第100回全国高校サッカー選手権大会 山梨県大会

初戦を辛勝で飾る!!

難敵北杜に雪辱を果たし、8強入り!

第100回全国高校サッカー選手権大会 山梨県大会
3回線
日大明誠 前半 北  杜
後半

手塚秀昭のホイッスル

tezuka

第100回全国高校サッカー選手権大会山梨県大会3日目は、10月16日(土)、県内4会場で3回戦8試合が行われ、ベスト8が決定した。

本校の初戦は、今年度の関東大会県予選で、終了間際のアディショナルタイムに‘サヨナラゴール’を決められ痛恨の敗戦となった因縁の相手北杜高等学校(以下、北杜)であった。

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前半立ち上がり直後から本校はFKを立て続けに獲得して、押し気味に試合を進めた。対する北杜は、MF⑩を中心に中盤を組み立て、前線の④と⑨にパスを通し徐々にリズム掴み始めた。10分の⑨平田のシュートが両チームにとってのファーストシュートであった。北杜は、DF⑥が守備陣を上手く統率し、空中戦でも優位に立ち本校に決定的な場面は作らせず、20分過ぎからは攻撃のリズムが活性化し、23分、決定的なシュートを本校DF陣が、その跳ね返りをGK①永田がファインセーブし、さらにこぼれ球を相手がバー上に外し事なきを得た。さらに波状攻撃の北杜は、直後の24分、立て続けにシュートを打つも、又してもGKのファインセーブでゴールを割らせなかった。その後は一進一退で前半を終えた。

後半、主導権を握るべく2トップの一角平田を左サイドに、同位置の⑪佐々木をトップ下に変更した。その変更が功を奏し、攻撃にテンポが出てきた10分、センターライン右付近でのFKを速くリスタートし、パスを受けた⑦大月が右サイドで北杜DF⑥を卓越した個人技でかわしドリブルからクロスを上げ、ゴール前に走り込んだ佐々木がシュートを決め待望の先制点を挙げた。さらに意気上がる本校は完全にペースを掴み、平田に代わり1年生⑲夏目を投入、28分、本校はアタッキングサード(ピッチを3分割した最も相手側のエリア)で、⑧高橋が、DFライン裏へ絶妙なタイミングで抜け出した大月にスルーパスを通し、そこからのクロスを交代した直後の夏目のヘッディングシュートで貴重な追加点を加えた。その後は時間を有効に使い3枚の交代カードを切り逃げ切りを図ったが、終了直前、北杜に左サイドからのクロスを決められ1点を返されたが、何とか初戦を飾った。

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この試合初戦となった本校は、前半は大会特有のプレッシャーからか堅さが見られ、対する北杜は2回戦を戦ってきた試合経験から各選手が伸び伸びとプレーを続け、前半の2度に渡るビッグチャンスを生み出した。しかし、その決定的なピンチをDF陣とGK永田が献身的に体を張り続け得点を許さなかったことが、勝敗の分岐点となったことは紛れもない事実であった。そして、スターティングメンバーのうち3年生が5名という比較的‘若いチーム’の中で、この試合の勝利に大いに貢献したファインセ-ブ連発の永田と、2アシストの大月は共に2年生、交代し間もなく追加点を挙げた夏目も1年生であり、その下級生達がメンバー外の多くの3年生に「勝利」という最高のプレゼントを進呈した功績は今後のチーム内の熾烈な競争を益々生み出し、さらに全部員の士気をも大いに高めたと言える。

先発メンバー(学年)⇒交代
GK ①永 田(2)
DF ②津 田(3) ⑬井 上
DF ③星 野(2)
DF・主将 ④安 達(3)
DF ⑤柴 田(3)
MF ⑥橋 本(2)
MF ⑦大 月(2)
MF ⑧高 橋(2) ⑭小 林
MF ⑪佐々木(2)
FW ⑨平 田(3) ⑲夏 目
FW ⑩粟生田(2) ⑳中 屋
リザーブメンバー
GK ⑰片 平(3)
DF ⑫菊 池(3)
DF ⑬井 上(3)
MF ⑭小 林(3)
MF ⑮川 村(3)
GK ⑯神 田(3)
MF ⑱久 保(3)
MF ⑲夏 目(1)
FW ⑳中 屋(2)

 

筆者のプロフィール ≪日刊スポーツ山梨版(現在休刊)より抜粋≫
手塚秀昭(てづか・ひであき)
tezuka1950年、山梨県塩山市(現甲州市)生まれ。1972年、日本大学明誠高等学校に英語科教諭として赴任。75年、サッカー部監督に就任。全国選手権県大会準優勝(82、83年)、インターハイ県代表(83,84年、私学勢として初)、関東大会県代表(88年)、日大付属大会優勝など県下屈指の強豪に育て上げた。“心”を優先とした指導で、独自の戦術を駆使し、常に強豪校を脅かした智将。又、県東部地区の第3種(中学生年代)の普及のため、2001年に「リヴィエール」を創設し、05年、06年に関東クラブ選手権県大会優勝(同大会出場)、06年、高円宮杯県大会(U15)第3位に導くなど、第2種、3種の2つのカテゴリーでそれぞれ優勝(第3種はクラブ選手権)に導いた。それらの功績が称えられ、08年、県高体連より「指導者功労賞」、14年、県体育協会より「体育功労賞」がそれぞれ授与された。
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