令和3年度 全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選

インハイ県予選開幕!!

得点ラッシュで、3回戦進出へ

令和3年度 全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選
日大明誠 15 前半 上 野 原
後半

手塚秀昭のホイッスル

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令和3年度全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選兼原杯争奪サッカー大会は、5月29日(土)に開幕し、シード校の本校は2回戦から登場し、30日(日)に上野原高等学校(以下、上高)と対戦し、初戦を難なく突破し順当に3回戦に進出した。

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立ち上がりから地力に勝る本校は一方的に攻め続け、4分、CKからゲームキャップテン④安達が長身を生かした高い打点のヘディングシュートを決め早々と先制した。直後の6分、⑦浅田がゴール前左30m付近から左足を一閃、追加点を挙げた。本校の猛攻に守備一辺倒の上高は、前線の⑩とサイドの⑦に奪ったボール預け反撃に転じるが、安定した本校のBK陣に難なく処理され攻撃の糸口すら掴むことが出来なかった。本校はその後も試合の主導権を握り続け、20分にCKを直接、29分に⑩佐々木から⑧高橋、最後は⑨昆と3人の細かいパスワークで得点した。残り10分を切った時間帯にも、PA内左サイドから⑪大月が逆足のインフロントを使った見事なコントロールシュートを決め、その得点を含めた4点を加え前半を終えた。

後半、本校は開始早々立て続けにCKを得てチャンスを掴み9分、後半通算4本目になるCKを、公式戦初登場の1年生⑤片平(大)のヘッディングシュートで9点目を挙げ、その後、交代した⑮苑田がそのスピードを生かしチャンスを慮産し続けた16分、同じく交代の⑫渡辺が左サイドを駆け上がりそのままミドルシュートを豪快に決め10点目。その後2名を交代し26分、交代した⑲平田が決め11点目、28分には5枚目の交代カードを使い29分、又もや平田が12点目、前半と同様残り10分を切ってからも3点を加え大勝した。

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この試合、個々の能力では上高をはるかに上回り、得点差が物語るように内容も一方的なものとなった。それぞれの局面でも常に優位に立ち、ボールを失った直後でも守備の意識が高く、すぐにボールを回収できて攻撃を休みなく続けたことも大量点の要因となった。奪った得点の内訳をみても、セットプレーから、両サイドのクロスから、ミドルレンジから、ゴール前の細かいパス交換から、と多種多彩の攻撃バリエーションから生まれ、選手層の厚さもチームに活性化をもたらした。一方、チームの総合力で劣勢の上高は、初シュートが後半の5分にやっと生まれるなど、前後半ほぼ全ての時間を自陣での戦いに余儀なくされた。しかしながら、失点を重ね続けても最後までボールを追い続け、さらにゴール前でも体を張り選手全員の試合を諦めない姿に「高校スポーツの真髄」が感じられ、その戦いぶりを大いに称えたい。

先発メンバー(学年)⇒交代
GK ①永 田(2)
DF ②神 田(3) ⑮苑 田
DF ③橋 本(2)
DF・主将 ④安 達(3)
DF ⑤片平大(1) ⑫渡 辺
MF ⑥小 林(3)
MF ⑦浅 田(2)
MF ⑧髙 橋(2) ⑯川 村
FW ⑨ 昆 (2) ⑲平 田
MF ⑩佐々木(2)
MF ⑪大 月(2) ⑳粟生田
リザーブメンバー
DF ⑫渡 辺(1)
DF ⑬下 地(3)
MF ⑭山 本(3)
MF ⑮苑 田(2)
MF ⑯川 村(3)
GK ⑰片平勇(3)
MF ⑱前 田(3)
FW ⑲平 田(3)
FW ⑳粟宇田(3)

 

筆者のプロフィール ≪日刊スポーツ山梨版(現在休刊)より抜粋≫
手塚秀昭(てづか・ひであき)
tezuka1950年、山梨県塩山市(現甲州市)生まれ。1972年、日本大学明誠高等学校に英語科教諭として赴任。75年、サッカー部監督に就任。全国選手権県大会準優勝(82、83年)、インターハイ県代表(83,84年、私学勢として初)、関東大会県代表(88年)、日大付属大会優勝など県下屈指の強豪に育て上げた。“心”を優先とした指導で、独自の戦術を駆使し、常に強豪校を脅かした智将。又、県東部地区の第3種(中学生年代)の普及のため、2001年に「リヴィエール」を創設し、05年、06年に関東クラブ選手権県大会優勝(同大会出場)、06年、高円宮杯県大会(U15)第3位に導くなど、第2種、3種の2つのカテゴリーでそれぞれ優勝(第3種はクラブ選手権)に導いた。それらの功績が称えられ、08年、県高体連より「指導者功労賞」、14年、県体育協会より「体育功労賞」がそれぞれ授与された。
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