遅いのですね。もっと驚くのが高校で、なんと入試は4月1日、発表は4月5日です。

入学式はいつだったのでしょう・・・と調べると、5月号に「4月8日中学・高校入学式」と記載されています。

入学準備はどうしたのか気になりますね。当時は制服が「詰襟」いわゆる「学ラン」だったので、校章やボタンなどをつける変えるだけでOKだったのでしょうか?

 

『武相学報』昭和24年5月号には「動静会(武相の卒業生の会)の発足」記事もありました。

旧制・新制中学・高校と6回の卒業式を終え、卒業生が約300名になったと記されています。

飛び立っていた若鳥がもとの巣を忘れないでお互いに結束して、これからの荒波を渡らねばならぬと、卒業後のつながりを呼び掛けています。

 

(つづく)

 

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