佼成女子のできること

2011年に起こった東日本大震災からの2年がたちました。日本人は家族や地域の絆を意識するようになり、身近な人たちとの関係を大切にしたいと思う人が増え、「絆」という言葉が強い意味を持って使われるようになりました。
佼成女子における震災からの2年間にも、生徒たちの心の変化が見て取れるように思います。

 

 

佼成女子のできること

 

 

東日本大震災が2011年3月11日、その前月のニュージーランド・クライストンチャーチ地震は2月22日でした。
佼成女子とは縁の深いニュージーランドで起きたこの大地震からも2年が経過し、追悼式には現地語学学校に留学して被災された日本人の遺族も出席したとの ニュースも流れました。ニュージーランドのこの地域も住宅再建はほど遠い状況と言われています。二つの国のどちらも被災は終わっていないということは、私たちが忘れてはならないことです。

 

昨年の2012年夏休み、佼成女子の吹奏楽部有志メンバー35名による「ボランティアと追悼キャラバン」が行われました。大震災直後からの、現地で直接お手伝いできないかという生徒たちの声がようやく実現した出来事でした。
8月18日から20日の3日間、部員たちは釜石市の仮設住宅の皆さんの前で演奏と炊き出しを行い、そしていまだ大きな傷跡を残す被災地を見て、被災地の方々のお話を聞き、様々なことを感じ、考えて、学校に帰ってきました。
そして、12月22日の終業式、在校生全員の前でキャラバンの報告が行われました。
「被災地の皆さんは家や家族を亡くしている方がたくさんいらっしゃいます。そんな中、私たちは帰る家があり、家族もいて、そういう状況がごく当たり前だと 思っていましたが、それがとてもありがたく幸せなことだというのを身に染みて感じました。被災地の方々と話をしてみなければわからないことがたくさんあり ました。高田高校では、3階の窓ガラスはまだ割れたままで、教室のカーテンが風にあおられているのを見たときは、全員言葉を失いました。陸前高田市の市役所では、亡くなられた方々の追悼を込めて、先ほどの曲を演奏させていただきました。全員が感情を音に込め、涙を流しながらの演奏となりました。とても多くのものを経験し、感じることができました」
吹奏楽部員が言葉を失ったという、復興の進まない、がれきがそのまま残る現地の写真は、全校生徒たちにも衝撃だったでしょう。
OGの皆さんからも、夏休みや冬休みを利用してボランティアに行ってきたといった報告が聞かれるようになりました。震災から1年半経過し、ようやく被災地には何が必要なのか、手助けのためにどうしたらいいのか、落ち着いて判断できるようになったと言えるかもしれません。

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