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『武相文化』昭和32年1月号に石野先生は建学の精神を掲げ、校歌はそれをあらわしたものと記しています。
昭和17年の戦争真っただ中に学園創立に邁進した先生は平和であることを強く願ったのでしょう。
「天地をつらぬく正道。その正道こそ まことの道であり天道である。そしてもろびと天道―正道すなわち、あるがままの姿、あるべき大自然のすがたに順応し、この大道をあゆむことによってのみ、人の世の平和があるとうたったのであります。」
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昭和32年は学園創立15周年。高校は1,200名と増加し、高校2部、中学生・小学生・幼稚園生を加えると1600余名となりました。
そのため鉄筋コンクリートで校舎を建てることが31年に決議され、32年3月の地鎮祭、5月の設計完成を経て、33年3月に竣工しました。
現在の第一校舎です。
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『武相文化』は昭和32年7~9月号の3回にわたり、創立15周年によせ学校の歴史を掲載しています。
7月号は部活動で「昭和22年頃から昭和26年頃まで排球(バレーボール)の成績は大いにあがり、県下屈指の線に入りました。
次いで昭和28年春頃から野球が勃然として強くなってきました」とあります。
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『武相文化』昭和32年10月号は100号記念特集(1)。
石野先生は「武相禮讃 武相文化100号のために」という文章を載せています。
郷土史家として研究を尽くした先生は武相という名の歴史的意味を解かれています。
「「武相」は「むそう」夢想―天下無双という語呂にもなる。(中略)武相の二州が天下に重きをなしたことは上来述べたとおりであるが、また武相の文字の構成から見れば戈(ほこ)を止めるすなわち平和、相すがた。つまり平和の相であると解することができる。」と伝えているのです。
(つづく)
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