帰国の前日は、最後のマンツーマン授業を終えた後、卒業式を行いました。

1人1分間のスピーチを行いましたが、みな臆する事なく立派にスピーチができました。

「ここで学んだ英語をこれからも続けていきたい」「この研修は一生のよい思い出になった」などとコメントしていました。

卒業式では手作りメダルと修了証を受け取り、ダンスやウクレレなど披露していた生徒もいました。

スピーキングの上達を実感できたし、忘れられない良い思い出ができた、と感謝の意を先生方に伝えていました。

翌日は早朝より移動し、参加者全員が元気に成田に帰着しました。

参加生徒はこの経験を、今後の英語学習や学校生活の中に大いに活かしてほしいと思います。

準備期間も含めましてさまざまサポートいただいた皆様に、この場を借りて感謝申し上げます。

ありがとうございました。

(国際教育委員会)

中学水泳部は、今年1月に行われた関東予選会を勝ち抜き、全国大会であるジュニアオリンピック(JO)への出場を果たしました。

3月26日(水)から千葉県国際総合水泳場で大会が行われ、中学水泳部の代表15名が出場しました。

結果としては、トーナメントの1回戦で敗退を喫し、その翌日の敗者勝ち上がり戦でも敗退してしまったため、

残念ながら勝利を収めることができませんでした。

しかし、今回出場した選手たちは全国大会出場チームの強さを肌で感じ、

もっと強くなるために今後もがんばりたいと、決意を新たにすることができたようです。

大会後、中学水泳部は新中3・新中2のチームに代替わりしました。

新しいチームで、今年8月に控える夏季JOへの出場を目標に、日々練習に励んでいます。

これから新中学1年生の入学の時期なので、そろそろ新入部員の募集の活動も進めていく予定です。

新中学1年生や、この記事を読んでくれた方が、一緒に全国を目指してくれる仲間になってくれることを、部員一同楽しみにしています!

(水泳部顧問)

研修も後半に入りました。

8〜10日目の報告です。

3/31、4/1は終日英語レッスンをして過ごしました。

4/2は午前の英語レッスンのあと、セブンスピリットという現地団体を訪問しました。

バスケットボールや楽器演奏など同世代間の交流を大いに楽しんだようです。

研修も残り早2日。

修了式を行った翌日、帰国の途につきます。

良い形で締めくくりをしてほしいと思います。

(国際教育委員会)

3/30にグリークラブ第59回定期演奏会が城北講堂にて行われました。

現役のみの第1ステージと、OBやゲストが加わった第2ステージの2部構成で行われました。

現役生徒は現在多数とは言えませんが、みな元気に日頃の成果を披露しました。

後半では顧問教員に加え、OBやゲストの方も加わり華やかなステージになりました。

2時間を超える演奏会は盛会のうちに幕を閉じました。

関係された皆様には改めまして感謝申し上げます。

 


(グリークラブ顧問)

週末の活動の報告です。

3/29はマリンアクティビティを行いました。

港からボートで30分程揺られナルスアン島に。

皆そこで海を眺めながらパイナップルジュースやココナッツジュースを飲みました。

次はパンダノン島にボートで移動約45分の移動をし、BBQランチを食べました。

デザートに出た甘くて美味しいフイリピンマンゴーの味に感動していました。

食後はビーチでバレーボールをしたり売店でお土産を買ったり写真を撮るなど、南国の休日を楽しんだようです。

3/30は、ショッピングを中心に充実した休日を過ごしました。

モールでは、買い物だけでなく、思い思いに昼食も食べられ、笑顔で戻ってきました。

昼食はフィリピンで人気のファーストフード店ジョリビーで食べた者が多かったようです。

ウクレレのような小さいギターを買った者もいました。

おそろいのセブ島のTシャツも買ったりしてモール散策を満喫しました。

週明けからはまた英語レッスンが再開します。

後半も集中して頑張ってほしいと思います。

(国際教育委員会)

地理部では3月25日から27日にかけて,2泊3日の春合宿を行いました。今回の調査対象地域は中京地区の中心「名古屋大都市圏」です。大都市圏のことを地理学の用語では”metropolitan area”といい,日本では東京,大阪,名古屋の三大都市圏が形成されています。名古屋大都市圏は,名古屋市を中心に,東部は愛知県の岡崎市や豊田市,北部は岐阜市,西部は三重県の四日市市にまで広がり,その人口はおよそ920万人に達します。地形的には,伊勢湾に面する濃尾平野とその周辺の台地から成り立ち,歴史的には尾張や三河,美濃など,多くの戦国武将を輩出した地域です。また産業では,トヨタ自動車をはじめとする機械工業や,味噌づくりや焼き物などの伝統産業も立地しています。今回は3班に分かれて,名古屋大都市圏の自然環境,歴史と文化,産業について学びました。この合宿で調査した内容は,2025年度発刊予定の「ちりレポ第23号」に掲載する予定です。

 

〔自然環境編〕

名古屋大都市圏は伊勢湾を取り囲むように広がります。伊勢湾岸は20世紀に入ってから埋め立てが始まり,1950~70年代にかけて急速に拡大しました。埋立地には製鉄所や石油化学コンビナート,火力発電所などが建設され工業化が進みましたが,一方で豊かな海辺の自然は失われました。その中で保全されているのが「藤前干潟」です。庄内川の河口に広がる約300haの干潟で,1999年に干潟の埋め立て計画を中止しました。ここは国内有数の渡り鳥の中継地で,シベリアなど北半球の繁殖地とオセアニアなど南半球の越冬地を往復しているシギやチドリなどが飛来します。その重要性から2002年にラムサール条約に登録されました。部員達は野鳥観察館から干潟の様子や水鳥の様子を観察しました。

 

水鳥を観察する部員

 

 

 

 

名古屋大都市圏が位置する濃尾平野は,木曽川,長良川,揖斐川によって形成された沖積平野で,三川が合流する河口付近の低地は標高0mから海面下に位置します。古くから水害の被害が絶えなかったこの地域では,集落全体を堤防で囲う「輪中」が発達し,河川の氾濫時に避難するため,石積みなどでかさ上げした水屋がつくられてきました。輪中を構成する堤防の高さは住宅の2階以上もあり,いかに標高が低いかが伺えます。

 

 

 

 

輪中の堤防と住宅地

 

 

 

〔歴史と文化編〕

現在の愛知県にあたる尾張国と三河国は,「三英傑」と称される織田信長,豊臣秀吉,徳川家康を輩出した地域です。彼らが築城した城郭や古戦場跡,縁のある社寺などが現在でも多数残されています。部員達は,それらの史跡をまわりながら歴史を学んだり,城がなぜその場所に立地したのかを考察したりしました。

 

「尾張名古屋は城でもつ」とうたわれるように,現在の名古屋市は名古屋城を中心に発展してきました。その起源は17世紀はじめに徳川家康が,当時の中心地だった清洲の城下町を丸ごと名古屋に移転したことに始まります。名古屋城は第二次大戦の名古屋大空襲で焼失しますが,1959年に天守が再建され,国内外から多くの観光客が訪れています。

 

 

名古屋城で集合写真

 

 

 

木曽川の畔の小高い丘上に天守を構える犬山城は,織田信長の叔父,信康により築城されたと伝えられます。尾張と美濃の国境に立地し,木曽川と急崖に守られた自然の要塞は幾度も戦の舞台となってきました。犬山城は現存12天守の中でも最も古く,築城当時の様式を今に残す貴重な文化財として国宝に指定されています。部員達はいわゆる「ガチ城」を最上階まで上り,城の構造や天守からの眺めを体感していました。

 

 

犬山城で集合写真

 

 

 

 

一方,長良川の面する金華山の山頂に築城されたのが岐阜城です。1567年にここを本拠としていた斎藤氏を織田信長が攻略し,美濃国を平定しました。「岐阜」という地名もこの時に信長によって命名され,城下町には楽市楽座が設けられました。商人たちの自由な商売による城下の繁栄が,現在の岐阜市に発展につながっています。岐阜城が位置する金華山は標高329mで,城郭を有する山の中では日本有数の高さです。山頂まではロープウェイがありますが,中1の部員の中にはなんと険しい山道を麓から登り,岐阜城を攻めるのがいかに大変だったか身をもって学んだ強者もいました。

 

 

金華山の険しい山道

 

 

 

〔産業編〕

名古屋大都市圏で重要な産業といえばトヨタ自動車をはじめとするトヨタグループの工業です。繊維産業の機械化を進めた豊田紡績株式会社からスタートした現在のトヨタグループは自動車だけでなく,鋼材や電気機械,繊維や織機など幅広く生産し,日本の工業を支えています。部員達はトヨタの関連施設をまわり,トヨタグループの成り立ちやイノベーションによる織機や自動車の変遷,最先端の生産技術などを見学しました。中でも自動車工場で実際に使われている産業用ロボットの実演はとても迫力がありました。

 

 

豊田産業技術記念館で集合写真

 

 

 

 

自動車を生産するようす

 

 

 

 

 

 

カローラに試乗する部員

 

 

 

もう一つ,名古屋大都市圏で有名な産業に焼き物があります。愛知県瀬戸市の「せともの」や岐阜県多治見市の「美濃焼」などがありますが,平安時代より茶碗や瓶などが焼かれ,日本最古とされるのが「常滑焼」です。知多半島の中部に位置し,良質な粘土を産出する常滑市は現在でも焼き物産業,窯業がさかんです。市内にはかつて利用されていたレンガ造りの窯や煙突が点在し,狭い路地は陶器の破片で舗装され,崖や斜面は土管や瓶で補強されています。この景観は2014年のセンター試験(現在の大学入試共通テスト)の地理の試験で出題されました。

 

 

常滑の土管坂

 

 

 

部員達は春休み期間中,地図や図表の作成,レポートの執筆を行っています。新学期が始まると1学期のフィールドワークと夏合宿に向けて事前学習を行います。2025年度も地理部の活動に乞うご期待!!

 

 

全員で集合写真

 

 

 

(地理部顧問)

山岳ワンゲル部では毎年「春島合宿」と称して、その年卒業する高3生もあわせて伊豆諸島の島々を訪れています。

昨年の新島に引き続き、今年は大島を訪れました。

中1から高3生まで総勢38名で、竹芝から夜行船に乗って出発しました。

翌朝の合宿2日目。島の北側の岡田港から南側のトウシキキャンプ場まで、広い大島をザックを背負って縦断します。

しかも途中で三原山の裏砂漠を通るという「鬼行程」でした。

約20キロにも及ぶ長い道程を歩くこと7時間、ようやくキャンプ場まで到着しました。

キャンプ場に着いてからは、昼食・夕食づくりです。今年は食事作りに力を入れた一年でした。東京から持参したものや現地調達した食材を駆使して、料理を作っていました。

合宿3日は絶好の登山日和。トウシキキャンプ場から三原山火口に向けて登っていきます。登っていくこと約3時間、視界が開けて島を一望することができました。山頂の火口展望所では、三原山火口付近を見ることができ、貴重な経験になりました。

この日も20キロ以上を歩きましたが、下山した後希望者を募って有名な地層大切断面を見に行きました。

キャンプ場では高3生がバーベキューをして、後輩達に肉をふるまってくれました。

普段の山の合宿では行えないキャンプならではの楽しみができるのも春合宿の特徴です。

最終日は午前中にサイクリングで島内観光を行い、ジェット船で熱海へ寄港しました。

熱海港で毎年恒例の高3引退式を行いました。

中1でコロナ禍に直面し、途中思うようにクラブ活動を行えなかった代ですが、2年前彼らが槍ヶ岳に挑戦してくれたからこそ、今のワンゲル部があります。常に挑戦に気持ちを抱えながら新天地での活躍できることを期待しています。

そして、山岳ワンゲル部も4月から新入部員を迎えて、夏山に向けてのトレーニングが始まっていきます。年々レベルアップできるよう、頑張っていきましょう!!

(山岳ワンゲル部顧問)

3/26は終日マンツーマンの英語レッスンを行いました。

3/27は午前の英語レッスンのあと、スラム街を訪問しました。

スタッフの方によるオリエンテーションのあと、実際に現地の子どもたちと交流ができました。

日本とは全く違った環境で暮らす人々の生活に触れ、参加生徒たちが何かを感じてくれれば良いと思います。

週末に行ったマリンアクティビティやショッピング体験などの報告は次回あらためてお伝えします。
今後もよろしくお願いします。

(国際教育委員会)

陸上部は、3/24~3/27の3泊4日で春合宿を行いました。

茨城県の笠松運動公園陸上競技場を利用して、4月からのシーズンに向けてまとまった練習を積むことが目的です。

新高3~新中2まで、45名での合宿となりましたが、学年内の横のつながりだけでなく、学年を超えた縦のつながりも作ることができる、非常に実りある合宿となりました。

例年になく温かい環境で、生徒たちも一生懸命に陸上と向き合っておりました。

最終日は、種目に関係なく全員が400mを走るリレーです。

このリレーは合宿恒例となっており、半年前の夏合宿からのタイムの伸びなどから、自分たちの成長ぶりを実感できる機会となっています。

新中2の生徒たちの中には、10秒以上もタイムを上げた人もおり、日々の練習の積み重ねで確実に気力・体力が向上していることを実感することができました。

また、新高3にとってはこの合宿が高校生活最後の合宿となるため、部員全員を競技面・生活面で引っ張る姿にとても成長を感じましたし、頼もしく感じました。

新シーズンの初戦は4/3・4です。

良いシーズンインができるよう、雰囲気良く過ごしていきたいと思っています。

※最後の練習を終えて、全員で恒例の写真撮影

※400mリレー直後に全員でリズムスクワット100回!大きな声で盛り上げていました。

※4日間練習をしたグランドに挨拶。人としての基本を大切にした春合宿でした。

(陸上部顧問)

3月24~26日に、中学バレー部は学校にて春合宿を実施しました。合宿はコロナの影響でやめて以来初めての実施でした。

ボールを使った練習だけではなく、トレーニングにも力を入れて過ごしました。練習や練習試合だけでなく、生活面においても普段よりも高いレベルの要求をしたため、ハードに感じた生徒もいたかと思いますが、厳しい経験は必ず成長につながります。今回の経験が新年度からの活動に活かされることを期待しています。新しく1年生も入ってくるので、しっかりと教えて導いてあげられるよう頑張っていきましょう。

(中学バレー部顧問)

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