令和3年度 全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選
関東予選に続いて、連続ベスト8入り!!
甲府昭和に、4発快勝!
令和3年度 全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選 3回戦 |
||||||
---|---|---|---|---|---|---|
日大明誠 | 4 | 4 | 前半 | 0 | 1 | 甲府昭和 |
0 | 後半 | 1 |
手塚秀昭のホイッスル
令和3年度全国高等学校総合体育大会サッカー競技県予選兼原杯争奪サッカー大会は、関東大会(山梨県開催)のための中断期間を経て6月12日(土)に続開し、本校は甲府昭和高等学校(以下、昭和)と対戦し、4-1で下し準々決勝に進出した。
地力に優る本校は圧倒的にゲームを支配し、7分、右からのクロスの折り返しを⑧吉田が見事なシュートを決め先制した。19分にも昭和BKの裏へ上手く抜け出した⑩平田のループシュートで追加点を挙げた。対する昭和は、前線の⑩が個人技を生かし何とかボールをキープするが、サポートするべきプレーヤーの運動量がなく孤立し反撃の糸口を掴めなかった。26分、昭和DFの不用意なパスをカットした⑨昆が3点目、37分、⑪宇田川が4点目と2年生コンビの得点で大差をつけ前半を終了した。
後半、本校は交代選手一人目⑬下地を投入、2分、その山地が左サイドから絶妙なアーリークロス、4分にはCKを獲得するなど果敢に昭和ゴールを襲うが、詰めが甘くゴールを生むことが出来なかった。劣勢一方の昭和は、10分、本校ゴール前の混戦から得点し一矢を報いた。本校は失点をしたが交代で入った新たな選手が躍動し、その後の試合展開はほぼ一方的なものになり、守備機会も少なく危なげない快勝となった。
この試合、2回戦と同様に新たにスタメンで出場した選手も多く、又、試合登録選手を含めて各自の個人技術の差に遜色なかった。選手層が以前にも増して厚くなったことは、連戦となる明日13日(日)の準々決勝に向けて大きな収穫となった。
先発メンバー(学年)⇒交代 | |||
GK | ①片 平(3) | ||
DF | ②神 田(3) | ||
DF | ③渡 辺(1) | ⇒ | ⑬下 地 |
DF・主将 | ④安 達(3) | ⇒ | ⑫山 本 |
DF | ⑤小 林(3) | ||
MF | ⑥川 村(3) | ||
MF | ⑦久 保(3) | ⇒ | ⑯敦 賀 |
MF | ⑧吉 田(3) | ||
FW | ⑨ 昆 (2) | ||
FW | ⑩平 田(3) | ||
MF | ⑪宇田川(2) |
リザーブメンバー | |
DF | ⑫山 本(3) |
DF | ⑬下 地(3) |
MF | ⑭橋 本(2) |
MF | ⑮苑 田(2) |
MF | ⑯敦 賀(3) |
GK | ⑰永 田(2) |
MF | ⑱佐々木(2) |
FW | ⑲大 月(2) |
FW | ⑳粟生田(3) |
筆者のプロフィール ≪日刊スポーツ山梨版(現在休刊)より抜粋≫ |
手塚秀昭(てづか・ひであき) |
---|
1950年、山梨県塩山市(現甲州市)生まれ。1972年、日本大学明誠高等学校に英語科教諭として赴任。75年、サッカー部監督に就任。全国選手権県大会準優勝(82、83年)、インターハイ県代表(83,84年、私学勢として初)、関東大会県代表(88年)、日大付属大会優勝など県下屈指の強豪に育て上げた。“心”を優先とした指導で、独自の戦術を駆使し、常に強豪校を脅かした智将。又、県東部地区の第3種(中学生年代)の普及のため、2001年に「リヴィエール」を創設し、05年、06年に関東クラブ選手権県大会優勝(同大会出場)、06年、高円宮杯県大会(U15)第3位に導くなど、第2種、3種の2つのカテゴリーでそれぞれ優勝(第3種はクラブ選手権)に導いた。それらの功績が称えられ、08年、県高体連より「指導者功労賞」、14年、県体育協会より「体育功労賞」がそれぞれ授与された。 |