春休みは「武相の歴史」第3部を連載します。夏休みの連載「創設者石野先生のおいたち~武相学園創立まで」、冬休みの連載「昭和17年の開校~昭和28年まで」に続いて「昭和29年~昭和33年」をお届けします。

このシリーズは、本学園の在校生に配信しているメルマガ『図書館報BOOKS』上で、本校司書教諭が連載しているものがベースとなっています。3/22に配信した最新号(159号)で、昭和37年に石野先生が最期を迎えられ、連載は幕を閉じました。

 

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『武相文化』昭和29年1月号で石野先生は、夢の総合学園をめざし、4月からの小学校の開校を告げています。

2月3月号の募集要項を見ると1年生45名、2年生45名とあります。

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4/18には幼・小・中・高の総合学園達成の記念も込めて、沖縄民族舞踊講演会が開かれています。

 

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『武相文化』昭和29年6月号に校内弁論大会の記事が載っています。

各クラス2名代表が選ばれましたが、積極的に参加する生徒が少なかったようです。

しかし演題は「真の平和について」「市民の資格と社会」など戦後民主主義教育にあふれ、英語の部も。

当時は弁論部もありました。

 

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『武相文化』昭和29年12月号によると、10/29に全校マラソン大会が開かれています。

高校生は横浜線の踏切まで6162メートルの往復となっています。

個人成績によると1位は31分57秒です。10キロ以上のマラソンとはすごいです。

全生徒が外を走ることができる良き時代です。

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『武相文化』昭和30年4月号には、入学・入園を祝う石野先生の言葉があります。

「紫のゆかりも高い人がら、青き淵のそれの如き学芸への深さ、赤い炎と燃える実行への徹底」と建学の精神を詠っています。

この年の高校募集は普通科150名、商業科100名となっています。

 

(つづく)

 

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