皆さんこんにちは。校長の山内日出夫です。
今回は、「震災」と題してお伝えします。
私は3月11日の震災のその日、学園本部との新年度の件で打ち合わせがあり、
杉並にある男子校の会議室に居ました。突然の揺れが襲い、「何が起きた
のか」と一瞬戸惑いながら、椅子から立ち上がり、会議のメンバー同士、
互いの顔を見合わせた記憶が残っています。
あの日から4年。
生徒たちは震災後義捐金を集めたり、千羽鶴を折って送ったり、吹奏楽部は
3年間に亘って岩手、宮城、福島の震災地域にボランティアの演奏活動を
行ったりとそれぞれに出来る取り組みをしてきました。
そのことで、生徒たちは心から震災地域の一日でも早い復興を願うことの
出来る「心持」になれました。
また自らを省みる時、日頃何気なく生活できる暮らしの尊さ、ありがたさを
改めて自分のものにしています。
私の郷里「会津」に帰省すると原発立地地域であった「大熊町」から避難
された方々の仮設住宅が今も並んでいる姿を目にします。
4年も経っているにもかかわらず、住み慣れた郷里に、自宅に帰ることの
出来ない人々がいるのです。
3月11日は決して忘れてはならない日であり、3月11日以降は、けっして
諦めてはいけない日々なのです。
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