本日は日本大学の創立記念日でお休みでした。
127年前の今日、「明治22年(1889)10月4日、時の司法大臣山田顕義(あきよし)と宮崎道三郎・金子堅太郎など11名の若手学者の尽力により、日本大学の前身である日本法律学校が誕生しました。欧米諸国の法律を教える法律学校がほとんどだった当時、日本法律を教授する学校の誕生は、大いに独自性を発揮しました。」(日本法律学校の創立「日本大学の歴史」より)
創立130年を前に、日本大学は9月30日に「日本大学創立130周年記念サイト」を公開しました。色使いはどちらかというと落ち着いていて派手さはありませんが、今流行りのブラウザ全体に大きな画像が広かるデザインを利用して、かなりビジュアルな作りになっています。そして何より、3年後の今日午前0時に合わせた大きなカウントダウン時計が目を引きます。
この特設サイトに「日本大学の歴史」のページがコンテンツとして用意されています。この機会に是非読んで見るといいと思います。
長い歴史の流れの中で、日本大学が創設した本校も56年目を迎えています。長い歴史の中で作られてきた校風や伝統が日本大学にも本校にもあります。時代の流れはとても速くなっていますが、もちろん時代に遅れずについて行くことも大切ですが、校風や伝統も守っていきたいものです。
日本大学が100周年を迎えた時、日本大学はいくつかの記念事業を行いました。学祖山田顕義先生の生誕地に造成された「顕義園(けんぎえん)」もその1つ。その頃は、付属高校の修学旅行は今とは違い、国内が目的地でしたから、歴史に名高い松下村塾の近くにある顕義園を訪れる付属高校が数多くあったのも当然かもしれません。明誠高校も北九州〜山陰・山陽をコースとして修学旅行を行いました。長崎の大村空港から九州に入り、萩・津和野を回って広島から新幹線で東京へ、という行程です。山口県の萩では、各自貸自転車に載って班別自主研修を行い、顕義園にも立ち寄りました。
学祖は吉田松陰の松下村塾で学び、明治維新期の軍人としても名高く、また、日本の初代内閣の司法大臣で大日本帝国憲法の編纂にも関わりました。数年前のお正月には、学祖の物語「知られざる幕末の志士 山田顕義物語」が放送されたことを覚えている方もいるかと思います。「知られざる」ではなくもっとたくさんの人に知ってもらいたいですね。

日本大学創立記念日なので日本大学の長い歴史に思いを駆せながら、1日を締めくくってもらえればと思いながらの記事執筆でした。え? 本校の創立記念日? それは、1960年4月1日です。春休み中ですから、学校を休みにする云々は関係ありませんね(笑)。
最後に、明誠高校が修学旅行で顕義園を訪れていた頃の写真を数枚ご紹介します。男子の制服は詰襟でした。
在校生のみなさん、台風18号は、関東の方には来なさそうですが、明日の朝は念のためフェアキャストに注目していてください。

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