IMG_8341私たち高校2年生7名は今月21日に法政大学で行われた「手話講座特別編」という講座に参加した。講座には手話エンターテイナーとして手話普及活動に力を入ており、また現在注目を集めているドラマ、『silent』に桃野奈々の友人の江上美央として出演されている那須映里さんを始め、手話通訳士の方々をゲストとしてお迎えした。 那須さんは家族全員がろう者であるデフファミリーの一家に生まれ幼い時から手話を第一言語として生活をなさっている。 講座では、手話は世界共通ではないこと・手話はコミュニケーション手段の一つではないことなど、様々なことを学んだ。 手話は、日本語には日本語の手話、英語には英語の手話、フランス語にはフランス語の手話があるなど、国によって異なっている。また、同じ国の中でも方言があるため、稀に通じないこともあるそうだ。そのため、手話は世界共通ではない。しかし、国際手話という様々な国の手話を合わせたものがあり、それは正しい文法や単語の表現方法などはなく、ろう者の世界的な交流の場である「世界ろう者会議」や、国際的なろう者のスポーツ大会である「デフリンピック」などで使われている。 手話はコミュニケーションの一つではないとはどういうことなのか、この文を読む皆さんも疑問に思ったのではないだろうか。講義中にこんな質問が那須さんから私たちに向けて投げられた。 「『手話はコミュニケーション手段の一つである』この文に違和感はあるか? 違和感がないと思う人は手をあげてほしい。」 私はこの文に違和感を覚えなかったことから手を挙げた。また、私を含め、会場にいる90%ほどの人が手を挙げた。 那須さんはもう一つ質問を投げられた。 「『日本語はコミュニケーション手段の一つである』この文に違和感はあるか? 違和感がないと思う人は手をあげてほしい。」 私はこの文に違和感を覚えたことから手を挙げなかった。コミュニケーション手段と聞いて思いつくのはいつも、家族や友達と使っているLINEやE-mail、電話や手紙だ。日本語はコミュニケーション手段の一つなのではなく言語である!と私は思った。 那須さんは、「日本語が言語であるのと同じで、手話もコミュニケーション手段の1つではなく、1つの言語である。」とおっしゃった。ろう者の方の多くは毎日手話で会話をしている。耳が聞こえる健聴者は日本語や英語などで会話をしている。何が違うのだろうか。日本語も英語もフランス語もイタリア語もヒンディー語もアラビア語も、、、そして手話も等しく言語だということだった。 最後に那須さんは、「日常の中で不便だと感じることはあまりなく、電車のアナウンスが聞こえないことくらいであるが、これはろう者に問題があるのではなく社会に問題があるのだ。多くの健聴者は“耳が聞こえる方が良い“という考えを持っていることから、いまだろう者への差別はなくならない。私は、“ろう者と聴者が対等に生きていく世界“を目指していきたい。」と、講座を締めくくった。 高校2年生の私は、一年ほど前から手話を独学で勉強しており、那須さんが出演するドラマ『silent』を視聴している。ドラマの影響もあり、手話が日本中で注目されている今、ろう者の方への関心や手話のニーズが高まっていると思う。那須さんが講演の中でおっしゃっていた“ろう者と聴者が対等に生きていく世界“とは何かを具体的に考え、これからの社会を創る私たち若者の多くが手話を使うことができる世界を目指したいと私自身も考えた。

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