第99回全国高校サッカー選手権大会 山梨県大会

連覇の夢、はかなく消える!!

強豪山梨学院の厚い壁破れず!

準決勝 山梨中銀スタジアム
日大明誠 前半 山梨学院
後半

Jan_28_2019

手塚秀昭のホイッスル

tezuka

第99回全国高校サッカー選手権大会山梨県大会5日目は、7日(土)、甲府市山梨中銀スタジアムで、準決勝2試合が行われ、ファイナルに進むのは山梨学院と日本航空に決定した。

準決勝の相手は、過去において全国4000を越える高校サッカー界の頂点に上り詰め、現在、関東プリンスリーグ(本年度は昇降格なしの変則日程)に参入している実力No.1の山梨学院高等学校(以下、山学)であった。

昨年歓喜の雄叫びをあげた山梨中銀スタジアムバックスタンド、例年と違い、今年はコロナ禍により厳しい感染予防策が取られ、部員とその保護者(準決勝から全部員)のみが入場を許可され、平常とは違う拍手のみの応援形式となった。

本校は準々決勝から先発メンバー1名、ベンチ入り3名を入れ替え、1-4-1-4-1のシステムで臨んだ。序盤はお互い縦へシンプルにロングパスを蹴り合い、山学が中盤でやや優勢になりかけた6分、山学PA内でファールを犯し本校はPKを獲得、待望の先制点かと思われたが、山学GK①の見事なセーブに絶好の得点機を逃した。このプレーに勇気づけられた山学は、細かいパス交換や本校陣内でのロングスロー等で徐々に試合の主導権を握り始めた。押されながらもその攻撃に耐えた本校は、19分、田崎のロングスローからの混戦から流れたボールを、⑪平田が枠内にシュートを打つも、GKの後ろでカバーした②にクリアーされ、その後のチャンスにもシュートを打ったが、またもやDFにクリアーされ絶好の得点機を逸した。時間の経過と共に山学はアタッキングサード〈ピッチを3分割した最も敵陣側(本校側)〉で丁寧な細かいパスで崩し始め、33分、その攻撃で得たCKからゴール中央に巻いて放たれたボールが、混戦の中でオウンゴールを誘い先制点を挙げた。リズムを掴んだ山学はなおも本校ゴールを攻めたが、体を張り続け1点ビハインドで前半を終了した。

後半開始から、⑩五十嵐を投入、その五十嵐は期待通りその卓越した個人技を駆使して、中盤で攻撃の起点となりチームが活性化してきた。先発メンバー入りしたCB⑤田崎が、その身体能力を如何なく発揮しことごとく空中戦で勝ち、そのセカンドボールをMF陣が拾い始め、押し気味に試合を進めた、14分、五十嵐が起点となり立て続けに攻め込み、サイドからのクロスをゴール前でのフリーのシュートは惜しくも枠の外。17分、山学は中盤でカットしたボールをゴール前にフィードし、こぼれ球を途中交代した⑦が左足を一閃、ボールは強烈なシュートとなりゴール右隅に追加点を挙げた。その直後、本校は劣勢の状況を打破しようと、サイドのアタッカーとトップにスピードがある2名を投入し、BKから果敢にビルドアップして中盤を経由しボールを繋ぎ、なおも選手を交代し、山学ゴールに波状攻撃を敢行するもゴールは遠かった。山学も選手を2名交代、アディショナルタイム4分と表示された40分、⑱佐藤がサイドをドリブル突破しゴール前に流れたこぼれ球を五十嵐がシュートするもジャストミートせずゴールとはならなかった。時間は残り少なくなり、何とか一矢を報いたく攻め続ける本校から山学はボールを奪い、40+2分、追加点を決め試合はそのまま終了した。

試合を振り返ってみると、本校は、PKから始まり決定的なチャンスは山学より上回っていた。失点場面を見ても、1点目はCKからのオウンゴール、2、3点目は混戦からのこぼれ球、どの失点も中央やサイドを完全に崩されたものではなかった。また、それに加え、全失点の直前には本校が決定的なチャンスを迎え、それを得点に結び付けることが出来なかったことが大いに惜しまれるゲーム内容でもあった。まさにサッカーの格言「3度のチャンスがあったら2点は決めなければいけない」のように。しかし、敗れはしたが、このコロナ禍で本校の立地条件の関係上、他のチームよりかなり厳しいガイドラインに従わざるを得ない中、ケガ人も復帰できベストな状態でこの準決勝戦を戦えたことは悔いも残らないはずである。本校のストロングポイントであるパスワークやポッゼション(ボール保持)を駆使して、相手のプレスをかいくぐる技術が、山学を含めた他のチームと比較してやや上回っていることは、今後、チーム作りの方向性にさらなる期待が高まるはずである。さらに付け加えるならば、部員152名の大世帯をそのキャップテンシーを発揮しチームを見事にまとめ上げた深澤、ケガで苦しいリハビリを乗り越え、ブランクを感じさせないプレーでチームに好影響を与えた五十嵐、昨年のインターハイ予選から公式戦にほぼ全試合先発し、ケガのため主将①深澤と⑩五十嵐を欠く試合で、孤軍奮闘、叱咤激励しチームを牽引した⑧加藤には栄えある称号「バンディエラ(旗頭)」を送りたい。又、残念ながらベンチ入り叶わなかった3年生32名の選手諸君、諦めず腐らず部活動を最後までやり通し、その模範となった言動は必ずや下級生に良き伝統として脈々と受け継がれるに違いないと確信する。“勝者のメンタリティー”はゆっくりであるが、チームに着々と根付き始めてきている。今年度初めてスタジアムに掲げられた『ビッグユニフォーム』、再び、全国大会で掲げられる日が来ることを、2・1年生106名に期待するものである。

筆者のプロフィール≪日刊スポーツ山梨版(現在休刊)より抜粋≫
手塚秀昭(てづか・ひであき)
tezuka1950年、山梨県塩山市(現甲州市)生まれ。1972年、日本大学明誠高等学校に英語科教諭として赴任。75年、サッカー部監督に就任。全国選手権県大会準優勝(82、83年)、インターハイ県代表(83,84年、私学勢として初)、関東大会県代表(88年)、日大付属大会優勝など県下屈指の強豪に育て上げた。“心”を優先とした指導で、独自の戦術を駆使し、常に強豪校を脅かした智将。又、県東部地区の第3種(中学生年代)の普及のため、2001年に「リヴィエール」を創設し、05年、06年に関東クラブ選手権県大会優勝(同大会出場)、06年、高円宮杯県大会(U15)第3位に導くなど、第2種、3種の2つのカテゴリーでそれぞれ優勝(第3種はクラブ選手権)に導いた。それらの功績が称えられ、08年、県高体連より「指導者功労賞」、14年、県体育協会より「体育功労賞」がそれぞれ授与された。15年定年退職。

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先発メンバー(学年)⇒交代
GK ①深 澤(3)
DF ②津 田(2)
DF ③小名木(3)
DF ④萱 沼(3) ⑬奈 良
DF ⑤田 崎(3)
MF ⑥吉 原(3)
MF ⑦関 根(3) ⑩五十嵐
MF ⑧加 藤(3)
MF ⑪平 田(2) ⑲市 村
MF ⑯佐々木(1) ⑱佐 藤
FW ⑨粟生田(2) ⑳ 林
サブメンバー
GK ⑰片 平(2)
DF ⑫橋 本(1)
DF ⑬奈 良(3)
MF ⑩五十嵐(3)
MF ⑭前 川(3)
MF ⑮山 口(3)
MF ⑱佐 藤(3)
MF ⑲市 村(3)
FW ⑳ 林 (3)
に

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